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2018年3月31日 (土曜日)

〆切り

 田山花袋が本の中で、〆切りに合わせてつまらないものを書き、つまらないものを発表して、つまらない人と思われるのはつらい、というようなことを書いていた。
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 まったくその通りだ。たかがブログであっても、つまらないと思われるのはつらいから、時間がかかっても、少しでも面白いものを書きたいと思う。思うがゆえに、ついつい更新が滞ってしまう。

 田山花袋は小説家だから、雑誌の〆切というものがあり、最終的にはそれに合わせて、書くわけです。

 でもブログには〆切がない。ただ更新がない、状態になるだけ。そして久しぶりに、苦労して書いた記事というのは、意外とぱっとしないものだったりする、つらい。

 やはり週に1回は空想〆切りというのを自分の中につくって、こまめに更新していったほうがいい。しょせんブログである。つまらないと思われることに怯えるより、書くことそのものに喜び感じて、満足するのがいちばんだ。自己満足で勝ち組だぞ。🐙

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2018年3月23日 (金曜日)

クーデター失敗

 老婆ママン(推定74歳)が要介護5の完全寝たきりになってだいぶたつ。私は老婆マンとは、ハブとマングース以上に仲が悪いので、介護はしないと宣言をしており、実際になにもしていません。年老いた老爺ダディがひとりでママンの介護をしているのです。

 世間での介護がどういうものか知らないのですが、勝山家では、ママンが介護するダディーに向かい「バカ野郎」「冷酷人間」「尊厳(を傷つけるな)」と叱咤罵倒する、地獄となっております。歴史の授業で習った、白人と黒人奴隷の関係って、きっとこんな感じだったじゃないかなー。

 さて、ある日のこと、ダディーからママンの病名が判明したと聞かされました。難病、大脳皮質基底核変性症だったのです。ちょっと病気の度合いがひどいと思ってはいましたが、実は困っている人級の難病サバイバーだったとは。

 少し驚くとともに、難病が発覚した「今」こそ、胸に秘めていた介護奴隷ダディー開放計画を実行するときであると思いました、ひきこもりリンカーンが立ち上がる時は今しかない、私はダディーに言いました、

 「特養老人ホームにいれよう」と。老婆の世話は無理でも、老人ホームとのやりとりくらいは、ひきこもり親孝行息子の私でもやれる、最後にして最大の親孝行計画をダディーに提案したのです。すると…、

 「あっはっはっはっはっ」
 と、ダディーの高笑い。そして、話は終了。笑いごととして話がおしまいになってしまいました。あまりの反応に呆然としていると、地獄の鼎から、地の底に落ちたカンダタの声ともおぼしき、うなり声が介護ベットから聞こえてくるのです。寝たきり老婆ママンです。

 「うごお、ふごう!」
 何度も何度も、この言葉を繰り返します。もう病状が進み、何を話しているか聞き取れない、何を言っているか分からない。しかし、執念深く何度もいうので、じきに言葉の意味がわかりました。
 「うごお、ふごう!(親不孝!)」
 と言っていたのです。

 ママンの地獄耳に、いささかの衰えもなし。すべて聞いていたぞ、親不孝め。老人ホームなんぞに行くもんかい、と憤慨し、人殺しみたいな顔でベッドに横たわっていました。

 いったい何が親不孝者なのか、おおいに不本意でありましたが、ダディーによって一笑にふされてしまった以上、なすすべがありません。こうして、老婆ママンを老人ホームにいれる計画は失敗に終わったのであります。

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2018年3月15日 (木曜日)

魔モノ PC-6001

 私が記憶する手痛い失敗の一つは、NECのPC-6001を購入してしまったことです。

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 ばーん。もう現物は持っていないので、ネットで拾ってきた画像です。1981年発売、これを「一生のお願いだから」と父に頭を下げて買ってもらったのが、小学校5年生のとき。見てもわからない人のために説明しておくと、パソコンです、当時はマイコンと呼んでいた、マイクロコンピューターの略ですぞ。

 魔モノである。緑の画面の悪魔である。現代人には話しても信じてもらえないかもしれないが、画面は基本的に緑一色。モノクロ(白黒)ではなく、緑。古代コンピューター社会では、緑は目にいいという信仰があったため、画面が緑なのです。

