2018年7月12日 (木曜日)

腹は凹まない

 太ってきた、と半年ほど前にブログに書いた。基本的に虚弱体質でひょろひょろしているにもかかわらず、腹だけが出ている。アフリカ難民のイメージです(彼らは栄養失調で腹が腫れているのであって太っているわけではない)。

 立っている時は気にならないが、座ると腹がぽこーんと出る。腹が凸(ぽこーん)だ。中年男性は基礎代謝が落ちて、腹に脂肪が付きやすいという。皮下脂肪だけでなく、内臓脂肪もつく。しかも腹には凸ぽこーんとなるのを防ぐ骨がないから、腹が出てしまうのです。

 腹に脂肪がつくと、ズボンがきつくなってはけなくなるのが困る。すでに何着かははけなくなったので、捨ててしまった。損害だ。もうこれ以上は絶対に太れない、という切実な事情もある。喪服です。老婆ママンのご臨終にそなえて買ったばかりの、ジャストサイズの喪服が、太って着れなくなっては困る。

 腹を凹ますぞ、と気が向いた時にダンベル、ウォーキング、スクワットをやったり、食事の時には炭水化物であるご飯を少なめにしたり、ジュースやお酒を飲みすぎないように注意している。

 その結果どうなったかというと、どうにもならないのです、まったく腹は凹まないのです。体脂肪も18%~19%をキープしている(男性にしては高い)。ひょろひょろおやじデブという、新ジャンルを作り出しているじゃないかという気持ちになる。

 ブックオフで108円で売っている「やせる本」のたぐいを何冊も買って読みました。そしてダイエットの真髄というものを知ったのです。ダイエットとは、

 ①軽い運動をする。
 ②やせようと、やせまいと、①を続ける。

 ということなのです。やせるとか、やせないとか関係ない、軽い運動を続けよ、というのが「やせる本」に書いてあることのすべてなのです。ダイエットというのが、こんな奥の深い、悟りの世界だとは知りませんでした。

 体重が減らない、リバウンドしてしまった、水を飲んでも太る、なんていうのはどうでもいいことなのです。ひたすら軽い運動を続けるだけ。その中でも特にお薦めで、どの本でも紹介している軽い運動というのが、階段を昇ること、エスカレーターをなるべく使わず歩くことなんですよ。私もなるべく階段を歩いております。

 ダイエット言うと食事を減らすというイメージがありますが、食事制限は苦しいので、続かないから無駄なのです(死ぬまで続けられるなら効果はある)。食事について凡夫にできるのは、せいぜい食べすぎない、腹八分目を心がける、野菜を多く食べる、それくらいしかないのです。

腹筋

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2018年7月 6日 (金曜日)

ふるさと♪

 家でおたけびを上げ続けている、寝たきり要介護5の老婆ママンですが、外ヅラだけは良くしたいという見栄は残っているのでしょう、ヘルパーさんが来ている時だけは、礼儀正しくというか、せめて人間らしくと思うのかは分かりませんが、おたけびをあげず、静かにしております。

 本日はリハビリの日、と言っても、もはや病状が進み体は動きません。リハビリでは食事をするために必要な口の筋肉を鍛えるのみです。舌を出して上に下へ、右へ左へと動かすというリハビリをします。

リハビリ
 リハビリと言うと聞こえはいいのですが、やっていることといえば舌を出して、バカな表情をするという、コメディアンでもやらないような、いないいないばあの顔を次々と繰り広げるのです。これを見栄の塊である老婆ママンが、赤の他人の若いヘルパー相手に、積極的やるずもなく、リハビリは遅々として進みません。

 でもそこはプロ。ヘルパーさんも恥ずかしがる老婆の気持ちを察し、すっと別のやり方にきり変えてきました。それじゃあ、大きく口をあけて歌を歌いましょうか、何がいいかなー、ふるさとにしましょう、といって歌い始めるのです。

 「うーさーぎおーーいし♪ かーのーやーまーーー♪」

 ヘルパーさんの声が勝山家にこだまします、が、肝心の老婆の声は聞こえてきません。

 「こーぶーなつーーりし♪ かーのーかーわーーー♪」

 ヘルパーさんの独唱が響き渡ります。……うるせえなあ、この家では絶えず誰かが騒いでいる。いたたまれなくなった私は外に出ました。つらい、つらい、うるさくて家にはいられない。そうだ、図書館に行こう、図書館だけが私の居場所だ。歩いている間、ずっと心の中で歌のメロディが流れているのです、それにあわせて私も口ずさみました。
 「わーすーれーがーたき♪ ふーるーさーとーー♪」

