追悼
人生八十年の予定で生きていますが、私と同い年の友人が亡くなってしまいました。事故死らしい、それしか分かりません。仲の良い友人よりも、遠い親戚のほうが死んだ人に対し権利があると申しましょうか。友達だ、という理由では死亡確認すら出来ないのです。そんな中手がかりになったのが友人の書いていたHPの日記で、そこからわずかな手がかりと、過去のメールを調べたりして、まあ自分は特に何もしなかったのですが、埋葬された墓の場所を知りました。
年寄りが死ぬのと違って自分と同い年、まだ37歳の友人が死ぬのはショックで、死の研究本とか読んで、万全の心の準備をしていたつもりでしたが、かなり打撃を受けました。実感がわかない。本当に死んだのか? どっか夜逃げでもしたんじゃないかと、これも本の通りに、友人の死を「否認」するようになる。どこかで生きているような気がする。
それが過ぎると、友達として自分は糞の役にも立てなかったなという、ちょっとした罪悪感が出てくる。友達は遠くに住んでいて、病気だったりしたんだけど、それでももっと頻繁に家に遊びに行ってあげればよかったかなとか思ったりする。でも、まあしょうがないか。悔いても及ばず、友を恨むようなやつでもあるまいという甘い諦め出始めたところで、先週の土曜日、お墓参りに行って来たのです。
地図を見ながら墓を探す、墓石に友人の名が刻まれていた。いよいよ死んだ。墓参りとか葬式は嫌いだが、受け入れがたいショックを和らげる意味でのお墓の意味というのが分かった。墓の後ろにあるギザキザのアイス棒のでかいやつみたいなのにも友人の名前が書いてあった。掃除して、花を飾って、線香たいて、最後に携帯のカメラでお墓の写真を撮って、オレ流追悼お墓参りは終了です。
そのあとは地元に戻り、飲み会をしました。追悼思い出話です。遊び友達なので悲しい思い出などなく、笑える話ばかりです。困った時に助けあるのが友人かもしれないが、俺たちはそんな関係じゃないということに気がついた。悪友。悪いことをするためにつながっている仲間だから、愛が地球を救うとかいう連中に反吐を吐くのが、俺たちの友情なのだから、残念だが力になれなかったことは諦めてもらうしかない。そして次は誰が死にそうかという話になり、最終的に健康は大切、ストレスはバカにできないぞという締めで追悼飲み会はお開きになりました。
でもまだ心のモヤモヤは残ってはいるので来年か再来年か、またみんなでお墓参りに行こうということになりました。死の準備というのはすんなりとはいかないですな。
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きて、夕日の前に寝てしまうという歌詞には心打たれますなあ。

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