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2018年2月28日 (水曜日)

テストで点をとるための教育

 教育機会確保法というものができてから一年以上がたった。「法律ができても、そう変わらないのでは」「今まで通りにやっていけばいい」といったのんびりとした意見もありましたが、やっぱりそんなわけにはいかんのです、ここにきてゴリッと法律の種が芽をふき、花を咲かせてきたぞ。

全国初「分教室型」、東京・調布に不登校特例校 ←読売新聞

調布市立第七中学校「はしうち教室」の開設 ←調布市

 ばーん。東京都調布市に不登校特例校という名の、「分教室」ができる。イメージとしては田舎の分校に近い…かな。中学校から約1キロ離れた(近いな)スポーツ施設2階にあり、そこはもともとは適応指導教室(学校復帰のために適応指導するところ)だったところ。教育機会確保法の成立を受けて、はりきって、リニューアルオープンするのです。

 「やったーーー! 多様な教育が実現したぞーーーっ」て、喜んでいるやついるのかなあ。これぞ分ける教育。様々な境遇の子と一緒に育つことで、他人を尊重できるようになるというような教育理念は蹴っ飛ばして、様々な境遇の子を分教室へと隔離してしまう、ちっとも多様ではないシステムなんじゃないの。

 法案からは多様の文字はことごとく外されていたので、こうなるのもまあ当然で、不本意であるが、なるようになったと言える。で、どんな実害があるだろうか。今は調布市だけだが、そのうち全国にも特例不登校分教室ができてくるだろう、そうなれば当然、全国で、学校行かないのなら、特例分教室に行きなさい、という流れになるんじゃないだろうか。

 だってお前ら不登校児のために作ってあげた、ありがたい分教室なんだぞ。お前たち不登校児を収容するためだけに作られた施設なんだ。授業時間は10%ほど少なくしてあげた、個別学習で教えてあげる、お前らコミュ障のためにコミュニケーションスキルトレーニングまでもしてあげる。

 しかし、当事者にとっては、よけいなお世話である。迷惑である。このおせっかいな極まりない内容こそ、適応指導教室で繰り返されてきた、学校復帰のための訓練、不登校対策の王道メニューじゃないか。多少ゆるくなっているのは、この分教室の狙いが、中学校への復帰ではなく、中学は不登校でいいから、勉強して、遅れを取り戻して、定時制か通信制の高校に進学しなはれ、という狙いなんだと個人的に推測している。高校からの学校復帰でええやん。定時制、通信制高校に行きなはれ政策じゃないの。

 分教室に通学すれば、出席扱い、内申書も書いてもらえる、高校も進学できるぞ、そんなエサをまく一方、通わなければ、欠席、内申書白紙、中卒確定という脅しがこめられている。ここが怖い。教育機会確保法は年齢にかかわらずということなので、まさか、そんなひどいことはしないはず、と思うけれども、留年(落第)させてでも教育をさせられるのでは、と考えたら、分教室に行かないという選択はかなり勇気がいる。

 学校なんて一日も行かなくても卒業できた、今までは。ただし教育機会確保法ができたせいで、卒業できる? かはまだはっきりとしていない。出席扱いというものの、価値がぐーーーんとあがった。

 ろくでもないなと私は思うが、これができたことが、さもいいニュースであるようネットに書いている人もいる。困ったことだ、困ったことだが、この話はこれくらいにして、ここからは、ひきこもり教育大臣の誇大妄想演説をやらせていただきたい。教育とはなにか、俺が言うしかない、以下、空想よもやまばなしです。



 テストで点をとるための教育、いかがなものでしょうか。学校教育とは何か、と問われれば、それはテストで点をとるための訓練であると言いたい。100点をとれば俺は頭がいいなと優越感にひたり、0点をとれば俺はバカだと劣等感に打ちひしがれる。記憶くらべで他人より優れていることを目指すのが、学校教育になっているというか、それが文科省のやらせたいことなのです。

 個人的に、目の前の勉強を嫌がる子どもに勉強させるのは難しい。でも日本国民全員に勉強をさせようとするのは簡単です。国勢調査のように、日本国民全員に国勢学力テストをおこない、1位から日本の最下位、1億2500万位まで順位をつけて、成績を発表してやればいい。

 テストで順位をつける。そうすれば必ず、みんな競争を始める。もっと上にとか、これ以上下がらないようにとか、せめてこれくらいは、とかいろいろな理由で競い合う。しかしどんなに努力しても、1番がいるし、びりもいる、できる人もいれば、できない人もいる。

 できない人が、できる人に対して「負け犬根性」を持ち続けてくれれば、テストで点をとるための教育の目的は達成なのです。できない、劣っている、ぼくは頭が悪い、なんて思い続けて平凡にいじけながら80年間生きてくれればそれでいい。負け犬根性がなければ、スーツにネクタイをしめ満員電車に乗り、給料のために、人生のほとんどを費やすなんてことはできません。テストに負けて、競争に負け、自分なんてたいした人間ではないと分をわきまえて低賃金労働者として生きていくしかないと思い込んでくれないと国と企業が困る。