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2018年6月29日 (金曜日)

チンパンジーの悟り

 狭くて暗いところに入り、そして二度と出てこない。これが私の考える「死」のイメージです。天国も地獄もない。

 いずれ自分も死ぬ、絶対に逃れることはできない。なんとか死の恐怖から解放されたいなと思うのですが、凡夫ゆえに悟りをひらくこともできず、ひたひたと近づく死に恐れおののいております。

 人間だけが、死というのを知っている。チンパンジーに死の概念はない。死に至る病におかされ、日々衰弱していったとしても、チンパンジーは気分が暗くなったり、絶望したりするとことはないという。いつもどおりの明るさで、飼育員に愛嬌を振りまき続けるんだって。えらい、ゴータマ・ブッダ級の悟りだよな、私もチンパンジーになりたい。

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2018年6月15日 (金曜日)

原田メソッド隆史とクラスジャパン

 クラスジャパンについては前にもブログに書きました。その後、クラスジャパンはネットで話題になり、批判されたりもして、Webサイトから「日本全国の不登校者全員の教育に取り組み 通学していた学校に戻す」の文字が消えたりもしました。しかし頑なに変えず、守り通している部分もある。それが、

 クラスジャパン会長、原田隆史氏の提唱する原田メソッドなのです。ならば仕方がありません、図書館で先生の御著書を借りてまいりました。原田隆史『カリスマ体育教師の常勝教育』でございます。

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 原田隆史とは、「鬼軍曹だとかヒトラー、マッカーサーというあだ名までつ」いた、元・中学校の体育教師です。「誰からも愛される楽しい先生」になろうと教壇に立った原田氏は、「夢・理想・ガッツ」があればできないことはないと、自信満々に教師生活をスタートさせたのです。しかし現場は荒れており、大学で学んだ指導技術は役に立たず、挫折。指導方法を変えたという。

 その指導とは、もっぱら生徒を厳しくしつけるというものです(本人曰く、態度教育)。その指導内容ですが…、遅刻した生徒を全員正座させて、「体罰」呼ばわりされた経験があるせいでしょうか…、本の中ではどこまで厳しかったかは書かれていません。ただ鬼軍曹というあだ名から推測するしかありません。こんな雰囲気じゃなかったのかなー。

 ほめて伸ばすのではなく、叱って潰す、パワハラ教育。それ自体、珍しいものではなく、古くは戸塚ヨットスクール、最近では森友学園の塚本幼稚園など、子どもを叱って芸をさせるのが教育だと信じているサーカス団の団長のような人間が、どこにでもいるものです。

 原田隆史氏の場合、中学生に砲丸投げをやらして、陸上大会で優勝した、ゆえにカリスマ教師であり、生活指導の神様なのだという論法なのですが、ちょっと待ってください。優勝し、日本一になったのは、原田氏ではなく、生徒ではありませんか。原田氏は勝ってないし、カリスマでもない。

 でも、この脳内変換こそが原田メソッドなのです。生徒のがんばりを、全部自分の指導のおかげという具合にすり替えてしまうのです。手柄泥棒。卒業後の生徒の大学進学、社会での活躍までも(自分がまったく関わってないのにもかかわらず)、原田氏の指導の成果として自慢してしまうのです。原田氏がなんでこんな人間になってしまったか? その答えは想像通りのものでした。本のなかにこう書いてあります。

 「私は学生時代から陸上競技をやっていたのですが、選手としては大成しませんでした」、と。結局これなのです、成功にあこがれる成功できない人なのです。子どもの頃に日本一の選手なれなかった原田氏が、大人になって、中学生相手に、“ガキ大将“になっただけなのです。

 子ども相手に威張り散らす人には、なりたいのになれなかったというルーツがある、根拠はないけど、とりあえず言い切っておく。ちなみに原田氏は就職相談に来た生徒に、ブラック企業の王様、ワタミを薦めるというすごいことを、自慢気に本に書いております。原田氏の心の闇がほかにもいろいろと本に書かれているのですが、読むのが辛いので、このへんで失礼いたします。

