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2007年7月27日 (金曜日)

参議院選挙はどうでもいい

 小学校で習ったとおり参議院より衆議院のほうが価値がある。参議院は二軍である、マイナーリーグなのだ。二軍が優勝しても、一軍が最下位では意味がない。参議院選挙で勝っても、衆議院選挙で負けては意味がないはずだ。いつも思うのだが参議院選挙が近づくと与党つまり自民党は無理そうな政策を強行採決する。消費税とかそうだ。わざとやっているんだ。

 国民怒る→参議院敗北→野党大喜び→でも参院なので国政に影響なし→反対意見が国会に反映されない→国民がっかり→野党に失望→無力感→衆議院選が始まる→与党自民党大勝利。

 こんな茶番は飽きた。参議院選挙は自民党が大勝利したほうがいい。

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2007年7月26日 (木曜日)

会話について

 人とうまく話をできないのはなぜだろう?というお題をもらって、それはねと答えようとして絶句してしまった。他人とうまく話せない理由を、「うまく」話そうと自分に圧力をかけてしまい言葉が出ない。もうちょっとユーモアと、さすがひきこもり名人と思われるような独自の視点からの意見を言うべきだと考えているあいだに、話すタイミングがどっかに行ってしまう。いつものパターンだ。頭がいい人と思われたいんだ。自分を良く見せようと思うと、言葉が出てきにくい。初対面の人の時もそうだ、第一印象を良くしたいと思えば何も言葉が出てこない。天からの閃きを待つ、詩人のような心持ちで人と接するのだから、普通の会話にすらたどり着かない。

 人生ずっとこんなんだった。学校でも一学期に友達が出来たことはない。明るく面白い少年をクラスメイトに披露しなければという圧に負けて、ほとんど無言で過ごした寒すぎる一学期。友達が一人も出来ないまま迎える春の遠足。アルバイト先でも明るく面白い青年を披露しようと自分に圧にかけ、それに潰れ、ずっと無言で働いた。完全な時間の切り売りだった。自分がこう思われたいという自分像を演じようとして演じられず、いつも黙っている暗い奴のレッテルに甘んじる。見栄を張ろうとして自分に圧力をかけ、結果話せない。

 予定調和、マニュアル対応が嫌いだ、創造性にかける。上っ面だけでなく中身のある会話がしたい。これも見栄だ。劣等感かもしれない、うまく話せないんじゃない、つまらない話に加わりたくないんだと自分に言い聞かせ、凍えてしまいそうな自分の心を鼓舞している。完全な日陰育ちのひねくれもの。天気の話もせず、世間話もしない、高級な話しか受け付けませんぞと、だんまりをきめ込んで35年。悲しいかな、ボクはうまく会話をすることが出来ない。

 ボクのだんまり対策法は、ずっと場にいるということくらいだ。これは物量作戦でなるべく長い時間その場にいる。話もしないのに、話の輪の近くをうろうろする。苦痛を感じながらもうろうろしてなんとなくきっかけを待つという、恋する乙女のような、消極的なコミュニケーション技術だ。全くお薦め出来ない。

 あがるから緊張するからうまく話せないのか。でも実際は大勢の前に出されたときのほうが話しやすい。緊張しまくり、あがりまくりだが、一方通行の会話は話しやすい。ブログと同じだ。大勢に向かって話す時は嫌われてもいいんだ。例えば100人いて90人に嫌われても、10人の心に響く話が出来れば成功になる。つまるところ会話を出来なくさせている理由というのは、必ず相手に良い印象を与えてやるぞという、一撃必殺の心意気なんじゃないだろうか。

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2007年7月25日 (水曜日)

38度線

 甘いと言われたら「うるせー」と答えなさい。働けと言われたら「うるせー」と答えなさい。家から出てけと言われたら「うるせー」と答えなさい。声に出して読みたい日本語ナンバーワン「うるせー」。もう卑屈になる必要はない、「うるせー」は言葉の神様だ。

 朝鮮戦争はまだ終わっていない。今でも北朝鮮と韓国は戦争中なのだ。ただ38度線をはさんで睨み合うだけで戦闘は行なわれていない。なぜか、休戦中だからだ。ずっと和解もせず戦闘もせず休戦し続けているんだ。おやおや、これは見覚えがあるぞ。まったく他人事とは思えない。いがみ合いに罵りあいの末に全てを失った我が家に瓜二つではないか。相手を自分の思い通りに動かそうと、戦いを挑み、反撃、その反撃に反撃を繰り返し、不毛な戦いに疲れ果て、何も得ず、多くを失い、それでも戦いを終結させようともせず、和解しようともしない意固地な、ひきこもり親子と同じではないか。