 ただテストには欠点であり、長所でもある部分があって、それは頭がいい、記憶力のいいやつが必ず勝つ、とは限らないところ。頭が悪い、記憶力もよくない、そんな人間でも逆転のチャンスがある。それが詰め込み教育! とにかく長時間、詰め込んで、詰め込んで、尋常じゃない努力をして、ひたすら暗記をすれば、頭のいい人を打ち負かすことも可能です。テストに出る部分だけをひたらす暗記する。まあたいていの受験生ってこれをやっているよな。

 しかし悲しいかな、みんながみんなテスト対策で詰め込み暗記をやるから効果がない。出し抜けない。もともと頭のいい、記憶力のいい人たちもやるので、差は開くばかりだ。それなのにだからといってやらないと、自分よりも下だと思っていた人に、どんどん追い抜かされてしまう。競争だ、受験戦争だ、やだ、やだ、どうすればいいか。

 やめなはれ。はよ、やめなはれ。ひきこもり教育大臣として、テストを受けるなと言いたい。そうすれば勝ち組だよ。一生、テストで点をとるための訓練から開放される。これは一生、学ばないという意味ではない、点をとるための訓練をやらないだけです。価値をはかるモノサシをかえる、マイものさしを持つ、テストの点の高い低いなんて、別にどうでもいいんだ。記憶力はたくさんある能力のひとつである、それだけ。むしろ、記憶した知識を、いつ、どこで、出すかのほうがポイント。それがうまい人こそ頭がいい。

 やめなはれ。はよ、やめなはれ。しかし私自身、勉強していないのに3年間も受験浪人してしまったように、すぱっとやめるのはなかなかできない。なぜなら、くだらいな点取り訓練で勝てば、ちょっとよさげなイスに座れるからです。くだらない椅子取りゲームと知りつつも、やってやれないことはないな、椅子取りゲームの勝者になろうと思えばなれるぞと考えると、もったいない根性がでてきて、なかなか踏ん切りがつきにくい。

 ずっと小学校から、いわば洗脳されていたわけです。100点をとれば褒められて、よくできました、花丸マークを書いてもらってたのだから、テストで点をとるための教育が身体に染み付いておるのです。

 学校にいかないなんて、鍵の付いてない牢屋から出ていくようなもの。出てしまえば、テストもない、順位もない、競争もない。自由と権利を手にすることができる。やっほーい、桃源郷じゃ、桃源郷じゃ。

 しかしこれで困るのが、テストで点をとるための教育なのです。順位をつけて、競争させて発生する大勢の負け組あっての、点取り訓練テストシステムなのです。成績上位の人間は頭がいいと信じ込み、むやみに敬う、無垢な民がいないとこのシステムは成り立ちません。

 民衆が、成績上位者をただの勉強マニア、クイズ王あつかいするようでは困ります。雑学王として見下されてしまっては、だれも競争してまで、勝とうとは思いません。勝ったところで、クイズ王。それではみんな割に合わないと、テスト勉強をやめるでしょう。こうして価値観が変わり、社会もかわる。

 しかし、しかしですよ変えたくない人もいるわけです。だから、あれこれ手をつくして、テストで点をとる教育を今まで通り、末永く続けられるよう、あれこれ工夫をしている。学校の代わりに特例校をつくる、フリースクール(文科省が認めたところ)でもいい、夜間中学でもいい、家でインターネットの通信教育でもいい、みんな勉強してテストを受けて、順位をつけてもらって、そして優越感や、劣等感を感じて欲しい。できれば競争に参加して欲しい。不登校でもちゃんと就職できる、ちゃんとスーツを着て満員電車に乗って「不登校でもちゃんと社畜になれる」って、そう言えるような人間になって欲しい、文科省はそう思っているんです。

 不登校の子どもにやたらとインターネットを通じて勉強させたがるけど、あれも、家でテストで点をとる教育を、家庭に押し付けたいだけなんです。ただやれば出席扱い、やらなきゃ欠席扱いだなんて今後、脅しが来るんだろうけれども……、なんかだらだら書きすぎたので、ここでやめる。クラスジャパンプロジェクトについて書こうと思ってたけど、また今度にします。むんむん。

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2018年2月21日 (水曜日)

喪服を買ったぞ

 喪服屋さんに行ってきた。正確には、スーツ屋さんなのかもしれないけど、私にとってはぜんぶ喪服屋さん。

 店員とマンツーマンという状態で、服を買うのがつらい。床屋、歯医者にならぶ、苦手なところ、それが店員にぴったりマークされる店で、服を選んで買うことです。ユニクロやしまむらで、フリースを買うのとはわけが違う。

