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2008年8月31日 (日曜日)

ひきこもりシェイクスピア

 悲劇より喜劇のほうが哀しい。人生のどん底にいると、しばしばユーモラスな行動をとってしまうものです。自分にも思い当たる節があります。高校中退し、大学にも進学できず死ぬことばかり考えていたはずなのに、カセットテープに俺DJの妄想深夜ラジオ放送を吹き込んで、一人で聞いて楽しんでいたりしました。

 勉強しなきゃいけなかったのに、働かなきゃいけないのに、その追い詰められた結果、太宰治のような小説家になろうと考え、人間合格というタイトルの小説を書き文芸誌の新人賞に応募しました。即落選です。

 精神的な苦しみが限界を超えると、何も見えない何も聞えない、悪い意味での悟りの境地に入ってしまう。現在の自分も、こんなブログを書いていられるような状況ではないはずです。しかし何という健やかな気持ちでしょう。長い間の孤独や恐怖が、台風の嵐のように、現実を、客観的な今の自分を、どこか遠くの彼方へ吹き飛ばしてしまったのでしょうか。

 人間がだめになると夢は大きくなる。今日の大赤字よりも、3年後の黒字予想ばかりを語る借金だらけの社長のように。辛い状況でこそユーモアが生まれる。ユーモアとは哀しいものなのです。アフィリエイトで儲かったと書きまくるブログを見かけます。働かなければ、お金を稼がなければ、餓死してしまうという恐怖に圧倒され、こんな分かりやすいデタラメに引っかかるのです。

 絶望と恐怖。これをうまく取り除けばいいのです。そのための安心ひきこもりライフです。働けば今ある絶望と恐怖が取り除かれるのでしょうか。いったいいくらお金があればいいのでしょうか。働いてお金を稼ぐことで、希望と安心が得られると、本気で思っている人だけ働けばいい。労働は悲劇で、ひきこもりは喜劇なのだと思います。Shakespeare

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2008年8月29日 (金曜日)

夏休み宿題 ひきこもり作文

 ボクはリストラが大好きです。どうどうと胸をはって会社を辞められるからです。失業保険もすぐもらえるからです。ずっと辞めたかったです、日々辛かったです。休みが終わるとまた仕事だと思うと、休日も楽しくなかったです。辞めるのは、忍耐力がない、根性がない、だめ人間ですが、リストラされる人は可哀相な人です。自分の意思とは関係なく辞めさせられるのです。働きたくても辞めさせられる、そんな人間になれるのですから、ボクはリストラが大好きです。一年に一回リストラがあるような会社が、ボクにとって魅力的です。でも、たいていリストラしているような会社は潰れてしまいます。

 不景気も大歓迎です。景気がいいのに、人手不足なのに、ひきこもっていたら、いろいろとばれちゃうじゃないですか。馬脚をあらわすじゃないですか。だから、ずっと不景気のままがいいと思います。ああ、もうすぐ夏休みも終るのですね。

                  ひきこもり小学校三十六年生 勝山実Natsu

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2008年8月27日 (水曜日)

ひきこもり果汁100%

 ちゃんとひきこもるとはどういうことなのか、しっかり話しておきましょう。安心ひきこもりライフとは何か、それは100%ひきこもることです。

 ひきこもり廃人、悪いひきこもりライフとは99%ひきこもって、残りの1%を就労活動に費やすことです。結局この1%が残りの99%を台無しにする。ひきこもり人生のたった1%でしかない就労活動によって、挫折感と後悔、自己否定、劣等感にさいなまれたひきこもりライフを送る羽目になる。違うだろうか。君は人生の何パーセントを労働に費やしたか。その労働が人生の「ほとんど」であるひきこもり時間にどれほどのダメージを与えたか。

 就労という一滴の毒が、ひきこもり井戸の水、全部を飲めなくしてしまう。1%の就労のために、99%のひきこもりライフが苦痛に満ちたものになる。就労とは、ひきこもりにとって煩悩のようなものです。これを吹き消してしまえば、ひきこもりが100%になれば、安心ひきこもりライフが訪れる。究極の安らぎが、そこに待っている。名人と廃人をわける1%、そこが肝なのですよ。Photo_3