 いかがなものか。ボクは良いことだと思う。休戦しかないと思う。相手を自分の思い通りに動かそうなんて無理だ。この戦いに終りはない気がする。和解なんか無用だ、もうお互いに年を取りすぎた。ひきこもり親子も朝鮮戦争にならって中華料理屋で休戦協定を結ぶべきだと思う。

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2007年7月22日 (日曜日)

武蔵坊内弁慶

 全ての男子の心には、鬼より怖いインサイド弁慶が住んでいる。全ての母親の心には、鬼をも恐れぬインサイド牛若丸が住んでいる。こんなのが同じ家に住んでいるのだから毎日が壇ノ浦合戦である。「働け、家から出てけ」と牛若が罵れば、「うるせーババア、オレの部屋から出てけ」と弁慶が怒鳴る。阿修羅の眷族、地獄の鬼、人間らしい優しさなどどこにもない、畜生のいがみ合いがあるばかりだ。

 ああ、何たることであろうか。チンギス・ハーンも裸足で逃げ出すような、薄汚い罵り合いが日本全国の家庭でおこなわれているのだ。なお、この争いはキャッキャッと嬉々として戦いを挑んでくる牛若に弁慶が愛想を尽かすまで、延々と繰り返される。「夏草や 兵どもが 夢のあと」。Benkei_2

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2007年7月16日 (月曜日)

忍耐

 忍耐とはただ苦しいことに耐えることではない。手に入れたい大きな喜びのために、小さい喜びを犠牲にすることを忍耐というんだ。プロのスポーツ選手とか特にそうだと思う。

 知らなかっただろう、ボクも知らなかった。君がこらえている、苦しみ、つらさ、怒りの先に自分が手に入れたい大きなものがあるのだろうか。目的のない我慢は意味がない。

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2007年7月11日 (水曜日)

超高層電車

 この前電車に乗ったら大変混雑していた。平塚で七夕祭りがあるので東海道線が混んでいたのだ。お祭りがあって混んでいるなら納得だ。どんどん混めばいい。五月の連休やお盆の季節に電車が混むのも納得だ。どんどん混めばいい。ラッシュアワー、何それ。毎朝、通勤が理由で混雑とはいかがなものか。異常な乗車率にもかかわらず、改善される気配もない。

 ビルが高層化して少ない土地に大量の人が集まる。本来ならそれに比例して電車も高層化する必要があるはずだ。二階建て程度ではなく10階建て車両が必要だ。線路は増やせないのだから、電車を高層化しないとどうやったって計算が合わない。そのことにJRの人は気づいていないんじゃないのかな。2階建電車画像

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2007年7月 4日 (水曜日)

洗濯機コミュニケーション

 悪い意味で親子のコミュニケーションを深めてくれる洗濯機。その性能が悪いほど交流の密度が高まる。親子のいがみ合いの90%は、最新高性能の洗濯機を買えばなくなると思う。洗濯、脱水、乾燥すべてを自動で静かにやってくれる洗濯機があるのだ。買えない値段ではない、いつだって買えるんだ。

 雨が降ってきたから洗濯物をしまってくれと言われ、「うるせえババア」などと罵る必要がなくなる。早朝から洗濯機の音で睡眠を妨害されることもなくなる。洗濯機にいつまでも洗濯物が入っているなどということがなくなる。乾いた洗濯物が何日も部屋にぶらさがっているということがなくなる。Tシャツの首のところがびろーんと伸びなくなる。

 ちょっと考えただけでも最新高性能の洗濯機を手に入れるだけでこれだけの利点がある。にもかかわらずほとんどのひきこもり家庭の洗濯機は旧式のままだ。いがみ合う家庭ほど性能の悪い安物の洗濯機を使っている。わざとだと思う。かまって欲しいんだ。話をしたくて、うずうずしているんだ。洗濯機を通じてトーク&交流がしたいんだ。実際ボクのうちに高性能の洗濯機があったなら、親子の会話はなくなっていたかもしれない。悪い意味での共通言語だ。洗濯機画像

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2007年7月 2日 (月曜日)

神に試されている

 信仰心なぞゼロの人間だが、これは神に試されているんだなと思う時がある。甥っ子だ。叔父さんお相撲しようよ、いくようー、はっけよいのこった、それーい、
「うわあああぁ」
 甥っ子がボクの足に噛みついた。いかがなものか。

 怒るぞ、たたくぞお、きちんと躾をするぞ、という気持ちを打ち消すように、ボクの心に神がそっとささやく。試されているんだ、精進せよと。甥っ子に試されているのではなく、神に試されいるのだと気づいた。相撲で足を噛まれる…、神の試練以外の何物でもない。危うく堕落し、つまらない小さい人間になるところだった。

 神の存在を感じ朗らかな気分でボクと甥っ子は何番も相撲をとった。相撲にもいろんな技があって結構じゃないか。でも最後は甥っ子を寄り倒して泣かすというおなじみの展開。叔父さんの精進は続く。

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