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2018年6月29日 (金曜日)

チンパンジーの悟り

 狭くて暗いところに入り、そして二度と出てこない。これが私の考える「死」のイメージです。天国も地獄もない。

 いずれ自分も死ぬ、絶対に逃れることはできない。なんとか死の恐怖から解放されたいなと思うのですが、凡夫ゆえに悟りをひらくこともできず、ひたひたと近づく死に恐れおののいております。

 人間だけが、死というのを知っている。チンパンジーに死の概念はない。死に至る病におかされ、日々衰弱していったとしても、チンパンジーは気分が暗くなったり、絶望したりするとことはないという。いつもどおりの明るさで、飼育員に愛嬌を振りまき続けるんだって。えらい、ゴータマ・ブッダ級の悟りだよな、私もチンパンジーになりたい。

Tinpa1

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2018年6月23日 (土曜日)

かやいいやはああはーーー

 「うふーふー」「うえいうえうー」「でいてえー、でいてえー」 これなーんだ? 正解は、朝から晩まで勝山家に響き渡る、寝たきり要介護5老婆ママンのおたけびでした。正解できなった人は幸せですよ。

 寝ている時とヘルパーさんが来ている時以外は、基本的にこのようなおたけびが家でこだましております。老婆ママンのおたけび自体は以前からあったんです。が、だんだんインフレ化が進んできて、今ではほぼ一日中、老婆が「おたけんでいる」しだいあります。

 なぜ、おたけびなのか。ひとつは、病状が進み舌が自由に動かせず話ができないから。そしてなにより、おたけびをあげると、介護をしている老爺がなんでも言うことを聞いてしまうからなのです。

 とはいうものの、老々介護には限度があります。なんでも言うことを聞くというわけにはいきません。今はできないよ、あとでね、と断る時も当然あるわけです。しかしそんな生ぬるい拒否が通用するわけもありません。寝たきり老婆ママンがおたけびをあげ続ければ、無理が通り、道理が引っ込む、最終的に寝たきり老婆ママンの命令に服従することになります。

 最近、介護の手伝いに妹も頻繁に来るようになりました。これも元をただせば、おたけびの力でございます。寝たきり老婆がおたけびを上げ続ける→困り果てた老爺が妹に電話する→妹が介護の手伝いに来る、といったまるで戦国時代ののろしのような、司令系統によって実現したことなのです。

 しかし妹も忙しいですから、いつでもこれるわけではありません。今日は無理、また別の日にね、と断ることも当然あります。でもその程度の生ぬるい拒否では、老婆ママンのおたけびに吹き飛ばされてしまいます。無理が通り、道理が引っ込む、来れないはずだった妹もちゃんと来るのです。

 老婆ママンの趣味はベランダ園芸で、いまもマリーゴールドの花がきれいに咲き誇っております。おやおや? 老婆ママンは寝たきりでじゃないか、園芸は出来ないのでは……。それが出来るのです。おたけびを上げれば良いのです。

 「ふうううううーーー」「はあああああーーーっ」「かいやいいやはああはーー」、寝たきり老婆ママンがおたけびをあげると、催眠術にかかったかのように、老爺はホームセンターに行き苗を買ってきます、それを妹が鉢に植え、うつくしいベランダガーデニングが完成するのです。

 老婆ママンの介護をせず、妖魔術から逃れている私ですが、ひとつ屋根の下で暮らしている以上、おたけびからは逃れることができません。絶えずBGMとして、老婆のおたけびが聞こえてきます。さすがの私も「このままでは精神が破壊されてしまう」と思うほど、追いつめられております。

 地獄とは死んだあとに堕ちるところと思っていましだか、どうもそうではないようです。「いまでしょ!」とドヤ顔で言ってやりたくなるような、そんな有り様なのでございます。

マリーゴールド

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2018年6月20日 (水曜日)

図書館ウォーキング

 健康のために1日1万歩、歩こうと決意したものの、ちっともできていません。梅雨で雨ばかりというのもありますが、それよりなにより、どこにも行くあてがない、歩く目的地がないというのが一番の理由です。