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2008年8月25日 (月曜日)

ひきこもり大演説

 就労活動には全ての悪がつまっている。履歴書を書き、面接をうける。つまり、冴えない過去と向き合い、自分の存在を全否定され、ひきこもり地獄を強化しているにすぎない。

 俺データによると、アルバイトを始めたひきこもりの半分が1週間以内に辞め、1年で90%が燃え尽き、3年で99%がフェィドアウト、5年で100%が全滅する。

 いかがなものか。世の中お金だ、働かないと生きていけないと、腰砕けの精神で挑んだ結果がこれなのだ。ぽんち就労、ぽんち社会復帰、ひきこもりはこじれるばかりだ。

 世の中お金じゃない、働くなくても生きていける、村々を托鉢して回ればいい。否、村々なんか回らなくても、自分の家の冷蔵庫を開ければ食べ物は余っている。食べきれずに賞味期限を過ぎて行く物が多すぎる。そもそも食べ過ぎている。運動しないと太るくらい食べ過ぎている。芋が二つもあれば一日の食料としては十分なはずだ。

 今は職業訓練と称して、ワードやエクセルを勉強させるという、とんちんかんなことをやっている。そんなことしても、その人働けませんよ、すぐ辞めますよ。訓練するなら断食をしたほうがましだ。稼ぐ練習よりも、貧しい暮らしに耐える修行のほうがひきこもりには大切。貧しい生活っていうのが、実は人間にとって一番の職業訓練なんだ。Photo

 

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2008年8月22日 (金曜日)

読書会 一人反省会

 鳴かず飛ばず働かずブログの読書会、無事に終了しました。来てくれた方々、ありがとう、お疲れ様でした。もっと早くご報告すべきでしたが、一人反省会が長引いたため今日になりました。

 ああ、なぜ思うようにトーク弾まなかったのか、と自問自答をしていたのです。自分に甘く、他人に厳しくボクです。まあ良し、良かったはずだと納得し、先ほど落ち着きました。今はゆったりと、いい気分です。でも、あえて反省するのなら、どこがいけなかったのか…。

 「咬ませ犬」スタイルのトークを軸とするべきじゃなかったか。敵味方、関係なく咬みついてこそ勝山節じゃないか。来てくれた人が憤慨して、来て損をしたと思わせてこその名人の技。「金を返せ」とアンケート用紙に書かれた、かつての勢いが欲しかった。ちょっとおとなし過ぎた、それだけが心残り。アホウドリは本当にアホなのか。 P1

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2008年8月20日 (水曜日)

さまよえるヒキコモリ 社会参加と社会復帰

 社会参加とは、他人と接すること。社会復帰とは、他人に認めてもらうこと。当然社会復帰のほうがハードルが高い。じゃあ、社会復帰のほうが価値があるのか、社会参加は予備・準備段階なのか。

 金にならない、生活できない思い込まされて、社会参加を中断して、社会復帰を目指すのが、違うと思う。自分にとって価値のない、やりがいのない仕事について、給料をもらう生活が本当に社会復帰なのだろうか。

 ひきこもりが死に至る病だと信じ、あれこれと脱出するべく、勤労思想に殉じ、敗れ去って行った人々の屍の山。脱ひきこもりを賭けてやった、あれやこれによってこそ、生命は痛めつけられる。

 就労活動と無断欠勤。社会復帰と社会エスケイプを繰り返すことほど、不幸なことはない。社会参加より社会復帰のほうが価値がある、つまり会社で働くことだけが、社会に足を踏み出すことだという考えが間違っている。

 ひきこもりの社会復帰を法律で禁止したらいいんじゃないか。どうせ辞めるんでしょ、そのアルバイト。セミのような一夏の短い社会復帰よりも、じっくり長期熟成の社会参加のほうが結果的に、人との関わりを大きくするはずだ。自分の価値観のほう優先するべきだ。お金を稼ぐための社会復帰ばかり、スポットライトが当たりすぎている。それはいかんの「い」。Jbiz055_3

