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2012年8月31日 (金曜日)

承認乞食(1)

 一週間以上ブログを書かなかったのは初めてじゃないでしょうか、心の締め切りをやぶってしまい、良心の呵責に苦しんでおります。

 承認乞食はだめだ。他者からの承認だとか、異性からの承認だとか、そういうのが必要とか大切だとかぬかす、承認乞食根性がひきこもりをこじらせる原因じゃないかと考えています。

 家でごろごろしているひきこもりを誰が承認するの、人生で一番承認されにくい氷河期じゃない。となると常にひきこもり男子は否定され続けることになる。他人から絶えず否定される、なんと不愉快なことだろう。

 それに他人からの評価なんて絶えず上下するじゃん。そんなものが大切なら、絶えず人の顔色をうかがっていなければいけない。間違いなくノイローゼになりますよ。やめたほうがいい。

 自分で「まあいいや」と思えればそれでいいのです。自己承認です。自己満足みたいでイメージ悪いけど、ひきこもっている自分を支えるのは、自己承認これ一本。だめだ、死ぬしかないと言っている人でも、心の底では本当は自分はいい人だと思っている、根拠のない「アレ」にこそ希望がある。

 他者からの承認ってよう、いったい誰が誰を承認するんすか。そんなに承認して欲しければ、俺がお前を承認してあげるけど、どーせ、それじゃダメなんだろ。「お前みたいな、ひきこもり中年男子なんかに認められてもしょうがない」って思うはず。じゃあ誰ならいい。

 社会的地位、お金、名声、学歴、そんなところじゃないの。それって俗世間的な見栄、虚栄心じゃない。学校での偏差値が、大人になると他者からの承認に変わっただけに思える。他者からの承認を得るためにやる、嫌われないように生きる練習こと、コミュニケーションスキルとか気持ち悪い。

 承認乞食からの卒業を目指します。〈続く〉

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2012年8月21日 (火曜日)

ぽろん祭り

 両親が旅行に出かけてしまったので、実家で一人暮らしです。ネトゲもやっていないのに廃人。純度の高い怠惰で、ゾンビみたいになってきた。親もいない、甥っ子も来ない、トランクス一枚で部屋の中、ぽろーんと出ちゃっても気にしない。ぽろん祭りです。

 この一週間なにもしなかった。昼と夜の境目もなくなった。目が覚めた時が朝で、眠くなった時が夜。咎める人はいない。ああ、このままじゃだめになってしまう、戸塚校長に叩きなおしてもらいたいとすら思ったが、やっぱりぽろーんと出したまま、1日が過ぎていくのです。

 早くフォンテの連載の原稿を書かなくてはいけない。今日が締め切りなのです。でもどういう訳か、こんな自由だと何もアイディアが浮かばない。ユーチューブを見たり、ツイッターを眺めていると、1日が終わる、不思議だ。原稿書かなきゃ、フォンテと人民新聞の原稿書かなきゃ、そう思っているのにそれはせず、心の中で作曲して、心の中で作詞するという、空想ミュージシャンをして時を過ごした。

 「家で一人で飲む酒は〜♪ 心くるわす こじれ酒〜♪」と俺ソングの、歌い出しが出来たところで我に返る。こんなことしていちゃだめだ。

 しつけの厳しい家で育ったでしょ。怒られて、殴られて育ちましたから、叱ってくれる人がいないとなると、自由人のレベルが尋常じゃないですよ。神の領域のフリーマンになる。一切退屈することなく、ぽろーんと出しながら、ゴロゴロして、空想を満喫。ブログも全然更新していませんでした。朝飯を作るのも面倒くさいので、今日はベランダにあるプチトマトもいで食べて、おしまい。お腹へってるよー。

 しかしです、ぽろん祭りも今日まで。両親が旅行から帰ってくるのです。自由ってなんて尊いでしょうか。

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2012年8月14日 (火曜日)

いじめはダメだ

 大津のいじめ事件、加害者の無反省ぶりは、ネットのおかげで逐一知ることが出来る。さらに付け加えての、小山田問題ですよ。

 いじめ=小山田、という図式が私の心中では出来上がっている、知らない人はこのサイトを見てよ。 →小山田圭吾における人間の研究、読むと一週間くらい、やるせない気分になるから注意。

 いじめる側は反省していないどころか、いじめの自覚すらおぼろげで、軽い笑い話になっている。小山田が特にすごいところは、いじめた体験を活字にして、雑誌に載せているところです。自宅とか、居酒屋で友達相手に語っているのではなく、ノンフィクションとして何万部と刷られて、後まで残る雑誌に掲載しているのです。

 フィクション(虚構、つくり話)なら、誰でも出来ますよ。小説、映画でも、最後のテロップに「この作品はフィクションです。実際の人物、団体、事件とかは一切関係ありません」と逃げ口上を入れておけば、ゆるされるじゃないですか。