 店員とコミュニケーションしなくちゃいけない、鏡の前で試着して、サイズが小さいとなれば、ワンサイズ大きいものを持ってきてくださいと、自己主張しないていけない。これは大きい、これは小さいと、あれこれ服を持ってこさせて試着してぴったりのを探す、それが終われば次はズボン、また試着して、小さいから、ワンサイズ大きいものを……、といったことを繰り返す。試着室のなかで、私は大急ぎで汗をふき、次の試着に備えるのです。汗まみれのおじさんの姿を女子店員さんに少しでも見られたくないのです。

 緊張の汗のほかに、暑くもないのに大汗をかいていることが恥ずかし、もう無理だ、途中で、買わずに逃げ出すことも考えたが、しかし親が死ねば、自分が「喪主」になる可能性もあるわけです、喪服を買わないわけにはいきません!

  喪服は、フォーマルスーツと呼ばれていて、一番安いので、2万8000円だった。それに消費税と裾上げ代が加わると、3万円をちょっと超える。冗談じゃないぞ、搾取だ、と叫びたかったが、もちろんそんなことはやらない。買うしかないのだ。紳士服の○○といったチェーン店が町中にいっぱいある理由もわかる。結局、この手の店の中から選んで買うしか手段がない。

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 店員が心配そうな顔になるほどの、汗おじさんでした、喪服は買えた。けどまだ、ワイシャツを買っていない。一緒にワイシャツも買おうと思ったのだが、汗がとまらないので、喪服だけ買って、逃げてきた。ズボンの裾直しに5日くらいかかるという。結構時間がかかるものなのです、喪服は前もって買って用意しておいたほうが良さそうですな。

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2018年2月14日 (水曜日)

趣味、確定申告。

 私は確定申告のときだけ、ひきこもり名人ではなく、作家を名乗っています。個人事業主として、納税書をつくるためにです。一年間集めたレシートを経費(取材費等)として計算し、収支報告書をつくる。

 わずかな売上から、レシート一年分の経費を引くと、いつだって勝山プロダクションは赤字になります。売上はマイナスになる。結果、源泉徴収でひかれたお金が、還付金として返ってくることになります、なるのですが……実は、税金には控除というのがあるので、私のような収入が少なすぎる人間は経費なんか計算しなくても、収入を申告するだけで源泉徴収分のお金は返ってくるんです。だから私のやっている作業は、100%無駄なのです。

 じゃあ何で、レシートを集め、簿記のソフトを使い、帳簿をつけているかというと、それはただ、フリーランスごっこをして遊ぶためです。世間では面倒くさいと言われている確定申告を、意味もなく、ただ趣味としてやっいるのです。俺って世界一、暇だよなー。

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2018年2月 4日 (日曜日)

そろそろ喪服

 甥っ子が平日なのに家にやってきました。インフルエンザで学級閉鎖、学校は休みだそうです。しかし、甥っ子も、もう中学生なので、昔ほど話は弾まない、遊んでもくれない。あのポケモンカードをやっていた頃の、熱狂はもう戻ってこないのです。昼飯をもくもくと食べる、おじさんと甥っ子。そのすぐそばには、要介護5寝たきり難病ママンが電動椅子に座っているのでした。

 病気で手が動かないママンですが、電動椅子は足元のスイッチで、イスの座る位置を高くしたり、低くしたりということが操作できるのです。

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 本日は、老婆ママンはいつになく上機嫌で、甥っ子になにやらずっと話しかけていました。「はうらばぁ うがきごぉ ふがぎが………はっはっはっ」といった感じで、何言っとるのかはさっぱりわからないのですが、とにかく何か言っては、笑っております。甥っ子に、「なんて言っているんだ?」と聞いてみましたが、わからないとのこと。

 座りきりママンの上機嫌は続き、「あがごぉー あがごぉー」としゃべりながら、電動イスをウィーンと上げたり、下げたりするのです。この電動イスをさかんに上下させるパフォーマンスは大変おかしかったのですが、病人を笑うのは不謹慎だと思い、じっとこらえておりました。

 さて本題です。現在、寝たきりママンの病状も進み、尋常ではありません。もうまもなくです。そこで私は何をすべきか、自問自答の末、喪服を買うべきだという結論に達しました。ママンの命もあとわずか、もしなにかあれば、私が喪主という可能性もありうる。その時、喪主が首のところがびろーんとなったTシャツにジーパン姿であったらどうであろうか。親族全員、情けなさに泣き崩れるであろう(悲しみのポイントがずれてしまう)。

 それを考えたうえで、喪服はもっておいたほうがいい、そういう結論に達しました。母と父、少なくとも二回は使う。喪服(フォーマルスーツ)は、買う価値がある。買いに行くぞー。というわけで、喪服買ったら、続きをブログに書きますね。

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