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2008年8月19日 (火曜日)

ひきこもりシロアリ

 ひきこもりシロアリという、キャラクターの商品化を考えてみました。

 シロアリ族。親のすねを見るとかじりたくてしょうがなくなるやんちゃなシロアリ。しかも、かじられた人は幸せに元気になってしまうという設定。完全オリジナルキャラです、いかがでしょうか。Sunekajirimushi_4

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2008年8月16日 (土曜日)

せーの

 富士山は霊山、信仰の山であり、頂上には神社があります。登山道のおわり、鳥居をくぐって頂上に達する。ボクは疲れ切っていて、鳥居も狛犬にも、ちらと流し目をくれてやっただけで、とっとと通り過ぎましたが、ここでは多くの青春ドラマが演じられているのです。

 男女5~6人が手をつないで、「せーの」でこの鳥居をくぐるのです。けっ。しゃらくせー。こんな学芸会が、野放しにされていていいのでしょうか。ゴミやトイレよりも、問題ではないでしょうか。狛犬の代わりに、土佐犬でも放し飼いにして、煩悩男女を阻止するべきです。

 富士の頂上は残念ながら霧で景色は見えず、ただ次々訪れる感動ゴールをぼんやりと眺めているだけ。富士を包む霧のように、頭の中も真っ白になっていくのです。Photo

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2008年8月13日 (水曜日)

ご来光

 八合目まで四時間で登れるコースでしたが、初心者の中年男子ゆえに五時間半かかってしまいました。山小屋に着いたのは日が沈む直前の午後七時です。

 山小屋の寝場所が、ホントに狭いっす。一畳に一人くらいのスペースが、一般的と本には書いてありましたが、実際は三畳に四人という更に窮屈なもの。寒くて狭い、蟹工船チックな場所に、憧れの富士で出会うとは。プロレタリア万歳と、心の中で叫ぶ以外、自分を慰める方法が分かりません。

 ボクは友達と二人で登りましたら、自動的に相部屋というか、相就寝スペースとなります。四人で一区切りになっていて、隣りは若いカップルでした。中年男子二人と若いカップルで一区切りというやや屈辱的な組み合わせです。いかがなものでしょうか。これも富士ブッダからの試練なのでしょうか。

 カップルに気を使いすぎて、寝返りも出来ず、熟睡は望めません。富士山の山小屋では、仮眠しかできないと考えたほうがいいです。しかもボクは、ご来光が楽しみすぎたのか、日の出の四時間前に覚醒してしまい、そのまま眠ることなく朝を迎えます。

 水平線のあたりに、雲が凸凹とあり、ご来光は微妙です。日の出の時間になっても太陽が出ません。雲の凸の部分と重なったようです。空は明るくなるけれども、太陽が出ない、だめかなと諦めかけた時に、ぽわりと太陽が顔を出しました。ご来光です。Img060

 夢は諦めると叶う。写メールをカシャカシャ撮り、もっともてますようにと手を合わせて拝んでいるうちに、ご来光は終了。陽が昇るのは意外と早く、時間にして7分くらいなんですよ。

 期待が大きすぎたせいか、感動は小粒で、悟りを開くとかいうレベルではありません。でも、さすがご来光、大いに楽しませ、満足させてくれます。芸人として、エンターティナーとして一流、スーパースターではないでしょうか。

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2008年8月12日 (火曜日)

働かざるもの食うべからず

 働かざるもの食うべからず。そう言ってママン&ダディーが、兵糧攻めをしたのはボクが20代だった頃、今から七年くらい前のことです。ボクの分だけ食事を作らない。働かない人間には食べる資格はないと、いうのです。

 今日ダディーに、早くご飯を食べなさいと叱られました。ママンも、温かいうちに食べないとおいしくないでしょ、とぷりぷりしています。あの働かざるもの食うべからず…、あれはどこに行ってしまったのでしょうか。家族全員、ひきこもりとは何かということが、わからなくなっています。