 それならばと、私が実践しているのが、図書館の本棚の間を歩きまわる、図書館ウォーキングです。けして広いとはいえない図書館の中を歩き回り、100歩、200歩と歩数を稼ぐ地味な運動です。読む、立つ、歩く、の繰り返し。家から図書館への往復と、図書館ウォーキングを合わせると、1日5000歩くらいにはなりますかな。

 いかがなものでしょう。なんだか、ひきこもり生活もどんづまってまいりましたが、一生懸命歩いておりますぞ。🐙エッヘン

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2018年6月15日 (金曜日)

原田メソッド隆史とクラスジャパン

 クラスジャパンについては前にもブログに書きました。その後、クラスジャパンはネットで話題になり、批判されたりもして、Webサイトから「日本全国の不登校者全員の教育に取り組み 通学していた学校に戻す」の文字が消えたりもしました。しかし頑なに変えず、守り通している部分もある。それが、

 クラスジャパン会長、原田隆史氏の提唱する原田メソッドなのです。ならば仕方がありません、図書館で先生の御著書を借りてまいりました。原田隆史『カリスマ体育教師の常勝教育』でございます。

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 原田隆史とは、「鬼軍曹だとかヒトラー、マッカーサーというあだ名までつ」いた、元・中学校の体育教師です。「誰からも愛される楽しい先生」になろうと教壇に立った原田氏は、「夢・理想・ガッツ」があればできないことはないと、自信満々に教師生活をスタートさせたのです。しかし現場は荒れており、大学で学んだ指導技術は役に立たず、挫折。指導方法を変えたという。

 その指導とは、もっぱら生徒を厳しくしつけるというものです(本人曰く、態度教育)。その指導内容ですが…、遅刻した生徒を全員正座させて、「体罰」呼ばわりされた経験があるせいでしょうか…、本の中ではどこまで厳しかったかは書かれていません。ただ鬼軍曹というあだ名から推測するしかありません。こんな雰囲気じゃなかったのかなー。

 ほめて伸ばすのではなく、叱って潰す、パワハラ教育。それ自体、珍しいものではなく、古くは戸塚ヨットスクール、最近では森友学園の塚本幼稚園など、子どもを叱って芸をさせるのが教育だと信じているサーカス団の団長のような人間が、どこにでもいるものです。

 原田隆史氏の場合、中学生に砲丸投げをやらして、陸上大会で優勝した、ゆえにカリスマ教師であり、生活指導の神様なのだという論法なのですが、ちょっと待ってください。優勝し、日本一になったのは、原田氏ではなく、生徒ではありませんか。原田氏は勝ってないし、カリスマでもない。

 でも、この脳内変換こそが原田メソッドなのです。生徒のがんばりを、全部自分の指導のおかげという具合にすり替えてしまうのです。手柄泥棒。卒業後の生徒の大学進学、社会での活躍までも(自分がまったく関わってないのにもかかわらず)、原田氏の指導の成果として自慢してしまうのです。原田氏がなんでこんな人間になってしまったか? その答えは想像通りのものでした。本のなかにこう書いてあります。

 「私は学生時代から陸上競技をやっていたのですが、選手としては大成しませんでした」、と。結局これなのです、成功にあこがれる成功できない人なのです。子どもの頃に日本一の選手なれなかった原田氏が、大人になって、中学生相手に、“ガキ大将“になっただけなのです。

 子ども相手に威張り散らす人には、なりたいのになれなかったというルーツがある、根拠はないけど、とりあえず言い切っておく。ちなみに原田氏は就職相談に来た生徒に、ブラック企業の王様、ワタミを薦めるというすごいことを、自慢気に本に書いております。原田氏の心の闇がほかにもいろいろと本に書かれているのですが、読むのが辛いので、このへんで失礼いたします。

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2018年6月11日 (月曜日)

ひきこもりと社会と世間

 社会も世間も、同じような意味で使われている言葉ですが、しいて言えば、社会のほうが広く、世間は狭い。

 ひきこもりについて語られるとき、それは社会の問題だということにはなっていますが、じつのところ世間という狭い範囲から抜け出ていない。ひきこもりに対し、今はいいけど将来はどうするんだ? なんていう脅しは社会的でも、社会学でもない。世間からのお叱りでしかありません。