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 ↑これが起動直後のスタート画面です。なんだか分からないでしょ。プログラミング言語はBASIC。こんなものを7万円くらいだして買ってしまった。これさえ買えば、あとは自分でどんどんBASICをつかってゲームを作れる、ずっとゲームが無料でやり続けられるという、小学生なりの野望(妄想)があったのです。
 
 記録媒体はカセットテープ。音楽を聞くあのカセットテープにゲームのデータも入っている。ロードするときは、ガーーーー、ピーーーーーーと音を立てるカセットを聞きながら、30分以上待たなければならない。じっと耐えていると、『ミステリーハウス』のようなアドベンチャーゲームもできた。

 そんな緑の魔モノに一喜一憂していた、その一年後に、遥かに性能が良くて、安いゲーム機、任天堂のファミリーコンピューター、ファミコンが誕生したのです。

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 比べるのも任天堂に失礼と、思うくらい格が違った。ファミコンの性能はゲームセンターのゲームと比べても遜色がない。

 私は途方に暮れました。小学生にはあまりに高価なものを、一生の頼みだといって買ってもらった、そうして手に入れたものが、一年後に「産業廃棄物」になってしまったからです。

 以後、パソコンというものはダメだという考え持ち、さらに汎用機というものはダメなんだ、専用機のほうがすぐれているという、ゆがんだ価値観がまで持つようになった。14年後、Windows95が登場し、パソコンブームが来ても、私は見向きもしなかった。元パソコン経験者として、パソコンがいかにダメなのものであるかを友だち相手に説得してまわった。PC-6001の呪いであります。

 そんな私が、初めてパソコンに触ったのはそれから三年後で、ウインドウズ98が発売になってからです。すぐに私はパソコンになじみ、インターネットになじみ、以後パソコンなしの生活は考えられなくなるほど好きになったのでした。

 パソコンに目をつけるのがちょっと早すぎた。早すぎると言うと、時代の一歩先をいっていてかっこいいことのように思うが、実際、時代の一歩先とは、緑の魔モノを高値でつかまさせるという、ろくでもない地獄なのです。あれ以来、特に電化製品に対しては、少し遅れるくらいでちょうどよいという、消極的な考えで生きております。

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2018年3月 9日 (金曜日)

ふざけるな岩波文庫! 『アブサロム、アブサロム!』

 小説に関して、古今東西の名作と呼ばれるものは一通り読んできた、と常にふかしている、ひきこもりおじさんです。だいたい読んでいるつもりなのですが読んでいない本が多々あるのも事実です。特に海外文学の長編をあまり読んでいない。翻訳調の変な日本語を、何巻も読むのは一苦労、二苦労なので、避けてきたのです。

 それでも、ひきこもり文人として、読まねばならぬと思っていくつかは読んできた。そして今回挑戦し、私を今までの読書で体験したことのない、どん底に落とし込んでくれた本が、フォークナーの『アブサロム、アブサロム!』(岩波文庫)です。ポイントは岩波文庫版であること。ゆるさないぞ、岩波書店!

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 ネットに、名作だが、なかなか最後まで読むことができずに挫折する人が多い、海外文学ベスト3、みたいなことが書いてあって、ドフトエフスキー『カラマーゾフの兄弟』、ガルシア=マルケス『百年の孤独』、フォークナー『アブサロム、アブサロム!』の3つがあげられていた。

 さもありなん、といったラインナップです。私は最後の「アブサロム」だけ読んでいなかった。フォークナーの代表作は、『八月の光』『死の床に横たわりて』と思っていたのですが、どうもネットで調べると「アブサロム」もフォークナーの重要な作品であるようです、すっかり見落としていた。

 フォークナー、アメリカの作家である。ノーベル文学賞作家。郵便配達員をやりながら、小説を書いていたことでも知られる、世界一有名なゆうメイト作家でもあります。フォークナーの小説の舞台はいつもアメリカ南部で、出てくるのは黒人のことをニガー(黒んぼ)とよぶ、差別と偏見に満ちた白人ばかりです。カーボーイハットにそばかすヅラで、黒人奴隷解放に反対して、リンカーンひきいる北軍と四年間も戦って、そして負けた、あの白人連中ばかりが出てくる小説しか、フォークナーは基本的には書きません。

