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2016年1月16日 (土曜日)

ひきこもり出家と在家

 働いている人はみんな在家なんだと思うようになりました。サラリーマンじゃはない、在家なんだと。そうやって世の中を眺めるてみると、町中在家だらけで、出家は世の中では少数の中の少数だと思い知ります。在家のお布施にすがっていきていくしかない。ああ…、もう在家に対する感謝の気持ちしかありません。

 在家からあまったもの、いらないものを分けてもらい、ひきこもり出家は成り立つ。謙虚な気持ちになります。働きたいのに働きたいなんて言って、在家をだますような、そんなせこい気持ちは一切なくなります。一切です

 在家に恩返しがしたい、そのことをばかり考えています。働かないことで得た、精神的自由をいかし、在家の人に代わり、いろいろ考えて、何かおもしろいものを創造しよう、それがいいんじゃないかと。暇でなければ、いいアイディアなんて思い浮かびません。在家の人の頭がスッカスカなのも、働いていて忙しいからです。

 部屋の中で寝そべって、天井を眺めながら瞑想すると、創造力の翼がバサバサと羽ばたきます。自由な発想が可能になる。暇であるとは自由であること、自由だけが新しいものを創りだします。

 いいアイディアはないか? と聞かれても、誰も、何もないのです。在家がおこなう会議には何もない。アイディア出し、ブレーンストーミングなど、必死にしぼり出しても何も出てこない。ホワイトボードにクソみたいな思いつきを書き出し、ポストイットにゴミくずキーワードを書き込んで次々と貼り出していく。それらをかき集め、最終的に完成するのはいつも「わるいアイディア」なのです。なぜか? 働いているからです。

国宝一遍上人聖絵

 国宝一遍上人聖絵(ひじりえ)を見てきました。やはり国宝だけある、素晴らしいと感嘆するとともに、聖絵に描かれている、黒くて小さい一遍上人を見ると、ひしひしとある思いがこみ上げてきます、さては…、一遍上人、働いていないな、という思いです。

 遊行と称して、全国を旅して歩いている。いったい一遍上人はどうやって食っているんだろう、お金はどうしているんだろうか、俗世間を生きる私は、聖絵の中の一遍上人が心配になります。寺ももたず、乞食同然で日本全国を旅しているのです。

 捨ててこそ。一遍上人の教えが聞こえてくるのです、……愚痴を捨て、善悪の境界も捨て、道理も捨て、地獄を怖れる心も捨て、極楽を願う心も捨て、悟りも捨て、一切のことを捨てて、……ただ念仏をとなえる。

 一切を捨てた一遍上人に迷いはなく、托鉢一本、食べ物を分けてもらって生きている。ひきこもりが目指すべき手本はこれではないのか。私も一遍上人になろう、そんなことを考えているうちに、ひきこもりは出家で、働いている人は在家、そんなイメージが頭に思い浮かんできたのです、が、長くなりました、ひとまずこのへんでやめておきます。(続く)

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