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2007年5月18日 (金曜日)

褒めることについて

 気心知れた仲間とは何を話しても、会話が成立する。波長が合う人とはどんな話でも会話が成り立つ。問題は全く心が通わず、接点のない人とどのようにコミュニケーションをとるかということだ。

 それにはユーモアしかないというのがこれまでの結論でした。ユーモア、つまり笑いの要素を言葉に含めれば何とかなるぞと。一般的な親子の会話のような、すごいスピードですれ違う上り電車と下り電車のような、心が寒くなる似非会話をふせぐには、ユーモアである。ユーモアさえあれば大丈夫。

 大丈夫?本当だろうか。そもそもユーモアが常に湧き出る人がいるのだろうか。サッカー日本代表のオシム監督のように常にウィットに富んだユーモアを、語録を話せるだけの知性なりセンスがあるだろうか。ボクにはないな。ユーモアの井戸は枯れてしまったよ。

 常に人と付き合うのに、とっておきのユーモアを用意するなんてできない。どうすればいいのか。褒めればいいと思うむん。「褒める」を自分の会話の中に織り交ぜることによって、自分の考えを相手に届けることができる。ユーモアが思いつかないのなら褒めるという選択肢が有効だ。

 説教に何の意味があるのだ。議論で相手を言い負かしてどうなるというんだ。敵意が倍増するだけじゃないか。「いつか見返してやる」「今度はこっちが言い負かしてやる」と相手のハートに悪い意味で火をつけてしまう。褒めることやユーモアはこの逆でいい意味で相手のハートに水をかける。処世術じみたところがないわけでもないが、まあこれはこれそれはそれ。いかがなものでしょうか。 

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