 小説の舞台のアメリカ南部は、白人の主人が、黒人の召使いをムチでぶったたき、そのあとで「どうかこの無知で哀れな黒んぼが天国にいけますように」と涙をながして神様にお願いする、そんな敬虔なキリスト教徒の白人しか住んでいない田舎町です。『アブサロム、アブサロム!』も例外ではありません。

 さあ、これからは小説の内容について話しますので、これから「アブサロム」を読もうと思っている人は、読まないほうがいい。ストーリーがわかってしまうからね。『アブサロム、アブサロム!』とは、南部の田舎町に突然やってきた男、サトペンが一文無しから大地主へとのし上がり、富と力を得るも、最後にはすべてを失うという物語です。サトペンが何のためにこの町に来たのか、どうやってのしあがったのが、なぜ破滅したのか、それらが語られていく。

 とある大学生が老婆の家に呼び出される。老婆が大学生相手に、今は亡きサトペンについて語りだす、ネチネチ、ネチネチ語るのです。粘着トーク。そもそもなぜ大学生が呼ばれたのか、なぜ急にサトペンについて語るのか、まあ待ちなされ、いまから話すから、あわてるでない、と言った具合に、ゆっくりと婆さんが、ねちねち語るが、長く、もったいぶった語り口に、ああああ、イライラする。

 婆さんの話が長すぎるので、大学生はいったん家に帰る。すると家には、古い手紙をもった父親がいる。その手紙はサトペンの家族からもらったもので、なぜその手紙がうちにあるのか、なぜあの婆さんが急にお前に、サトペンの話をし始めたのか、今度は父親がネチネチ、ネチネチ語り始めるのです。父から子へ、一方通行の粘着トーク。この父親も婆さん同様、サトペンについて、もったいぶりながら、ねちねちと、サトペンという男の栄枯盛衰について語っていくのです。ああああ、イライラする。

 果てしない、粘着トーク。町に住む見知らぬ婆さんと、自分の父親に、サトペンという男について一日中ねちねち話を聞かされる大学生と、同じ立場で話を聞くことになる。、そして少しずつ読者はサトペンについて知るのです。そのねちねち話が一区切りついたところで、上巻が終了です。

 全2巻だから、ちょうど半分。ここで、私が文学小説を読むにあたって、特に海外文学長編を読むにあたって気をつけていることを紹介したい、それは、家系図とか、解説とか、登場人物の説明とかを、読まないこと。文庫の巻末とかに、小説内の人間関係をわかりやすくするための図がついている場合がありますが、あれを私は見ないのです。

 家系図が特にダメ。ネタバレの宝庫。この人と、この人が結婚するんだ、ということが家系図をみると最初から、小説を読まずして分かっています。こういうのが小説の興を削ぐんです。長編小説の場合は、短編と違ってストーリーが重要ですから、登場人物がこの後どういう人生をたどるか、わからないまま読んだほうがずっとおもしろい。

 だから私は、この岩波文庫版『アブサロム、アブサロム!』の、巻頭についている、サトペン家系図も、各章の説明も、町の地図も見ないで、ただ小説だけを読んでいたのです。ノーヒント、前知識を何も持たずに読む、丸腰環境をととのえて、この名作小説に挑んでいたのです。

 しかし、上巻を読み終えたので、まあおおよそ舞台である、アメリカ南部の田舎の町についてはわかった、そうおもって、つい油断して、巻頭(の12ページ)にのっている、地図を見てしまったのです。そこで、かつてない衝撃(ド肝と尻子玉を同時に抜かれたほどの)を受けたのです、地図の上のほうには、こう書かれていました。

 ○○が○○に殺された場所

 ママー、ママー、ネタバレだよーーっ。○○には当然、小説の登場人物の名前が書いてある。このブログでは伏せ字にしたが、実際ははっきり書いてある。上下巻の上巻には書かれていない出来事が、おそらく下巻で起こるのであろうことが、そして推測するに、おそらくこれが、この小説のクライマックスであろうと思われる出来事が、巻頭の地図に書いてある。どの場所で、誰が、誰に、「殺される」かってことまで、分かってしまった。

