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2007年8月29日 (水曜日)

ひきこもりパパラッチ

 故・ダイアナ妃と言えばパパラッチ。有名人の写真を盗み撮りして新聞や雑誌に売り込む連中だ。日本で言えばフライデーの記者かな。とにかく追い回し、待ち伏せして写真を撮りまくる。ダイアナ妃が泣いてやめてくれと言っても、それ今こそシャッターチャンスとばかりにばんばん撮影する。こういう場面をテレビで見ているとたまらなく厭な気分になる、なぜだろうか我が家にも否すべてのひきこもりの家庭には、母親という名のパパラッチがいるからさ。仮にハハラッチと呼ぶことにする。

 カメラのフラッシュやシャッターの変わりに、「出てけ」「働け」を連呼する母親パパラッチ。洗濯や掃除にかこつけて子供の部屋の前で待ち伏せする、あのハハラッチだ。ダイアナ妃は泣いてしまったが、全国のひきこもりは「うるせー」「オレの部屋から出てけ」と怒鳴るはず。すると母ラッチは今がチャンスとばかりに、誰のおかげで飯が食えるフラッシュをたきながら、親子なら何やってもゆるされるカメラのシャッターをきる。

 地獄であります。食いしばった歯ぐきから血がぼとぼと流れ落ちるやうな、ぎりぎりの状態ではないだろうか。ボクは全国のひきこもり息子をなぐさめるためにこう提案したい、これはひきこもり版親孝行なのだと。スターが写真を撮られるのが有名税なら、ハハラッチが夢中で息子の部屋に波状攻撃をかけ、ひたすらうるさくわめき散らされるのはひきこもり税だ。納めた税金の額がそのまま親孝行になる。ボクは普通の人が一生の間にする量の親孝行をもうやりきってしまった気がする。孝行したい時に親はなしと言うが…、ひきこもりのボクには無縁の言葉だね。

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2007年8月28日 (火曜日)

空想・もし給料が二倍になったら

 お盆休みも関係なしのホリデイ叔父さんです。給料が二倍になるより、出勤日が半分になった方がうれしいよなって思った。初任給のままでいい。出世、年功序列、歩合、ストライキどんな形でもいい、給料上げてくれるよりも出勤日を減らしてくれたほうが嬉しい。偉くなればなるほど、会社に行かなくてよい、何でそうならないのかなと。

 みんなバカンスしたいんでしょ。南の島でバカンスしたいんでしょ。暑い日にクーラーがんがんにかけて部屋のこもる、核シェルター暮らしじゃないか。貧乏だからしょうがない、というなら分かる。お金持ちでも同じじゃないか。いかがなものか。給料を二倍にするのではなく、労働時間を半分にしていただきたいと、空想世界の空想社長にそう直訴しておきました。

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2007年8月23日 (木曜日)

ひきこもりとゲーム

 ひきこもりと言えば家でゲーム。誇りを持っていただきたい。胸をはってゲームをしていただきたい。ひきこもっていて、ゲームが出来ないとか好きじゃないとか言っていたら、何も持たざる者にもほどがるある。ゲームが得意であるとは、ひきこもりとしての当然のたしなみだ。

 ボクの一番のお薦めのゲームは「ごきぶりポーカー」。UNOのようなカードゲームで、3~6人用。欠点は一人でも二人でも出来ないというところだが、四人ぐらい集まってやるとスーパーマリオをも超える面白さがある。こういうゲームを知り、楽しむ術を覚えておくと「さすが、ひきこもり」と良くも悪くも周りを納得させることが出来る。ちなみにボクはごきぶりポーカー最強ソムリエですから、いつでもお相手してあげます。

