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2008年8月 4日 (月曜日)

ケータイ小説 ひきこもり釈迦十大弟子6 阿那律・優波離・迦旃延・富楼那・須菩提編

 阿那律(あなりつ)、インド名アヌルッダ。阿那律はブッダの従兄弟で釈迦族のお金持ちです。ブッダのところまで、たくさんの従者たちにかこまれてやって来ました。でもお金持ちなのはそこまで、全てを捨てて出家します。 

 持ち物も奴隷たちに、全てあげると言って立ち去ろうとしたところ、「こんなのいらないよー、自分もブッダの弟子になる」と言って主人を追い抜いてブッダの弟子になった者がいます。

 優波離(うばり)、インド名ウパーリ。もとは阿那律が主人、優波離が奴隷(理髪師)という関係だったのです。でも、出家してしまえば身分の違いはなしです。優波離は奴隷出身なので体が丈夫、貧しい暮らしにも慣れていたので、きつい修行にも簡単に耐えることが出来ました。仏教の戒律を一番よく守ったのが優波離なんです。

 それに引き換え、元主人の阿那律は修行の疲れからか、ブッダの説法中に寝てしまいます。いったいお前はここに何をしに来たのだ、とつっこまれ、恥ずかしく思った阿那律は、「もう寝ない」と言い張るようになり、本当に寝ないで目を開きっぱなしにしました。ずっと寝ずに目を開けているものですから体も悪くなります、ブッダが心配して医者に連れて行くと、「寝れば治ります」と言われるだけ。でも説法中に寝てしまったことを悔いている阿那律は目を閉じようとせず、結局両目を失明してしまいます。かわいそうな、阿那律。目は見えなくなりましが、悟りを開き、智慧の目を得て、世の中のありとあらゆるものを見通せるようになります。

 迦旃延(かせんねん)、インド名カッチャーヤナ。ブッダ教団も大きくなるといろいろな悪い噂も起こるものです。権力者である国王や貴族が、そんな一勢力を野放しにするわけもなく、どういう団体か取り調べるようになります。「社長を出せ」です。そんなクレーマー、モンスターペアレントをなだめ説得し、布教するのが、迦旃延の仕事でした。ただ相手は権力者ゆえ伝道に失敗すると 殺される危険もある、命懸けの役目です。おしっこをちびったことも一度や二度ではありません。迦旃延は、どんな相手でも説得してみせる論理派でした、クレーマー対策はばっちりなのです。

 富楼那(ふるな)、インド名プンナ。営業担当。庶民相手に未開発の危険な地方までも出張し、布教しました。足で稼ぐが口癖の、行動派のやり手、営業マンです。軽妙な語りとユーモアで人気があり、五百人の信者を集め、五百ものお寺を建てました。抜群の営業成績でブッダに貢献したのです。最後の最後まで布教を続け、営業先で亡くなってしまいます。全身営業マン、それが富楼那でした。

 須菩提(しゅぼだい)、インド名スブーティ。一切は空。色即是空(しきそくぜくう)の空という考えを一番よく理解していたのが須菩提です。それだけです。ブッダの教えの中で「空」という考えは難しく、うまく伝わらなかった。すべったわけです。ブッダが「空」について語るとき、信者はしんとなり、ちっとも心に響かない。あるあるネタを、ないと否定されたような、寒い雰囲気が漂います。そんな中、須菩提だけが「チョー分かる、チョー面白い」と空という考えを絶賛したのです。ブッダのほっとした顔が思い浮かぶようです。話し手の心をつかむ、弟子随一の聞き手、それが須菩提なのです。Img00013160

<完>

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コメント

長編小説お疲れ様でした。
すべて拝見させていただきました。

世の中色々な教えがあります。
最も多いのは、「やはり人生は、この時期にこうあるべきだ!」とする多数派教の教えではないでしょうか。
多数の利益追求主義の教祖様が多数いらっしゃるとも思われます。
この教祖様たちを統括するのが、お国や広報機関であるような気がするのであります。

でも、多数派教を信教する事は、信者の方が圧倒的に多いので、孤独などから開放されるようなので、一見よいように見られる気がしますが、基本的に人間は孤独な存在である事、また決定的多数派教の教えで含まれていない部分は、突発的な事故、事件、病気などのトラブルが含まれていない状況での人生を語っている点であります。

こうなると、多数派教から破門されたような感じとなり、今までの人生が思いっきり変わってしまう可能性があります。
今の時代に起こっている、トラブルの根源は、多数派教の教えが絶対とする、他の考えを許さないとする世間の方向性が問題の一つにあるのではないかと思われます。

でも、本当に人生でよいことは、孤独でも悶々と生き、たとえ苦しくても自分自身だけで悟りを開く事だと思います。
多数派教の教えを進んでいったとしても、それにはどんな形でも自分自身の力で悟り開くと言う、自分自身が人生の主人公であるという考えが欠落しているような気がしてなりません。。
・・・ということは、ひきこもりは、実は自力で日々自分自身の悟りを開く事に精進しているとおもわれるので、世間で言うパラサイトにはあたりにくく、実は、反対に多数派教の教えに従って生きると言う事は、多数派教の教祖様たちの教えに従って生きると言う事で、本来のパラサイトと言える部分があると思われます。

投稿: ぴえろ | 2008年8月 5日 (火曜日) 01時23分

「ひきこもり釈迦十大弟子」完結おめでとうございます。ジブリに映画を作ってもらいたいです。そうなれば少しは生きやすい世の中になると思います。

投稿: おぶろもふ主義者 | 2008年8月 5日 (火曜日) 09時47分

ブラボー
ひきこもりの生きる糧ですよ

投稿: てきとう | 2008年8月 5日 (火曜日) 19時21分

完結おめでとうございます。
仏教に関心はあっても知識が無に等しい自分は、普通に「物語」として楽しませて頂きました。ブッダや彼の弟子たちといえど、悟りだ修行だと言いながらも「煩悩」という人間臭さ全開で、妙に親近感を覚えました。
……そろそろお盆ですね。自分の家は毎年送り盆の日にお寺で住職さんの法話を聴きます。それが結構楽しみだったりするんですが、そのことを含めても自分はこの時期とても気分が塞ぎ込みます。というか落ち着きません。……親戚が入れ替わり立ち替わりやって来ますもので。

投稿: カクタスボーイ | 2008年8月 6日 (水曜日) 10時35分

ブッダの修行は当時の常識的であったバラモン教への反発から、
始まっているのです。カースト制度で生まれながらに人間の優越が決まっているのが
当時もそして今のインドの常識だったわけです。

ポニョのような主題歌が欲しいですね。
かわいい感じで十大弟子を歌い上げてくれる人がいないものでしょうか。

センキュー、ちゃんとひきこもってないと、
こういうポンチ小説は書けません。

男子=煩悩です。それゆえ悟りの道に憧れるのです。
お盆の起源は、目連ママンを地獄から救った話です。
毎年、大勢集まりたくさんのお供え物をし、祈りを捧げ、先祖を救うのです。
目連が托鉢をし、百人の僧を集め、目連ママンを救ったようにね。

投稿: 勝山実 | 2008年8月 8日 (金曜日) 20時37分

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