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2012年10月14日 (日曜日)

承認乞食(3)

 ひきこもり暗黒時代に、他者からの承認を得ようなんて考えは起きません。他者からの承認が欲しいなんて人は、ひきこもりが足りてない。ちゃんとひきこもってないから、そんな半端な考えが起きるのです。

 俺はだめだ、死ぬしかない、そんな気持ちが心の中の100%を占める、悶々ひきこもりライフ。毎日毎日、絶望念仏を唱え続けているのに、死にもしないし、お終いにもならない。ホームレスにもならない。おやおや、どうしたことなんだと、自分の心を見つめなおす、ここを通過して、ひきこもりは次のステージへ進みます。

 真のひきこもりは謙虚です。自分には価値がない、と信じています。同い年の友人の誰もが偉く見えて、自分ひとりだけが取り残され、びりっけつの、最下位だと確信している。こんな人間が他人から、何を承認してもらおうと思うでしょうか。他人に自分を評価してもらおうなどという考えは、面の皮の厚い人特有の、自薦でアイドルのオーディションに出場するような、図太さがなければ出来ないことです。

 他人から認められて当然の自分、他人から認められない不遇な自分、そんなひねた自己承認があって初めて、承認乞食になれるのです。

 自分が認めていないものを、他人に認められても戸惑うだけです。例えばさ、他人からかっこいいから、アイドル歌手になった方がいい、俳優になったほうがいいと、言われても苦笑いだけでしょ。自分のツラが、まずいことは鏡を見て知っているのです。個性派俳優にしかなれない。どんなに他人が認め、賞賛しようとも、自分が認めないものを、承認することなど出来ません。

 ミラーを見て己を知るように、ひきこもって自問自答を繰り返し、自分の心を覗き込んで過ごし続けることによって、おのずと自分がどういう程度なのか分かってくるのです。自分のツラが変わらないように、自分の根本的な部分というのもずっと同じじゃないでしょうか。長所、短所があるのです。

 ひきこもりの長所というのは、たいていお金にならない才能です。それに引き換え、短所は賃金を稼いで暮らすという部分に直結している、これがひきこもり素質アリの人の特徴です。ここが泣き所でもあります。短所をなくせばいいという当たり前の結論に結びつきそうですが、そうはならない。マイナスをゼロにする作業に、何の価値も見出せないからです。マイナスをゼロにする努力の結果、手に入れるのは、凡夫の力でしょ。これをありがたがるのは、ある意味平凡の愛している人だけです。普通はモチベーションが湧かない。

 努力して、がんばって、ようやく普通の人の仲間に入れてもらえる。びりっけつの、一番下っ端として仲間に入れてもらえる。欠点を克服したゴールこれなのですから、せつないですのう。

 人間だもの、プラスの才能に、さらにプラスを加えていくほうを選ぶじゃない。そこに生きがいがある。お金を稼ぐという事に関して、ドツボにはまる行為だと分かっていても、人情としてそちらを選びます。ひきこもり人生とはそういうことです。いろんな長所を集めて一つの軍団にする、『七人の侍』方式こそ人間味あふれる、ヒューマンな社会。今の世の中、7人のお百姓がじっと嫌なことを耐えるだけじゃないですか。

 他者からの承認を欲しいっていうのはさ、ようは自分のことを頭がいいと思っとるですよ、ようは自分がかっこいいと思っとるですよ、ようは自分が才能ある人間だと思っとるですよ、すさまじい自己承認、自己肯定です。真のひきこもりなら、どんなにがんばっても、ここでストップ。これ以上先には進めない。自画自賛はひきこもり部屋の中だけで納めるという、節度を持っています。半端なひきこもり、偽ひきこもりだけが、この厚かましい自己承認を、他人にまで要求するのです。困ります。結果どうなるか、他人からの承認が欲しいと嘆き続け、ウザがられのるのです、承認乞食道に堕ちるのです。恥ずべきことかな。

 承認することは出来るけど、承認させることは出来ない。さらに言うなら、他人を承認するなんていうのは、図々しいことですよ、お前何様なんだと思う。自分が承認できる、まあいいんじゃないのと言える、ポンコツな奴って言ったら、そりゃあ自分自身くらいしかいない。自己承認して、それで満足、お腹いっぱい。ちゃんとひきこもれば、こうなります。どうよ。〈続くかな、終わるかな〉