 ご飯もおかずもボクの分は大盛りです。育ち盛り、食べ盛りが続行しているのです。子供は年々大きくなり、食事もたくさん食べるようになるはず。そんな育ち盛りひきこもり中年男子は、いかがなものでしょうか。Oomori1

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2008年8月11日 (月曜日)

がんばれダディー

 富士山は八合目あたりから傾斜がきつく空気も薄くなります。ボクも軽い高山病なのか、頭が痛くなり、登るスピードも他の登山者の半分くらいになる。肉体的な辛さ、それに加えて、九合目あたりで繰り広げられる、最低の家族ドラマがきついのです。

 子供(女の子が多いのですが)が疲れ切って歩けなくなり、登山道の脇でうずくまっている。そんな子供が何人もいます。そして、その隣りに必ずいるのが最低の父親、「がんばれダディー」です。もういい、帰りたいと、完全に心が折れてしまった子供に、「がんばれ」「もうすぐ頂上だ」の大号令を繰り返すのです。

 まったく心に響かない励まし。猿の鳴き声と変わらない。薄っぺらな、がんばれダディーは、そのことに気づいていないようです。ボクは目を背け、家族ドラマの横を通り過ぎると、すぐにまた同じような家族ドラマに出会うのです。いかがなものでしょうか。

 ひきこもり裁判なら即有罪、執行猶予なしの実刑判決です。親子断絶の歴史の瞬間に立ち会う。これが苦行でなくて、何でありましょうか。富士ブッダからの最大の試練です。がんばれダディーをひっぱたいてやろうと思うくらいです。がんばれダディーは、けして子供を背負ったり、抱きかかえて頂上まで行こうとはしません。自分の力で頂上まで辿り着く、そんな強さを持った子供に育って欲しい、という妄執に囚われて、目の前で苦しんでいる、一人の人間を助けるという、大切な優しさを失くしているのです。

 「休んでばかりだと、いくらたっても頂上に着かないぞ」と娘を叱っている、がんばれダディーもいました。やれば出来る、高校くらい卒業しろ、何でもいいから働け、と罵られ続けたひきこもり人生と重ね合わせ、ボクは哀しみの富士山頂へと辿り着くのです。Img062

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2008年8月10日 (日曜日)

特上寿司

 8年前。部屋の扉をノックし、ダディーが思いつめた表情で入って来た。「今日で父さんは定年退職だ。これからは自分の生活費は自分で稼ぎなさい」。ついに怖れていたものがやって来た。こんな甘えたひきこもり生活はこれでお終い。働かなければいけない、外に出なければいけない。今まで先延ばししていたものが全部自分に降りかかる時が来たんだ。

 今日、寿司を食べました。特上寿司でした。そんなにお腹はすいていなかったのだけど、ダディーがかってに出前を頼むものですから。甥っ子とみんなで食べましたよ。甥っ子が残した分はボクが食べました。だからボクは1.5人前くらいの特上寿司を食べたことになります。Imgphp

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2008年8月 8日 (金曜日)

俺たちのマナー

 ひきこもりマナーが大切です。ひきこもり中年紳士なら当たり前のマナーも、一般の人には十分に伝わっていないような気がする。ここではその一部、就労に関するひきこもり中年男子への、声に出して言うべき正しい日本語を、具体例をあげてお教えしましょう。

アルバイトの面接で落とされたひきこもり中年男子への正しい日本語
「その店長、人を見る目がないな」
「その会社、潰れるよ」
「お前が落ちるんなら、みんな不採用だよな」

アルバイトを無断欠勤したあとフェイドアウトしたひきこもり中年男子への正しい日本語
「オレなら、そんな会社一日で辞めてるよ」
「その会社、潰れるよ」
「お前が辞めるんなら、他のやつも今頃、辞めてるんだろうな」

アルバイトが一週間続いたひきこもり中年男子への正しい日本語
「お前、ビジネスマンだな」
「その会社、きっと成長するよ」
「過労死しないように、有給休暇ちゃんと取れよ」

 いかがでしょうか。きちんと、ひきこもりマナーを守って会話していますか。心にひきこもりマナーを持てるようになってこそ、安心ひきこもりライフも充実するのです。 Images

