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2008年2月25日 (月曜日)

論理的

 ボクには文学趣味がある。人間とは何か、どう生きるか、というテーマの前で身悶えして楽しむところがある。ただその趣味を自分の書く文章に持ち込むことは、しないようにしている。

 10年くらい前だろうか、ファミレスでボクなど足元にも及ばないような気狂いにアムウェイビジネスの素晴らしさについて長々と説明&勧誘を受けたことがあった。その時にお前の言っていることは全然論理的でないと批判したところ、「論理的って何?」と聞き返されたことがある。そのアムウェイ君は論理という単語の意味を知らなかったんだ。論理的じゃないってのは、要は話の筋道がきちんと通っていないじゃないかということ。でもいざ普通に少しの恥じらいもくな論理的ってどういう意味なのと聞かれると、自分も分かっているつもりの言葉でも、はっきりと答えることができなかった。

 みんながみんな本を読んでいるわけではない。ドストエフスキーを読んでいるのは日本に4人くらいだろう。難しい本を読んで、難しい言葉を使うべきでない。通じないでしょ、サルの鳴き声と結局は一緒。話の質を落とさずに、分かりやすく話したり書いたり出来てこそ真の文人だ。言葉を選び、リズムを大切にし、ユーモアをまぜる。これを意識しないで文章を書くのは、何も書かないのと一緒なのですよ。

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