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コメント

 自分の中に肯定できるものが何一つないっていう感覚はすごい理解できます。

先日、親の車をぶつけてしまいました。
事故の相手、警察、保険屋への連絡…
全て親に任せて、自分では何一つできませんでした。もう30過ぎてるのに。ははは…

投稿: もっさり君 | 2012年10月14日 (日曜日) 20時07分

自分に価値がないと認めることさえできれば、もっと楽に生きられるのにと思います。私の心にも、自分を大したものだと思いたい心があって、それが苦しみのもとになっています。これを克服したとき、自分は初めて大人になれるのではないかな…。

投稿: ホチキスマン | 2012年10月15日 (月曜日) 11時56分

なんか、日本と言う国自体が、承認の塊になってきている感じです。
承認相手は、アメリカです!

私は、相手から承認されなくてもいいやと、思うことにしてます。
相手に合わせることが嫌いになりました。

投稿: 大阪の非国民 | 2012年10月15日 (月曜日) 23時42分

ひきこもりに至る道は人それぞれですが、こういった根本部分ではやはり通じるものがあるのですね。
他人を承認するなどおこがましい、というのは常に自戒していることです。承認とか、判断とか、特定の型に嵌めるとか。
それで周りから「優柔不断」と言われているんですけどね(苦笑)。

投稿: カクタスボーイ | 2012年10月16日 (火曜日) 11時41分

僕も、最近、そういうことを考えていました。精神障害者サロンに居る人たちも、ちゃんと社会復帰を目指しているのに、僕はその輪にも入れなくて、最近では一週間に1回くらいの通いになっちゃいました。どうすれば、あの輪に入れるのかな、と考えたとき、やっぱり「自分は一番重症の人なんだな」というか、プライドを一切捨てないと入れないなというか・・
そんな感じに思えました。昨日今日と
ずっと勝山さんのこの文章の意味を考えていました。
ちゃんとしたひきこもりを自覚して
目指していないと、傷つくばかりで^^; まだまだ自分も、右にいったり
左にいったりと、中途半端なばかりです^^; 風が冷たくなってきましたね、どうか、お体にお気をつけてください^^

投稿: レコ | 2012年10月17日 (水曜日) 00時38分

私も、車の保険とかは親が払っているので
事故を起こしたら、ぼっさり立っているだけでしょうなあ。
でも、それがカッコイイ。

それなりの価値なんじゃないんですかね。
おちょこ級の器ですよ。

TPPが通ったら、
日本はアメリカの植民地として完成するようですぞ。

私など優柔不断を通り越して、
意志がない、状態になります。
決断の放棄ですよ。

投稿: 勝山実 | 2012年10月17日 (水曜日) 00時45分

月や花など、自然に目を向ける様になった頃から人目を気にしなくなりました。
今夜は美しいとうっとり眺めても、熱心に水遣りし育てても、月や花は私を承認してくれません。
でも、好きはモノは好き。

承認の意味『事実・正当』すら探求せず、『何となく』日々を過ごしています。
曖昧だけれど、それが心地良い。

事実も正当性もわからないけれど…勝山さんを、私は何となく好きです。

投稿: ららら | 2012年10月17日 (水曜日) 01時47分

名人こんにちは。先日、一人ポロン祭りin九州やりました。腹が冷えて、下痢になりました。夏季限定でやります。LOVE寂聴買います!こんぷ目指します。

投稿: しお | 2012年10月17日 (水曜日) 11時59分

ずる賢い人、性格の悪い人、他人のことなんて考えない人がお金をかせぐのが得意なんじゃないかと思っています。
しかも、ものすごい大金を持っていそう…。
そんなイメージがあります。

私はお金なんてないけど、自分はだめな人間んだと思っています。

承認欲求というのは誰しもあると思います。まったく誰も自分のことを承認してくれなかったら死んでしまいたくなると思います。

でも…死んでしまいたくなったあとに何があるかといえば、悟りなのかもしれません。
それを乗り越えないといけない、ということなのかも…

投稿: たむら | 2012年11月16日 (金曜日) 23時54分

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