 せっかくだからごきぶりポーカーがどのようなゲームか教えましょう。基本的にはダウトのようにウソをついて相手をだます、相手のウソを見抜けなかった場合カードを受け取らなければならない。同じ種類のカードが4枚たまると負け。「これは、ごきぶりです」と言われて出されたカードがウソか本当かを当てる、もしくはカードをめくり自分だけ見て他の人に同じようにカードを押し付ける、というのを繰り返す。こう書いても何が面白いのか、君にはさっぱり伝わっていないようだね。

 カードはごきぶり、ハエ、サソリ、カエル、こうもり、蜘蛛、ネズミ、カメムシの8種類が8枚ずつ、ここがポイント。自分の手札に多くあるもの、場に多く出ているカードは、相手が持っていない可能性が高い。勘で相手のウソホントを見抜く部分と、確立から予想する部分と別れてくる。さらに人の癖を見抜くという要素、相手の考え方のパターン、相手の性格を読むなどあらゆる方法をつかう心理戦がこのゲームの醍醐味。こう書いても、まだ君には何が面白いのかさっぱり伝わっていないようだね。

 このゲームを楽しめるタイプは、いじわるで、ひねくれていている人。どうだ、君はどうだ。photo

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2007年8月20日 (月曜日)

できるかな

できるかな?
学校で勉強できるかな?
会社で仕事できるかな?

ノッポさん…、ゴン太くん、
ごめんなさい。
n&g

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2007年8月15日 (水曜日)

二つの標準

 物事にはたいがい二つの標準がある。売春禁止の法律とたくさんの風俗店。民間のギャンブルは禁止する法律と駅前のパチンコ店。憲法9条と自衛隊。禁酒法とアル・カポネ以来の伝統芸能。混ざり合わない二つの標準、二つの本音が共存する。

 本音と建前とかそういうのではなく、守るべき基準がいくつもあるんだ。サラ金のグレー金利だけじゃない。世の中に混ざり合わないいくつもの標準がある。安全な原発って何だ。 高利貸しサラ金のテレビCMで流れる、「借りすぎに注意」って、なにそれ、誰が誰に言っているんだ。

 不登校をなくせ+いじめをなくせ=いじめられるために学校に行く殉教者。政治でも会社員の労働条件を良くしようという政策と、雇用を増やそうという政策が同時に行なわれた結果、なぜか労働条件が悪すぎるアルバイトの求人募集ばかりになっている。

 基準がいくつもあったら、もうそれは基準ではない。普通に学校行け、働けと言われても、今の世の中では「普通」も自分に都合のいい標準に見合った偏見でしかない。標準はたくさんある。つまるところ自分の頭で考えた標準、基準を軸に動くしかない、一番後悔しないやり方だ。

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2007年8月13日 (月曜日)

ひきこもりの夏休み

 毎日が夏休みの勝山叔父さん、このごろは飛びぬけて怠けている。だって暑いんだむん。こう暑くては怠ける以外にすることはない。「暑い暑い」言いながら扇風機に向かって「あー」って言っている。

 何にもしない。働かないにプラスして、ブログも書かない。本も読まない。運動もしない。ただ怠けている。こんなに暑いのだから怠けるしかないと思う。でもクーラーを買ってシャキンとしたほうがいいのか、毎日が無駄すぎやしないか、だって叔父さん何もしないんだもの、とも思う。遊びに来た甥っ子も叔父さんののんべんだらりぶりに、「何で、叔父さんはいっつも寝ているの」を連発。でも暑い夏は怠けるのが正しい人間の姿だと思う。地球に、そして人の心に優しい、夏の怠け。プールに行ってぷらぷらするべき夏。

 今はクーラーのきいたマンガ喫茶でこうやってブログを書いている。流行りなんでしょ、ネット難民。涼しくて、ジュースの飲み放題、パソコンは高性能でサクサク動く。週に一回くらいなら難民生活もいい。一度も行ったことのない人は是非、猛暑の夏に一番のお薦め。

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2007年8月 9日 (木曜日)

