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2014年8月22日 (金曜日)

かつて小学生だった頃の勝山おじさんの夏休み自由研究

 「おじさん、スイカの種を数えたの?」、と甥っ子に聞かれました。私が小学校の時にやった、夏休みの自由研究のことです。そうだよ、えっへん、と答えたところで、甥っ子兄弟に大爆笑されてしまいました。「アホすぎる」というのです。

 恥ずかしさに、顔を赤らめうつむくのです。まさかアホな自由研究だったとは……。小学校、中学校時代は、真面目な優等生のつもりでしたから、アホすぎると言われて、なんとも面目なく、言葉も出ないのです。私の妹である、甥っ子母さんが、甥っ子に教えたのでしょう。今からさかのぼること30年以上前に、自分の兄がやっていた自由研究を憶えている、妹の記憶力と、のぞき力に打ち震えるのです。

 ガリ勉小学生で、暗記は得意だったのですが、自由研究とかそういうのは、さっぱりだめの、教育奴隷として生きていましたから、中途半端な、自由を与えられても何をしていいのかわからんですよ。いい点数をもらえる自由研究をしなければいけない、でも自由ですから、こうすればいいという基準がない、ガリ勉としては泣きたい気分になりました、できが悪ければ、スパルタ教育として、ママンの鉄拳制裁がまっております。

 そんな小学生の私がやった、苦心の自由研究が、大好物のスイカの種を数えるというものです。夏休みの宿題のためと親に頼みこんで、スイカ一個、かなり大きいのを買ってもらいました。それを一人で食べる。種をぷっとはいて捨ててしまっては数えられないので、新聞紙の上にぷっとはいて、それを乾かし、あとで数えるのです。

 たいへん不衛生な自由研究で、実験場であったベランダにはハエだらけ。家族もキレかかっていたので、大急ぎでスイカを食べ、自由研究の完成を目指します。大好物のスイカも、まるまる一個食べるというのは大変でした。死ぬまでに一度でいいから、スイカをまるごと食べてみたいという夢も、叶ってしまうと辛いです。一人で食べるには量が多すぎるのです。もうスイカは食べたくない。スイカが大好物でなくなってしまったのは、この自由研究がきっかけです。

 ハエがたかるスイカの種を水で洗い、そうして種を数える。スイカ一個に、種がいくつあるのか、それが勝山少年の自由研究です。つまらなかった。スイカを食べるだけで、夏休みの宿題が終わるという、極楽自由研究のはずでしたが、まさか途中で食べ飽きるとは、まさかあんなに種があって数えるのが面倒くさいのとは、まさかベランダがハエだらけになるとは、つらいことばかりだったせいか、実際にスイカの種がいくつだったかは覚えていません。

 ちなみに甥っ子長男坊の自由研究は万華鏡だそうです。万華鏡をつくる? らしい。甥っ子次男坊は、絵日記を書くといっておりました。アホすぎることは、やらんのですよ。

西瓜

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コメント

アホかどうかということであるのなら、スイカの種の数を
数えるのも万華鏡をつくるのもたいして違いはしないでしょう。
 むしろスイカの種を数える自由研究で得られた困難な
経験が名人の全人的な生きる力の源流になっているので
はないでしょうか。
 ただまあ蛇足かもしれませんが、総合的な学習の時間
が目指す人物像が幸せな人物であるかどうかは微妙な
気はします。自主的に学習できるようになりすぎて
自主的に、登校しなくなるのは名人もあえて勧めはしない
でしょう?
 いい学校、いい会社、いい人生ってのも(逆説的な意味で)
結構正しいかもってこの頃思うようになってきたのですよね。
 適当にそれっぽいことをやって軽くいなしておく甥っ子さんは
正解なのかも。大人のくだらない欲望を背負うことこそが
「アホすぎる」ことです。

投稿: 465 | 2014年8月24日 (日曜日) 11時11分

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