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2018年6月 4日 (月曜日)

電車で(2)

 「よしなよ」、と作業ズボンをはいた、いかにも建築現場で働いている、という風体の男性が、粘着女性と無実女子の間に仲裁に入ったのです。

 一件落着、と思いきやそうはなりませんでした。粘着女性がケケケケと笑いだし、「超ウケル」「なにいってるの?」「意味わかんない」といって、その男性の姿をスマホのカメラで撮影しだしたのです。電車内の空気が凍りつきました。

 この女は酔っ払いじゃない、精神が病んでいるんだ! と私はすぐに見抜きましたが、男性はただの酔っ払いとしか思っていないらしく、勝手に写真を取るのはやめろと冷静に注意をするのです。それに対し女性がいったのは、「口が臭えんだよ」でございました。そして、引き続きスマホで写真を撮り続けるのです。

 男性が怒り、「やめろ、ブス」と言い返したところで泥仕合に発展。口が臭い、ブス、と互いに罵り合っている、その時です、あさっての方向から、甲高い男性の声が響き渡りました。

 「それはよくない!」と。まったく関係ない第三の(サラリーマン風の)男は、こう主張するのです。口が臭いと言うのは事実だからしかたないが、女性に対してブスという言い方はよくないのではないかと。私は歪んだ正義感の真骨頂を見たような気がしました。

 もはや、正気の人間はこの車両にはいない。私はそう判断し駅に着くやいなや席を立ち、小走りでホームを移動、隣の車両へと逃げ込みました。これで一安心。でももしかして、あの車両にいた人が私のこの行動を見て、真犯人がそそくさと逃亡したぞ、と勘違いしたのでは……、そのことがちょっと気になっているのです。

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2018年6月 1日 (金曜日)

電車で(1)

 「足、踏んだでしょ」と、私の前に立っている女性が、私の右斜め前に立っている女子に対して言った、というよりはからんでいたのです。電車の中で、私が座っている眼の前で、そういう小競り合いが勃発していたのです。

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 酒に酔った女が、無実の女子に粘着しているだなと思い、私のなかの正義がむくむくと湧き上がりました。「やめたまえ」と、心の中でその女性に言いました。あくまでも心の中だけで現実には何にも言わずに、じっとしていたのです。

 下手になんか言うと、自分まで巻き込まれるんじゃないかと……だって女子が足を踏んでないとすれば、ではいったい誰が踏んだのか? あれ? こいつじゃないの? この黙って座っているおっさんじゃねえの! といった具合にすぐ目の前に座っているこの私が容疑者としてスポットライトがあたってしまうのではと、それを危惧していたのです。

 清廉潔白、無罪、ひきこもり聖者である私が犯人呼ばわりされてはたまらない、冤罪だ、冤罪でございます、そんな妄想にとりつかれながら、だんまりを決め込んでいたのでございます。

 そうしている間にも紛争は続き、「踏んだのに、なに黙ってんだよ」「踏んでません」「踏んだろ、とぼけんなよ」「踏んでません」といった具合に、粘着女と無実女子が言い争いを続けていたのです。その時……。(つづく)

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2018年5月28日 (月曜日)

マクドナルドのアイスコーヒー

 足の手術から3週間以上たちました。抜糸も終わり、風呂もはいれる、靴もはける、平日の昼間に近所をうろうろすることもできる、まずは治ったといっていいでしょう。最初7万8千円と言われていた治療費も、限度額適用制度を使うことで、最終的には5万9千円ですみました。よかった。

 気持ちも軽くなったので、通常モードです、いっちょ断捨離でもするかと、使わないバイクのオイルが捨てることにしました。歩いて30分くらいのことろにあるカー用品店に行き、廃油ポイ捨てBOXを429円で買う。けっこう大きなダンボール箱です、それをさらに大きいビニール袋にいれてもらって店を出ました。

 帰り道、このまま家に戻るのもさみしいので図書館に寄りました。いつもどおり本を読み、いつもどおり空想をする、二時間ほど堪能したのち私は帰路につきました。ああ、どっこいしょ、歩き疲れたわい、と部屋の畳のうえに腰をおろした瞬間、あああ、今日買ってきたもの袋ごと全部図書館に忘れてきてしまった、と気づいたのです。