職業としてのひきこもり

 ひきこもりって自営業なんだ。他人からどうこう言われる筋合いはない。ないはずなのだがひきこもり商店ほどひやかされ、からかわれる自営業もないだろう。このままじゃだめだ、もう潰れる、将来はないなど言われ放題だ。とっとと店潰してコンビニにしろと、関係ない人に余計な心配をされる寂びれた酒屋の主人のようだ。

 両親の健康はひきこもり商店の売り上げに大きく影響する、手抜かりがあってはいけない。父親が孫と遊んだ後の疲労度をじっくり観察しよう、そこから残りの寿命がどれくらいかを計算する。将来があるかないか、ホームドクターよりも鋭い目で見抜く。母親がテレビをつけたまま眠るまでの時間、テレビを消した途端ガバッと起き上がり「見てるから消すな!」と憤慨するまでの動きを見て残りの寿命を計算、将来の経営予測を立てる。ただ生きていればいいというものでもない。痴呆の可能性もあるので、会話に占める「あれ」の割合もきちんとデータにまとめておく。「今日あれだから、自分であれしておいて」などという会話からアルツハイマーの進行度を推測する。ひきこもりは立派な企業なんだ。

 でも一番は自分の健康である。両親の健康なんかよりも自分の健康のほうが頼りになる。年に一度は健康診断、血液検査。毎日体重計に乗る。簡単な運動で体を整える。個人事業者としての当たり前の心構えだ。自営業者の自覚なくしてひきこもりなどありえない。親のすね一つ取っても、きちんと計画を立ててかじらなければ経営が成り立たない。もっと真剣にひきこもりに取り組めば、けして楽とはいえないもののひきこもりは自営業としてちゃんと成り立つ。精神が自立する。ひきこもり商店のオーナーとして誇りを持っていただきたい。

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2007年8月 6日 (月曜日)

ひきこもりの夢

 総統の命を受けUボートで出撃。戸塚宏の操舵するヨットを魚雷で撃破。戸塚ヨットスクール轟沈。そんな夢を見た。

 陛下の命を受け徒歩で出撃。手榴弾の安全ピンを抜き長田塾めがけ投擲。建物のガラスを割り、ポンコロと転がる手榴弾が長田百合子の足元でピタリ。長田塾炎上。そんな夢を見た。

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2007年8月 1日 (水曜日)

ひきこもりドッペルゲンガー

 奴と出会って15年。いつも図書館にいやがって。ブックオフの105円均一コーナーに住んでるのかお前は。いがみ合いつつ、避けあいつつ。奴が働いていないことはお見通し。鏡か。

 ひきこもりが100万人いればご近所に一人くらいいるはずさ。自分以外にも一人くらいいるはずさ。奴との出会いは15年前の図書館。日のあたらない哲学・思想コーナーでよく出くわした。奴と出会うたびにボクは哲学という学問を恥じ、読書なんて人生の何の役に立たないんだと絶望した。奴を避けるようにボクは図書館ではコンピューターの本ばかり読むようになった。奴と一緒に同じコーナーに居たら人間がだめになってしまう気がした。奴もそう思っていただろう。

 ブックオフに行ってびくっとした。奴だ、奴がいた。105円均一コーナーの本棚にぴたとへばりついている。無職の貧乏人が小銭を握り締めて、古本をじっとりとながめていやがる。数分前の自分、いや数分後の未来の自分か、の姿を見せつけられるような不愉快さ。奴も気づいたようだった。すうーっとボクから離れていく、「距離をとれ」と奴からのテレパシーが聞こえたような気がした。お互いに店内で、でく逢わさぬよう対角線上にポジションを取る。まるで同じチームで何年もプレイしている一流サッカー選手のような見事な連携だった。奴もボクを見てああはなりたくない、あんな風になったらおしまいと見下しているのではないか。

 奴から学んだことは、無職は隠せないということ。無職のオーラはすごい。職安のあの雰囲気が、歩く職安、全身から溢れているんだ。

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