« 2011年1月 | トップページ | 2011年3月 »

2011年2月26日 (土曜日)

不登校訪問専門員

 んっ、不登校訪問専門員ですと。随分カバーする範囲がせまい専門家ですなあ。訪問だけの専門員なんて、おかしいと思って調べてみると、こんなものは正式には存在しない。

 全国引きこもりKHJ親の会がかってに作り出した、手作りの資格です。前に、ひきこもり支援相談士という就職になんの効果もない資格を手作りしましたが、今回はレンタルお姉さんの不登校版ともいうべき、カメムシ専門員の資格を作ってしまいました。

 DVD見て、レポートを提出すれば合格できるシステム。3万5千円+年会費が毎年5千円かかります。毎年、5千円払わないと、合格してもこの資格は使えなくなります。ひきこもり支援相談士と同じシステム、資格というよりは、罰金刑でしょ。

 合格すると不登校訪問専門員認定証をもらえるようですが、誰にもわからないよね。私が知らないくらいだから。良くてセールスマンにしか見えない。不法侵入でセコムに通報されるんじゃないかな。ひきこもり本人より、KHJ親の会のほうが社会問題化してきましたよ。教育職員免許状という国家資格がちゃんとあるから、資格が欲しいならそっちを取ればいいのに。

 勝山おじさんのような、訪問しない不登校専門員こそ本物。うざいことはしないという、不登校のマナーをよく知っているもの。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2011年2月22日 (火曜日)

甥っ子、泣かしました 3rd

 風邪が治りました。これで甥っ子とも遊べます。年齢差3歳の甥っ子が二人いる、というのは結構困るものです。両方大事な時期じゃないですか。長男は学校でつらい思いをしているのだから遊んでやらなければいけない、次男坊は四歳で遊びたいさかりですよ、3歳とか4歳の時期に好きなだけ遊んであげないと、なついてもらえません、おじさんの人気が出ないのです。

 甥っ子が来たときだけは、家族みんな揃って偽善食卓を囲みます。私が高校一年になってから一回もやっていなかったことが、甥っ子来訪のたびにおこなわれています。団らんには楽しい会話がつきもの。でも、爺さん、婆さん、ひきこもり、小学生、保育園児に共通する話題がない。そんななか、空気を読む男、ひきこもり幹部候補生の甥っ子長男坊が、食卓の会話をリードします。

 今回のお題は「割り算って、どういうこと?」ということです。ちまなみにまだ甥っ子は小学校一年生で足し算と引き算しかならっていない。それすらよくできていない。にもかかわらず、関心があるのは、足し算の向こう側、「割り算」なのです。

 「それはね、割るから、割り算なんだよ」と老爺がやさしく、わけのわからないことを教え始めました、ここはおじさんの出番ですね。えっへん。勉強だけが得意だった元ガリ勉の出番ですよ。

 テーブルの上の餃子を使いました。このバックの中に8個餃子あるじゃん、これをおじさんと二人で分けようよ、8を2で割ろうよ、これが8÷2なんだよと、教えると甥っ子が身悶えしはじめました。8個の餃子をおじさんと二人で分ける、そうすると一人何個になる。小学一年生には超難問のようで頭を抱え身悶えするのです。こういうリアクションの良さが、いい。教えがいがある。

 箸をつかってパックの中にある餃子をわけてやると、ハッとひらめいたようで4だと言いました。そう、それが割り算ですよ。と言ったところで次男坊が餃子を二つほど連続で食べ始めました。おやおや次男坊版かまってプリーズです。

 しかし、われながらいい先生ぶりに気をよくしたので、次男坊に食べられた餃子の残りを使ってさらに復習。6個の餃子、これをおじさんだけじゃなく、老爺もいれて3人でわけたら、一人いくつ食べられる? 6÷3だよと問題を出すと、また同じように体をくねくねさせて、全身で考えるのです。難しすぎるということなのでしょう。箸で餃子をわけてヒントを与えると正解してくれました。

 かまってもらえない次男坊がさらに餃子を1個食べ、餃子が5個になったので、おじさんの割り算の授業はここでおしまい。
<続く>

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年2月20日 (日曜日)

婆さんのクソポエム

 自分の本が発売中止になってからというもの、日々悶々とすごしております。何がいけないんだろう、自費出版は嫌だなあ、なんて考えてながらこもっています。悶々状況を打破しようと、本屋に行く。