 ロッキング・オン、クイックジャパンと2回にわたって、いじめた経験を語って、活字に証拠として残す小山田。だからこそ、このインタビューは貴重で、教科書に載せたいくらいだ。これ読んだら、いじめやめるよ。自分がしていることがどんなひどいことかが分かるから。

 小山田がひとりが特別な悪い人間というなら救いがあるのですが、世の中こんな人ばっかり。さらに自分の心の中にもプチ小山田が住んでいるというのに気づき、3日間寝込みました。

 小山田が通っていたのは私立の中高一貫校だったから、卒業でリセットされるということがない。いじめが中高一貫で徐々にエスカレートしていき、純粋培養され猟奇的になっていく。小山田問題が解決しない限り、学校には行くべきでない。

 それでもやっぱり、学校に行くでしょ。ひきこもり経由でホームレスなると信じているから、いじめ殺される危険があっても学校に行ったほうがマシだと、本人も親も思うのです。将来の不安や世間体に負けて、いじめられに学校に通う。

 ひきこもっていれば、甘え、逃げ、怠け、税金払え、と意地の悪い世間を相手にしていかなくてはいけない。生きるのは苦であるという、ブッダの教えのとおりです。どちらも苦しい、どちらも不安です。でも私は徹頭徹尾ひきこもりライフのほうをお薦めしますぞ。

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2012年8月 9日 (木曜日)

今回のバッドマンはひきこもり

 ダークナイト ライジングという映画を見てきました。バットマン新シリーズの第3話完結編。前作ダークナイトが面白かったでしょ。故・ヒース・レジャー演じるジョーカーのキレキレの演技が素晴らしかった。見てない人は下の動画を見て。


  どうよ、何度見てもいい。ボヤッキーやバイキンマンを超える、悪のヒーローぶりです。でもこの名優ヒース・レジャーが亡くなってしまったから、今回当然ジョーカーは出てこない。その変わりに、今作でバットマンと戦う悪役はどんなやつかというと、

黒マスクのデブ

 ばーん、黒マスクのデブです。マッドマックスかよ。北斗の拳でケンシロウに最初にやられるやつみたい。これはいけません。正義の味方はかっこ悪くてもいい、あんなのは形だけの主役です。アンパンマンやヤッターマンの仕組みと一緒で、悪しか出てこないと、お母さんがテレビを見させてくれないから、お母さん対策として善玉ヒーローを出す。でも真の主役は、悪玉のほうで、これは魅力的なキャラでないと映画そのものが面白くない。

 この黒マスクがジョーカーの代わりという時点でなんの期待もしていなかった。そこにばーんと、ひきこもりになったバットマン登場です。ひきこもり再ブームはハリウッドからやって来た。ジョーカーとの戦いのあと、8年間ひきこもっていたという設定です。

 前作ダークナイトほどではないけど、最新作ダークナイト ライジングも面白い。欠点は福島の原発事故に対応していないため、核兵器や放射能に対する描写ががまったくなってないところ。ネタバレになるから、詳しくは書けないけど、ええっ! 画面に写っている全員、急性被曝死しないとおかしいぞ、という場面が何度か出てくる。新バットマンシリーズはSFなのに現実味がある演出が魅力だけど、核兵器に対する表現はポンチです。核爆発から、ゴッサムシティ(ニューヨークみたいな架空の都市)を救うというストーリーなのですが、どうみてもチェルノブイリか広島になっている、バットマンはこれで街を救ったといえるのかな? アメリカ人はともかく、日本人から見ると変ですが、それでも最後まで飽きさせずに一気に見させてくれる。ダークナイト見た人にお薦め。

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2012年8月 5日 (日曜日)

徳島から帰ってきた

 徳島から帰って来ました。さすがに疲れた。講演会のあとは、文学書道館(寂聴記念室)→ナルト・サンガ(徳島の寂庵)で写経→瀬戸内寂聴 文化勲章記念碑→瀬戸内神仏具店(寂聴先生の実家)→寂聴先生の生誕地(現在は伊藤ガラス店)に行ってきた。

 まさに聖地巡礼。文学書道館は良い、寂聴ファンにお薦め。逆にナルト・サンガは交通の便が悪いので、寂聴先生の説法がない時にまで行く必要はない。写経は、お手本の般若心経の上に半紙を載せて書くので、写経をやったことなくても大丈夫。写経の最後にお願いごとを書いて奉納。ちなみに願い事には身体健全と書いたにもかかわらず、ホテルに帰ってありえないほど体調を崩す。

 翌日、体調を持ち直して、川沿いにあるぼっさりとした石の記念碑を見に行く。価値はない、でも昔寂聴先生がよく遊んでいた場所らしいので、そう思うとなかなかいい場所だ。瀬戸内神仏具店は日曜日は休みなのでシャッターだけを見た。生誕地は現在は古典的土着風のガラス屋さんになっているが、昔はここが寂聴先生の家があったのです。あと、寂聴先生の母校をめぐればコンプリートだったけど、学校嫌いなので行きませんでした。

 これが寂聴愛。片思いは辛くない、愛するだけで幸せ。

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