 働きもせず、税金も納めていないくせに、権利ばかりと主張するな、というひきこもり叩きを最近目にしました。この手の批判にはまったく社会的視点はなく、狭い世間があるだけです。権利とは、労働と引き換えに手に入れるものではありません。税金で買うものでもありません。特定の条件を満たさないと権利が得られない、なんてことはないのです。

 世間とはなんなのか。それは家庭、学校、会社など、その人の住んでいる世界の当たり前に従って生きている人が入る、鍵のついてない檻のようなものだと思います。出ようと思えばいつでも出られる世間という檻のなかで、自分より弱い立場の人を見つけては、働け、税金納めろ、権利ばかり主張するなと、いって鬱憤晴らしを続ける人がいるのです。

 でも、だからなんだというのでしょうか。私たちは、当たり前に従って生きるなんていうことを、とっくの昔に捨て去った侏儒ではございませんか。世間様の言うことなんぞしったことではありません。好きなことを見つけて、好きなことをやる、どーんと行きましょう。

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2018年6月 4日 (月曜日)

電車で(2)

 「よしなよ」、と作業ズボンをはいた、いかにも建築現場で働いている、という風体の男性が、粘着女性と無実女子の間に仲裁に入ったのです。

 一件落着、と思いきやそうはなりませんでした。粘着女性がケケケケと笑いだし、「超ウケル」「なにいってるの?」「意味わかんない」といって、その男性の姿をスマホのカメラで撮影しだしたのです。電車内の空気が凍りつきました。

 この女は酔っ払いじゃない、精神が病んでいるんだ! と私はすぐに見抜きましたが、男性はただの酔っ払いとしか思っていないらしく、勝手に写真を取るのはやめろと冷静に注意をするのです。それに対し女性がいったのは、「口が臭えんだよ」でございました。そして、引き続きスマホで写真を撮り続けるのです。

 男性が怒り、「やめろ、ブス」と言い返したところで泥仕合に発展。口が臭い、ブス、と互いに罵り合っている、その時です、あさっての方向から、甲高い男性の声が響き渡りました。

 「それはよくない!」と。まったく関係ない第三の(サラリーマン風の)男は、こう主張するのです。口が臭いと言うのは事実だからしかたないが、女性に対してブスという言い方はよくないのではないかと。私は歪んだ正義感の真骨頂を見たような気がしました。

 もはや、正気の人間はこの車両にはいない。私はそう判断し駅に着くやいなや席を立ち、小走りでホームを移動、隣の車両へと逃げ込みました。これで一安心。でももしかして、あの車両にいた人が私のこの行動を見て、真犯人がそそくさと逃亡したぞ、と勘違いしたのでは……、そのことがちょっと気になっているのです。

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2018年6月 1日 (金曜日)

電車で(1)

 「足、踏んだでしょ」と、私の前に立っている女性が、私の右斜め前に立っている女子に対して言った、というよりはからんでいたのです。電車の中で、私が座っている眼の前で、そういう小競り合いが勃発していたのです。

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 酒に酔った女が、無実の女子に粘着しているだなと思い、私のなかの正義がむくむくと湧き上がりました。「やめたまえ」と、心の中でその女性に言いました。あくまでも心の中だけで現実には何にも言わずに、じっとしていたのです。

 下手になんか言うと、自分まで巻き込まれるんじゃないかと……だって女子が足を踏んでないとすれば、ではいったい誰が踏んだのか? あれ? こいつじゃないの? この黙って座っているおっさんじゃねえの! といった具合にすぐ目の前に座っているこの私が容疑者としてスポットライトがあたってしまうのではと、それを危惧していたのです。

 清廉潔白、無罪、ひきこもり聖者である私が犯人呼ばわりされてはたまらない、冤罪だ、冤罪でございます、そんな妄想にとりつかれながら、だんまりを決め込んでいたのでございます。

 そうしている間にも紛争は続き、「踏んだのに、なに黙ってんだよ」「踏んでません」「踏んだろ、とぼけんなよ」「踏んでません」といった具合に、粘着女と無実女子が言い争いを続けていたのです。その時……。(つづく)

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