 ブックオフに行っちゃだめ! あんな捨てられ売られた本しかないような、負け犬のオーラを発するところではだめ。新刊書がどっさり置いてある大型書店に行って、プラスのオーラを浴びないと。今売れている本から、エネルギーをもらいたい、そんな藁をもつかむ気持ちで本屋にいくと、ベストセラーコーナーに必ずあるの本がこれです。

画像

 ばーん。婆さんのクソポエムが100万部突破です。水嶋ヒロなんて無罪ですよ。こんなのポエムじゃない、まったく心に響かない言葉、語彙の少なさ。99歳だと何をやっても許されるのか、寂聴先生のほうが全然かわいいじゃないか。ない、ない、ない、これはない。しかし、ある、ある、ある、書店に行けば山積みになって売っている。DVDセットのものまで売られている。

 タイトルにもなっているポエムを引用してみよう。

くじけないで

ねえ 不幸だなんて
溜息をつかないで

日射しやそよ風は
えこひいきしない

夢は
平等に見られるのよ

私 辛いことが
あったけれど
生きていてよかった

あなたもくじけずに

 はい、どうよ。感動しましたか。これが100万人を感動させる詩ですか。相田みつをは字で誤魔化していましたが、婆さんはそれもしない。言葉の響きとか、文学的なひらめき、そういうのはない。これだったら俺のひきこもりポエムのほうがいいんじゃないの。これには、くじけた、心が折れた。ビジネス本と自己啓発本の内容を、老婆のポエムで包装して売っているだけでしょ。

 この本の見ることなく、亡くなった茨木のり子は幸せだったかもしれませんなあ。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2011年2月14日 (月曜日)

甥っ子、泣かしました 2nd

 長男坊はもう小学生ですから、今日は風邪ひいているから遊べないと言えばそれですむ。でも4歳の次男坊にはそんなことは通じません。「よし、じゃあ俺も一緒に寝るぞ」と言っておじさんの部屋に飛び込んできます。

 おじさんの風邪が伝染るから、だめだと言っても「俺も風邪ひいているから大丈夫」と緑色の鼻水をながし、肺病のような咳をしながら、おじさんの部屋へアタックをかけてきます。こんなインフルエンザ級のバイ菌が、ひきこもり無菌室に入ってこれられて困るので、出てけ、来るなと鬼の形相で次男坊を追い返しました。

 またひとつ、甥っ子との間に溝が出来てしまったようで、とても悲しいです。

 おじさんがいないんじゃ、やることがないと言うことなのでしょうか、隣の部屋で兄弟ゲンカが始まりました、おやおや次男坊の泣き声が聞こえてきます。おじさん失格ですな。このままでは兄弟そろってふてくされの憎たらしいひきこもりになってしまう。早く風邪を治したい、そのために、だんまりを決め込み、ひたすら寝て過ごすのでした。
<続く>

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年2月12日 (土曜日)

模索舎に納品

 模索舎にlove寂聴3号&4号を、それぞれ七冊ずつ納品してきました。ついでに納品していた1号と2号の清算もしたぞ、実売24冊、本の定価×0.7がわたくし勝山商事の取り分となります。今回は336円受けとりました。出版不況をものともしない、勝山商事の力に我ながら満足しています。やっぱTシャツじゃない、zineだなとつくづく思いました。

 love寂聴特設ページを開設。勝山商事での通販が面倒くさくなってやめたので、love寂聴の情報は、このページにまとめて載せておきますよ。

画像

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年2月10日 (木曜日)

甥っ子、泣かしました

 子供は寝ている時が一番かわいいといいますが、では一番かわいくない、憎らしい時はといつか。たぶん、ふてくされている時なんじゃないかな。

 甥っ子とまわり将棋をしていました。甥っ子は途中で勝ち目がなくなると、ぶんむくれ、ふてくされ、投げやりに将棋の駒を投げるようになる。降参か、やめるか、と聞いても、嫌だという。憎々しげな、性根の腐った小学生阿修羅フェイスでまわり将棋をする。するといっても事実上やっているのは、対戦相手のおじさんだけで、甥っ子は自分の番には、駒をぶん投げてそれでおしまい。やる気なしです。