 今日一日なにをしにいったのか分からない。がっかりしました。前にブログに書いたけれど、私がしょっちゅう図書館に忘れるものはスクーターです。ぴゅーっとスクーターで図書館に行き、スタスタ歩いて帰ってくるというのが、かつちゃんの忘れ物パターンなのです。

 翌日。図書館は月に一度の休館日でした。暗澹とした気持ちになりましたが、気持ちを切り替えて、第二の居場所であるファミリーレストランに向かいました。すると入り口のドアにはり紙がしてあるじゃないですか、「混雑時に食事以外のことをして長時間居すわるのはご遠慮いただきます」と。今からやろうとしていた、ドリンクバーで何時間もねばるという、ひとりフリースペースはやめてください、というお店から私へのお願いなのです。

 さすがにこれではと、場所を変えてマクドナルドに行きました。レジにいくと、そこにある下敷きくらいのメニューがあります。メニューには値段の高いセットは大きな文字で書いてあるけど、100円マックみたいな安いメニューは米粒のような小さい文字でしか書いてない、貧乏で目が悪い私にはよく見えないのです。私は当てずっぽうで「アイスコーヒーをください」といいました。するとサイズがSとMがあると言われたので、Mサイズを頼みました。

 客の回転率をあげるために、マクドナルドがわざと店内のイスやテーブルを居心地の悪くしていることは、みなさんもご存知のことと思います。硬いイスに、まな板のような細いテーブル。その狭い空間にちょこんと着席、まずはひとくち、冷たいアイスコーヒーをちゅーと飲んだのです。

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 「うん、マズい、もう一杯!」、おもわずそう声をあげたくなるほど、アイスコーヒーがまずいのです。私は違いの分からない男ですから、家ではインスタントコーヒーを飲んでいます。そんな私にとって、店で飲むレギュラーコーヒーはたいていおいしいものなのですが、これはマズい。

 マズい飲み物にも需要はあります。青汁もそうだし、ドクターペッパーなんていうのもそうです、いわばすき間産業として、マズい飲み物市場が存在しているのです。でもマクドナルドがその市場に参入していたとは知りませんでした。苦すっぱいアイスコーヒーをマズいと思いつつも、最後までちゅーと飲み干しましたぞ。

 翌々日。今度こそと、図書館に忘れ物を取りに行きました。見覚えのあるビニール袋に入ったポイ捨てBOXが、図書カウンターの後ろに保護されていました。私はそれを受け取り、お礼を言って、逃げるように家に帰ったのです。

 あんなデカイ袋を持って図書館に来て、あんなデカイ袋を置いて帰る、変なおじさんとして、図書館の人に認識されたのだなと思うと、しばらくはあの図書館には行きたくない。

 五月は暑くもなく、寒くもなく、草木も花も生き生きしていて、一年で一番いい季節です。吹く風も気持ちいい。私はスクーターに乗って、遠くの図書館まで行き、本を読んだり、空想したりして過ごしておりますよ。

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2018年5月24日 (木曜日)

葬と式に分ける

 寝たきり要介護5の老婆ママンが、そろそろアレなので、図書館で葬儀に関する本をよく読んでいます。葬式本は多々ありますが、素人に対するアドバイスという部分では共通している、どれも言わんとすることはこうです。

 葬式とは 身内が死んでおろおろしているすきに、葬儀屋と坊主が手を組んでおこなう詐欺である、言われるがままにしていると葬式代として130万~150万くらいぽーんと巻き上げられてしまうから、気をつけたまえ、ということなのです。

 しかし葬儀を、まったくやらないわけにはいかない。そこでプロが薦めるやり方というのが、葬と式との分離方式なのです。葬は家族でこじんまりとやり、式は友人たちが中心となってお別れ会(偲ぶ会)のようなものをやる。葬と式とに分ける、それが現代葬のかたちなのです。

 私が気に入ったのは、直葬(ちょくそう)というやつで、これは亡くなったら、そのまま火葬してお終いという、通夜も告別式もやらない、坊主も呼ばないミニマルな葬儀です。それじゃあ、寂しいし、周りが納得しないのではと思ってしまいますが、本人の意志だと言えばそれで通ります。葬儀は無用と言う人はけっこう多いのです。