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ひきこもり釈迦十大弟子

 誰も望んでいないとは思いますが、ケータイ小説専用のブログを作りました。まとめただけで、内容は同じです。

ひきこもり釈迦十大弟子
http://katsuyamaminoru.cocolog-nifty.com/

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2008年8月 7日 (木曜日)

富士山登頂成功

 ひきこもり虚弱体質でも富士山の頂上までは行ける。そのことを証明するために富士山に登ってきました。本日は、そのご報告です。もう体が動かないむん。Img063

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2008年8月 5日 (火曜日)

ケータイ小説 ひきこもり釈迦十大弟子 目次

#1 ケータイ小説 ひきこもり釈迦十大弟子1 舎利弗・目連編
#2 ケータイ小説 ひきこもり釈迦十大弟子2 舎利弗・目連編II
#3 ケータイ小説 ひきこもり釈迦十大弟子3 羅睺羅編
#4 ケータイ小説 ひきこもり釈迦十大弟子4 阿難・大迦葉編
#5 ケータイ小説 ひきこもり釈迦十大弟子5 阿難・大迦葉編II
#6 ケータイ小説 ひきこもり釈迦十大弟子6 阿那律・優波離・迦旃延・富楼那・須菩提編 Jd01

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2008年8月 4日 (月曜日)

ケータイ小説 ひきこもり釈迦十大弟子6 阿那律・優波離・迦旃延・富楼那・須菩提編

 阿那律(あなりつ)、インド名アヌルッダ。阿那律はブッダの従兄弟で釈迦族のお金持ちです。ブッダのところまで、たくさんの従者たちにかこまれてやって来ました。でもお金持ちなのはそこまで、全てを捨てて出家します。 

 持ち物も奴隷たちに、全てあげると言って立ち去ろうとしたところ、「こんなのいらないよー、自分もブッダの弟子になる」と言って主人を追い抜いてブッダの弟子になった者がいます。

 優波離(うばり)、インド名ウパーリ。もとは阿那律が主人、優波離が奴隷(理髪師)という関係だったのです。でも、出家してしまえば身分の違いはなしです。優波離は奴隷出身なので体が丈夫、貧しい暮らしにも慣れていたので、きつい修行にも簡単に耐えることが出来ました。仏教の戒律を一番よく守ったのが優波離なんです。

 それに引き換え、元主人の阿那律は修行の疲れからか、ブッダの説法中に寝てしまいます。いったいお前はここに何をしに来たのだ、とつっこまれ、恥ずかしく思った阿那律は、「もう寝ない」と言い張るようになり、本当に寝ないで目を開きっぱなしにしました。ずっと寝ずに目を開けているものですから体も悪くなります、ブッダが心配して医者に連れて行くと、「寝れば治ります」と言われるだけ。でも説法中に寝てしまったことを悔いている阿那律は目を閉じようとせず、結局両目を失明してしまいます。かわいそうな、阿那律。目は見えなくなりましが、悟りを開き、智慧の目を得て、世の中のありとあらゆるものを見通せるようになります。

 迦旃延(かせんねん)、インド名カッチャーヤナ。ブッダ教団も大きくなるといろいろな悪い噂も起こるものです。権力者である国王や貴族が、そんな一勢力を野放しにするわけもなく、どういう団体か取り調べるようになります。「社長を出せ」です。そんなクレーマー、モンスターペアレントをなだめ説得し、布教するのが、迦旃延の仕事でした。ただ相手は権力者ゆえ伝道に失敗すると 殺される危険もある、命懸けの役目です。おしっこをちびったことも一度や二度ではありません。迦旃延は、どんな相手でも説得してみせる論理派でした、クレーマー対策はばっちりなのです。

 富楼那(ふるな)、インド名プンナ。営業担当。庶民相手に未開発の危険な地方までも出張し、布教しました。足で稼ぐが口癖の、行動派のやり手、営業マンです。軽妙な語りとユーモアで人気があり、五百人の信者を集め、五百ものお寺を建てました。抜群の営業成績でブッダに貢献したのです。最後の最後まで布教を続け、営業先で亡くなってしまいます。全身営業マン、それが富楼那でした。

