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2007年5月30日 (水曜日)

ノーモア叔父さん

 どうしたらひきこもりが治るかとか、どうしたらひきこもりにならないかとか、はっきりとこれだという答えはないが、なんとなくあーしたりこーしたりすればいいんじゃないかとは皆ぼんやりと考えている。ノーモア勝山叔父さん。叔父さんの悲劇を繰り返してはならない。ああなっては取り返しがつかんぞと、一族総出一丸となり甥っ子には反・ひきこもり教育をおこなわれている。

 ひきこもらないための躾(しつけ)。叔父さんにしてきたことの反対のことが、甥っ子におこなわれているわけだ。勝山叔父さんがひきこもってしまったのも、親の躾が厳しすぎたという説が有力である。その反省からゆるい躾こそ大切であると考える。子供に怒鳴ったり、ぶったりしたら叔父さんみたいになってしまうぞと。甥っ子が少々悪いことをしても、例えば携帯電話を放り投げるようなことをしても簡単に怒ってはいけない。ここで怒って子供をぶつと、いずれ筋金入りのひきこもりが出来上がること間違いなしである。証拠がいるのである。厳しく礼儀正しくしつけ、スパルタ教育を施した結果を見よ。日本を代表するようなひきこもり、勝山叔父さんが生きて我家にいるではないか。これには親戚一族全員脱帽、厳格な躾および熱心すぎる教育は禁止された。子供には優しく、それが我一族がひきこもりから学んだ教訓である。

 ひきこもらず学校に行ってさえくれば良い。まだ甥っ子は小さいので保育園に行ってくれさえすればいい。それ以上の幸せを望むものなど勝山一族にいるわけがない。あのひきこもりという穴に落ちさえしなければいいんだ。ノーモア広島、長崎、そして叔父さん。悲劇を繰り返してはいけない。Dome

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2007年5月27日 (日曜日)

デブの国

 デブは過半数で与党自民党状態なのだから、どうどうとしていればいい。ダイエットなどさせられる覚えはない。デブに都合のいい法律を作ればいいのさ。痩せを死刑にすればいいのさ。選挙をすればデブが勝つのさ。国民投票をすればデブが勝つのさ。ダイエットを法律で禁止すればいいのさ。痩せから表現の自由を取り上げればいいのさ。世の中を自分の体型に都合のいいようにすればいいのさ。過半数以上の与党なのだからさ。

 ハゲは過半数で与党自民党状態なのだから、どうどうとしていればいい。アートネイチャーなどさせられる覚えはない。ハゲに都合のいい法律を作ればいいのさ。ふさふさを死刑にすればいいのさ。選挙をすればハゲが勝つのさ。国民投票をすればハゲが勝つのさ。アートネイチャーを法律で禁止すればいいのさ。ふさふさから表現の自由を取り上げればいいのさ。世の中を自分の髪型に都合のいいようにすればいいのさ。過半数以上の与党なのだからさ。

 ひきこもりは過半数で与党自民党状態なのだから、どうどうとしていればいい。フリーアルバイターなどさせられる覚えはない。ひきこもりに都合のいい法律を作ればいいのさ。安い時給でこき使いやがったあの野郎を死刑にすればいいのさ。選挙をすればひきこもりが勝つのさ。国民投票をすればひきこもりが勝つのさ。安い時給でこき使うことを法律で禁止すればいいのさ。安い時給でこき使いやがったあの野郎から表現の自由を取り上げればいいのさ。世の中を自分のひきこもりに都合のいいようにすればいいのさ。過半数以上の与党なのだからさ。

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2007年5月26日 (土曜日)

ひきこもり文明進化

 科学の進歩。自分の周りにあるありとあらゆるものが進化していく。進化していないのはリニアモーターカーくらいではないだろうか。どんどん速く、どんどん便利に、ほとんどのものが自動で機械がやってくれる。パソコンなんてすごすぎる機械だ。

 こんな素晴らしい科学の力、人類の偉大なる進歩、にもかかわらず労働時間がちっとも短くならないのはなぜなのだろうか。こんだけ機械が発達したら、やることがない暇な人間だらけになるはずでしょう。そうでしょう、奥さん。実際はみんな忙しい。交通網は発達したのに、通勤時間は長くなる。機械を導入しても仕事が楽にならないし、労働時間も短くならない。いかがなものか。

 人が怠けるための科学。ひきこもるための人類の進歩。そういう視点で物事を見て、物を開発していかなくてはいかんのです。Linear

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2007年5月22日 (火曜日)

何でもいいから働け

 仕事の中身が大切である。お金さえ稼げれば、どんな仕事でもいいというはずがない。当たり前だ。仕事だけでなく、勉強だって、遊びだって、自分のやることなすこと、全部中身が大切。ひきこもっていてはいかんぞ、「何でもいいから働きなさい」という人は間違っている。どう考えても、何でもよくない。

 想像してごらんよ。人の役にも立たない、非建設的で、楽しさも、充実感もない。そんな仕事、勉強、遊び、その他何でもかんでもを。何をするかその中身をおろそかにしてはひきこもった意味も半減する。

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2007年5月18日 (金曜日)