 坊主なしの直葬なら予算は20万円くらいですむ。これはいい。葬式における坊主の生臭さはハンパでなく、坊主というオプションをつけると、料金はぐんと高くなってしまう。慈悲の人、ゴータマ・ブッダとはなんの関係のない、現代坊主の強欲には驚くばかりですのう。

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2018年5月20日 (日曜日)

人生を終わらせる方法

 35年ローンを組んで家を買えば人生は終わる。莫大な借金です。払う金の半分は利息です。ローンを払い続けるために会社は辞められない、残業も断れない、子どもの教育費はかかる、塾や習いごとにもお金がかかる、奴隷ですな。

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 まあでも35年ローンという途方もないものが組めるのは、正社員で収入があるからであって、我々のような底辺の貧乏人には関係がない。でも貧乏人にだって、これほどの爆発力はないものの、人生を終わらせる方法はある。

 その①、家に金を入れる。信じられないことですが、低賃金、保証なしの時給で働いている貧乏人で貯金もないくせに、親に脅されて、家賃&食費として家にお金をいれる愚か者がいるのです。こんなことをしていては貧しさに拍車がかかり、ゆるやかに人生が終わってしまう。

 正しい実家暮らしとは、家賃も食費も払わず、寄生してちゅーちゅー吸う暮らしのことです。それなのになぜ「家に金を入れろ」となんて言う、空気の読めない親がいるかというと、それは昭和世代の錯覚なのです。昭和の時代は、年老いた貧しい親と、稼いでいるサラリーマンの子どもというのが標準でした。親よりも子どものほうが金をもっているという世の中でしたから、子どもからの仕送りもあるし、家に金を入れるという習慣もあった。しかし今の時代、どう考えたって親の世代のほうが経済的に豊かです。親の方が金を持っている。だから家にお金をいれるのは、貧乏人が金持ちに施しをしてやるようなもので、間違った行為なのです。

 その②、親に借りた金を返す。信じられないことですが、低賃金、保証なしの時給で働いている貧乏人で貯金もないくせに、親に脅されて、親に借りたお金を返す人がおるのです。そんなものは返さなくてよろしい。無利息の親借金を返す余裕があるほど裕福な人がいるだろうか。返さなくても特に問題にならない相手の借金を返済する理由がない。まず自分の貧しすぎる生活をすこしでも豊かにする、そのうえで少しは貯金する、それでもなお十分お金が残るのであれば、少しくらい親借金を返してもいい、親借金は優先順位としては最下位です。

 仕送りのように、親にお金を渡すことは、かつては親孝行の証でした。けれども、今の時代にそれをやるのは、よほど親が恩着せがましい人格の悪い毒親で、その呪いにかかった子どもがついやってしまう哀れな行動でしかない。親にお金を払う貧乏人は、みんな悪い顔をしている、払いたくないのに嫌々払い続けているうちに人相が悪くなるのです。やめたほうがいい。

 お金は、ある人がない人にあげるもの、その真理を忘れてはいけない。

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2018年5月17日 (木曜日)

なかなかヤフオクで売れなくなってきた

 いらない物はヤフオクで売ればいいとずっと考えてきたし、たびたび出品もしてきた。でも、どうにも昨年末くらいから、何を出品してもちっとも売れないのです。

 ヤフオクが悪いのかとも思い、メルカリやアマゾンのマーケットプレイスにも出品してみたけど、最安値にもかかわらず売れない。

 なぜか。これは日本のゴミ屋敷業界の人たちがいっせいに断捨離をはじめ、ミニマリストを目指しはじめたからじゃないのか。かくいう私もミニマリストという強迫観念に追われて家にあるものを捨てすぎる人たちに憧れをいだいている。なんにもない部屋にごろんと寝そべるのはとても気持ちよさそうだ。

 駿河屋やブックオフのようなリサイクル店の買取りが渋くなったのも、売る人ばっかりで、買う人が少なくなったせいではないか。捨てたい、片づけたい、その第一歩は「ゴミを買う」のをやめることから始まる。

 ゴミバブルがはじけて、宝物だと思っていた本やCDが、1円の値もつかない時代がもうすぐやって来る、かもしれないという妄想に襲われながら、コツコツとヤフオクにゴミを出品しています。買うのは簡単だが、売るのは大変、なかなか売れないのです。

ヤフオク

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