 須菩提(しゅぼだい)、インド名スブーティ。一切は空。色即是空(しきそくぜくう)の空という考えを一番よく理解していたのが須菩提です。それだけです。ブッダの教えの中で「空」という考えは難しく、うまく伝わらなかった。すべったわけです。ブッダが「空」について語るとき、信者はしんとなり、ちっとも心に響かない。あるあるネタを、ないと否定されたような、寒い雰囲気が漂います。そんな中、須菩提だけが「チョー分かる、チョー面白い」と空という考えを絶賛したのです。ブッダのほっとした顔が思い浮かぶようです。話し手の心をつかむ、弟子随一の聞き手、それが須菩提なのです。Img00013160

<完>

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2008年8月 3日 (日曜日)

ケータイ小説 ひきこもり釈迦十大弟子5 阿難・大迦葉編II

 阿難(あなん)は女子に優しい人でした。ブッダは女子にもてたくないと言い張る悟りの人ですから、煩悩を刺激する女子を教団に入れたくなかったのですが、阿難が男女を差別するのはおかしい、と正論を言うので、渋々女子を教団に入れるようになりました。頑固で意地の悪い教祖と、ハンサムで若く女子に優しい弟子。ブッダの苦悩たるや、いかがなものでしょうか。

 ブッダが亡くなる時にそばにいたのも阿難でした。最期の最期までブッダの世話をしていたのです。そんな姿がまた女子の人気を誘うのです。ブッダの死後三ヶ月が過ぎ、このままでは、ブッダの教えが廃れてしまう、みんなで集まって経典をつくろうじゃないかということになりました。呼びかけたのは大迦葉(だいかしょう)です。いつもブッダからもらったボロボロの汚い服を着ている最年長の超清貧もてない仏男子の、大迦葉です。ここから阿難の悲劇が始まります。

 続々とブッダの弟子たちが経典作りのために集まってきます、当然、阿難もやって来ました、その時です。「だめー、絶対だめー」と大迦葉か阿難の前に立ちふさがりました。阿難は先輩である大迦葉にどうしてなのか尋ねました。大迦葉は言いました。「悟ってないでしょ」って。更にブッダに対し五つの罪がある、と言い放ちました。大迦葉がブッダの言葉を語る時、ボロボロの法衣はブッダパワーをまとい、きらきらと金色に光るのです。

 「女子を教団に入れるよう、ブッダにお願いしたこと、これ一つの罪」。そーだそーだと周りのもてない仏男子も大迦葉に味方します。二つ目はブッダの看病に失敗したこと、三つ目はブッダに長生きしてくださいと頼まなかったこと、四つ目はブッダの服を踏んだこと、五つ目はブッダのチンチンを女子に見せたこと。阿難には難癖以外の何物でもないのですが、泣いて謝っても許してくれません。阿難は集まりに参加できず、帰ることになります。

 阿難は一人、涙を流し、座禅を組みます。そして忽然と悟りを開きます。もてないほうが、かっこいい。もてちゃだめだ。もてない人が一方的に偉い、と。阿難は再び大迦葉のところに行きました。大迦葉も一目見て、阿難が悟りを開いたことを見抜きました。阿難はずっとブッダに付き添っていたので説法も一番知っています。大迦葉は、阿難を中心すえ、ブッダの教えを思い出しながら、経典作りは行なうのです。Daikasho_2

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2008年8月 2日 (土曜日)

ケータイ小説 ひきこもり釈迦十大弟子4 阿難・大迦葉編

 阿難(あなん)、インド名アーナンダ。ひきこもり仏教団、唯一のもてもてイケメン仏男子です。そんな奴が悟りを開けるわけがありません。ブッダが生存中、阿難は悟りを開くことが出来ませんでした。若い頃からもてる男子にろくなのはいません。まして、悟りなんて開かせてやるものか、そんな誰かの気持ちが、一途な修行僧の悟りを邪魔したとかしないとか。