 かわいげのなさも相当なものです。これはいかん。こんな腐れ根性のひねくれっぷりが続くと将来、ガリ勉経由ひきこもり行きになる。ふてくされこそ、ひきこもりの芽というもの、おじさんは本腰入れて甥っ子との遊びに力を注ぎ、甥っ子が学校刑務所にあびた負のオーラを洗い流してやろうと決心しました。よし、長男坊ととことん遊ぶぞ、と。

 そう決心したものの、その後、おじさんは風邪を引き、寝てばかり。情けない弱々しいジジイとして甥っ子長男坊からの評価は下がる一方でした。「なんだまた風邪か、つまんねえの」という態度です。

 そのころ甥っ子次男坊は……。<続く>

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2011年2月 7日 (月曜日)

でぶの抱擁

 大相撲の不祥事に罰を与えるなら、改名がよい。大相撲改めでぶの抱擁にする。でぶの抱擁春場所として開催するべきです。「はっけよい、のこった」といった行司の掛け声も「でぶの抱擁、ほーれほれっ!」というものに改める。これくらい厳しい精神的な罰を与えたのなら、八百長もすぐにやめるに違いない。

画像

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年2月 3日 (木曜日)

待つ

 待つことが、心の毒だということを知りました。待てば待った分だけ、確実に心がすさんでいく。待ってはいけない。幻の本「安心ひきこもりライフ」が出版中止になったあと、ひきこもりとは思えないくらい精力的に、出版社への原稿の持ち込みをしています。なにより、本が出ないのに出版記念イベント講演会を、5回もやってしまった男です。そしてはっと気付いたのです。

 イライラするのも、他人に対してむかつくのも、「待つ」のが原因なのですよ。原稿を出版社に持ち込んだり、郵送したりするじゃないですか、そのあとじっと待つ、これがよくない。待つの裏には必ず、いい結果を期待している心があるのです。期待しちゃいけない、だめもとだとか言っていても、ひょっとしたら神風がふくかもしれないと思ってしまう。本当にだめだと確信しているなら、そもそも原稿など送らない。もしかしたら……と待つ、自分にとって都合のいい知らせを待つとき、怖ろしいほど人間はすさんでいきます。目が濁り、肌はつちいろカサカサ、たえずイライラして、嫌なあの野郎が死んでしまうことばかり考えて過ごすようになります。

 悪い結果がストレスになるだけじゃない。いい結果を期待して待ちはじめた時点で、毒としか言いようがない苦しみにさらされる。希望はかなわないことのほうが多いですから、待つことは苦しみに等しい。

 ひきこもりの親が、ひきこもり専門家に聞かずにはいられない質問、子どもをいつまで待てばいいのか、何年待てばいいのか、全身から黒いオーラを出して聞いてくる。自分が待つ立場になって、この餓鬼と化した、ひきこもりママン&ダディの気持ちがよく分かります。待つという毒にやられてしまったのです。自分の期待する結果の大きさ重さに潰されて、こんな叫びに似たどうにもならない愚痴をこぼすのです。

 待っている間は、確実に不幸です。ひきこもりだけじゃくても、例えば受験生でも、就職活動をしている人でも、待っている間は不安なはずです。絶対受かっていると確信があっても、万が一に怯えているはずです。合格を期待しているからこその不安であり、恐怖です。就活も、採用されるのを期待するから苦しいのです。

 ひきこもりが社会に出て、学校に行って、会社に行って、普通に生きていく。こんな壮大な良すぎる結果を期待して待つことが、どれほど人間の心を腐らせてるか! 想像するだけでも怖ろしいですね。雨が降るのをまってずっと空を見上げているお百姓さんのようなものです。どんなに空を眺めていても雨が降るか降らないかは誰にもわからない。ひきこもりも同じだと思います。

 待つのをやめる。いい結果を期待しない。お百姓に出来ることは畑を耕すことと、種を蒔くこと。だから結果は待たず期待せず、知り合いに紹介してもらった出版社に連絡しては、原稿を送る、これだけをもくもくと繰り返しています。耕して、蒔いて、耕して、蒔いて。収穫のことを考えるのは実がついてからで、充分間に合います。今日一日そこそこやって、それでおしまい、これですべてでございます。

画像

| | コメント (13) | トラックバック (0)

« 2011年1月 | トップページ | 2011年3月 »