 おい岩波書店! ありえねえネタバレだろ、犯人と被害者同時ネタバレって、どうすんだよ、何を心の支えにして下巻を読めばいいんだよ、もう分かっちゃったじゃないか、あいつにここで殺されるんだろ。おい、翻訳者、藤平郁子! お前これでいいと思っているのか! おい岩波書店、ふざけんなよ、ゲームの攻略本じゃねえんだぞ、いや攻略本ならこの部分は袋とじにしてるよ、クライマックスを一方的にバラすってひどすぎるじゃないか。いろんな小説を、数え切れないくらい読んできたけど、こんなの地獄は生まれて初めて、壮大な小説のネタバレが、「地図」にかいてある。巻頭だぞ、巻末じゃないんだぞ。

 『アブサロム、アブサロム!』被害者の会というのを立ち上げて、岩波書店の編集者をねちねち説教してやりたい。文学というものをまったく理解していない、ゲーム攻略本育ちの編集者が本をつくるから、こんな岩波ネタバレ文庫ができてしまうのです。もうこれ以上被害者を増やさないためにも、ここに警告を発しておく。

 岩波文庫版『アブサロム、アブサロム!』を読むときは最初に、巻頭の、小説以外の部分、家系図や地図の部分を、破り捨てろ。破り捨ててから読むべし。もしくは素直に、ほかの出版社から出ているものを読むべし、例えば講談社学芸文庫とかね。🐼むんむん

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2018年3月 2日 (金曜日)

クラスジャパンとは

 クラスジャパンとは、人口減少が原因で起こる課題は、不登校の子どもへの教育で解決できる、と考える一般財団法人です。http://cjed.org/lp/ 

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  「ズコー!」、の一言で終わらせたい。クラスジャパンを批判するのは、面倒くさし、不毛である。しかし、ちょっとだけ書いておこう。事態は深刻だからだ。教育機会確保法という法律ができたせいで、クラスジャパンもできたのです。


 クラスジャパンという団体が主張する、人口減少問題を不登校対策で解決するという思想自体は、筋の通らないひどいものだ。トンデモ団体、カルト、そんな悪口で切り捨てたいところです。でも教育機会確保法を利用するという点からみれば、彼らは正しく法律を理解している。まっとうですらある。この法律を使って、国の税金を民間に流すことが可能だと知ったうえで、それをやろうとしているんだから、完璧だ(悪い意味で)。

 競争の激しい民間で商売するのは大変なことです、国相手に商売したほうがずっと楽だし、儲かります。だから商売人としての目の付けどころに間違いはない。今後、こんなような団体が次々できてくるだろう。

 国を相手の商売……では国は何に対してお金を払うのか。学校復帰ということになるんだろうけど、具体的には、不登校児童生徒の出席ということになる。相当期間欠席をしているのが不登校なのだから、それを解決するには結局のところ、出席しかない。出席を買う。

 不登校の子どもを、どれだけ出席(出席扱いも含めて)させるか。出席はプラス評価に、欠席はマイナス評価になる。ひきこもり就労支援における支援団体の評価が、(バイトでも中間就労でも)就職させればプラス、無職のままならマイナス評価になるのと同じシステムです。だから…、ひきこもり就労支援施設の近所には、ひきこもりなら誰でも雇うリサイクルショップやクリーニング屋がある、とか、ない、とか。あわわわ。話がそれましたな。

 不登校児童生徒を出席させることができないと、業者にとってはマイナス評価になり、委託事業という名の助成金を打ち切られてしまう。だから国、文科省に評価してもらうために、事業者は、学校に通わせるか、それがダメなら特例校、適応指導教室、(認可された)フリースクール、それでもだめなら(認可された)通信教育などで、とにかく勉強させて、なんとか出席または「出席扱い」を獲得する。「出席扱い」、便利な言葉である、お金になる言葉である。

 出席扱いは学校復帰とセットで、学校復帰を目指している不登校児童だけが出席扱いにしてもらえる(可能性がある)のです。クラスジャパンがミッションとして「日本全国の不登校者全員の教育に取り組み 通学していた学校に戻す」ことを掲げているのには、ちゃんと意味があります。

 インターネットで通信教育をやらせて、出席扱いを狙うのが、不登校事業者の一番の仕事となるだろう。ネットで公文式みたいなことをやらせて、小中学校を過ごし、高校からは通信制高校に通う。不登校ベルトコンベア。くだらない勉強はいやだが、しかし、とことん、くだらない勉強が追いかけてくる。つらいですのう。🐙

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