 大迦葉(だいかしょう)、インド名マハーカッサパ。弟子最年長のもてない仏男子です。もともとお金持ちだったのですが、安心ひきこもりライフに憧れて出家しました。

 ブッダが体調を崩し寝込んでいました。大迦葉は心配して話しかけると、ブッダは枕が欲しい言いました。大迦葉は自分の着ていた服をくるくる丸め枕にしてブッダに渡しました。もともと大迦葉はお金持ちですから着ている服も大変上等なものでした、肌触りがいい。ブッダはこの服の枕を気に入りました。大迦葉はブッダに喜んでもらえたのがうれしく、その服をプレゼントすると、ブッダは変わりに自分の着ていたボロボロの汚い服を大迦葉に上げました。

 大迦葉は尊敬するブッダの服をもらい大変喜びました。生涯その服を着続けました。汚いボロボロの服を生涯着続けたのです。大迦葉からもてる要素が何もなくなった瞬間でもありました。

 悟りとは何か。弟子達がよくブッダに聞きました。どうなんだ、悟るともてるのか、という問いかけです。それに対しブッダは蓮の花を持って、微笑しました。拈華微笑(ねんげみしょう)というやつです。ブッダは悟りとはどういうものか言葉で説明すると、ただ悟りさえすればいいと弟子が考えてしまったり、悟ってもてないなら辞めると言い出すのではと思い、直接は語らず、拈華微笑でごまかしていました。弟子は意味が分からず、残念な思いをしましたが、大迦葉だけはこの意味をすぐに理解しました。つまり、もてない男子こそかっこいい、安心ひきこもりライフが、悟りの道であると気づいたのです。

 悟りを全く開けない阿難は、ブッダの身の回りの世話をしていました。ブッダも年を取ってからワンマン説法ツアーをするのが、体力的にきつくなってきたので、阿難とコンビを組んで営業していたのです。体力は衰えても説法のほうは円熟味がましてきます。そこに阿難というハンサム仏男子が加わったことで説法もソールドアウト状態です。ただ、ステージが終わるとブッダは阿難に、こんこんとお説教をしました。「女子を見るな、女子と話すな、女子に関わるな」と。

 ブッダは解脱していました。解脱とは「女子にもてない」から「女子にもてたくない」と心の考え方を変えることです。そんなブッダから見て、阿難のもてもてぶりは言語道断でした。女子にもててる様では、悟りなんて開けねえぞ、と何度も脅しをかけるほどでした。実際、ブッダ生存中、阿難は悟りを開けないまま、ブッダに仕えるという生活をしたのです。Anan

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2008年8月 1日 (金曜日)

ケータイ小説 ひきこもり釈迦十大弟子3 羅睺羅編

 羅睺羅(らごら)、インド名ラーフラ。ブッダは二十九歳まで釈迦国の王様でしたが、中退して出家しました。その時代に生まれた子供が羅睺羅です。ブッダは悟りの開くために、国も妻子も捨てたのです。

 鳴かず飛ばずだったブッダも弟子が増えていい感じになってきたので、悟りっぷりを見せつけたくなったのでしょう、故郷の釈迦国に凱旋帰国します。だがそれを喜ばない人もいました。

 ブッダが来る、ブッダが王に返り咲く。自然とブッダの弟子達が大臣になるだろう、そうなれば俺達は無職になるじゃないか、そう考える側近達が多くいたのです。ブッダがいなくなった後、王になっていた羅睺羅に、側近の大臣達は「ブッダに、国と財産を譲るという証文をかいてもらいなさい」と進言します。羅睺羅は言われたとおり、ブッダに会うと国と財産をくださいとお願いします。

 「親のすねをかじるんじゃない」と自分のことは棚上げにして、ブッダは羅睺羅を叱り、舎利弗(しゃりほつ)に預けて、修行させるように頼みます。羅睺羅は強制的にブッダの弟子にさせられたのです。

 羅睺羅はブサイクでした。全然もてませんでした。男は度胸、女は愛嬌などと言ってごまかしていたそうです。「男は顔じゃない、心だ。心に仏があればよい」と言って、もてない中年ひきこもり仏信者の心をよく掴んだと言われます。Ragora_2

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