褒めることについて

 気心知れた仲間とは何を話しても、会話が成立する。波長が合う人とはどんな話でも会話が成り立つ。問題は全く心が通わず、接点のない人とどのようにコミュニケーションをとるかということだ。

 それにはユーモアしかないというのがこれまでの結論でした。ユーモア、つまり笑いの要素を言葉に含めれば何とかなるぞと。一般的な親子の会話のような、すごいスピードですれ違う上り電車と下り電車のような、心が寒くなる似非会話をふせぐには、ユーモアである。ユーモアさえあれば大丈夫。

 大丈夫?本当だろうか。そもそもユーモアが常に湧き出る人がいるのだろうか。サッカー日本代表のオシム監督のように常にウィットに富んだユーモアを、語録を話せるだけの知性なりセンスがあるだろうか。ボクにはないな。ユーモアの井戸は枯れてしまったよ。

 常に人と付き合うのに、とっておきのユーモアを用意するなんてできない。どうすればいいのか。褒めればいいと思うむん。「褒める」を自分の会話の中に織り交ぜることによって、自分の考えを相手に届けることができる。ユーモアが思いつかないのなら褒めるという選択肢が有効だ。

 説教に何の意味があるのだ。議論で相手を言い負かしてどうなるというんだ。敵意が倍増するだけじゃないか。「いつか見返してやる」「今度はこっちが言い負かしてやる」と相手のハートに悪い意味で火をつけてしまう。褒めることやユーモアはこの逆でいい意味で相手のハートに水をかける。処世術じみたところがないわけでもないが、まあこれはこれそれはそれ。いかがなものでしょうか。 

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2007年5月11日 (金曜日)

成功哲学

 成功哲学のたぐいの本を読むと、ようは成功してお金持ちになり何がしたいかというと、悠々自適の老後を送りたいのだと知った。成功=悠々自適の老後である。大きな家で、タイプライターで自伝を書きながら、執事が運んできてくれたおいしいレモネードを飲む。これが成功だったのだ。

 足るを知り、悠々自適にひきこもれば、○○王と呼ばれるほど、何もここまで大成功しなくても、十分満足できる人生が送れるはずだ。成功者が語る、成功の秘訣とはつまるところ、「自慢は知恵の行き止まり」ということわざに行き着く。

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2007年5月10日 (木曜日)

ひきこもり哲学

 主張、哲学のない人は、他人の主張や哲学を粗末に扱う。信念のない人は、信念の価値が分からないから他人の意見、考えを尊重しない。「理想を持たないものは現実家ではない」とは森鴎外の言葉だが、理想について考えたこともない似非現実家ばかりじゃないか。考えない、人に聞く。なんでも答えが本に書いてあると思っている。「自分の考え」というものが、どんなに大事なものか分かっていない人間は、いかがなものか。

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2007年5月 9日 (水曜日)

戦争はなぜなくらないのか

 軍隊がなくなれば、戦争もなくなるか。いや、なくなりはしないだろうが数が少なくなり、戦争の規模も小さくなるだろう。拳銃と同じで法律で禁止すれば、銃がらみの犯罪数が減るのと同じ原理だ。軍隊を肯定するのは銃社会を肯定するのと同じ。どこの国も軍隊なんてもたなければいいのにと思うし、それが正解なのだがなぜかそうならない。アメリカ人が拳銃を手放さない同じノリでどの国も軍隊を持つ。撃たれる前に撃つ、撃たれたら撃ち返すの繰り返しだ。

 平和は可能だが、平和でないほうを選ぶ人のほうが多い。拳銃を持ちたがるアメリカ人を説得できないように、国が軍隊を持ちたがるのを防ぐこともできない。平和主義者にとっては無力感との戦いだ。

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2007年5月 5日 (土曜日)

マイブームブーム

 みうらじゅん先生の本を読んでいて、ああ今はマイブームがブームなんだなと思った。マイブームとは、自分だけが夢中の趣味や自分の中だけの流行り物。それをみうらじゅんだけでなく、みんながそろってブログに発表する。ボクの場合はひきこもりブームでそれをずっとブログに書き続けているんだ。

 他人のブログを見てつまんない、こんなものなんでネットで発表するんだって思うだろうけど、本人にとっては大ブームなんだよ。ただ本人にとってしかブームでないから他人が見ても面白いわけがない、ブログとは完成されたマイブーム補完ツールなんだ。みうらじゅん作の流行語マイブームが、言葉だけでなく多くの人に実行されているというのが素晴らしい。まずは自分が楽しいと思うことが大切、その次に自分と同じことを楽しいと思う友達を見つけることが大切。この大切な二つのことに役に立つアイテムこそ、皆がこぞって利用しているブログというシステムなのではないだろうか。素晴らしい、日本もまだまだ捨てたものではない。

 ボクは最初は人に読んでもらいたくて、小説家気取りでブログに文章を書いていたが、もう違う。気がつけば自分のためだけに書いている。作者も編集者も読者も自分だけになっていた。不思議なものだ、自己完結がこんなに楽しいものだなんて。

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2007年5月 1日 (火曜日)

格差社会とひきこもり

 会社の給料や年金のシステムを見るに世の中は年寄りに有利で、若者には不利である。早く生まれた人が、後から生まれた人よりも得をするようにできている。

 今から会社に入ったり、年金を払い始めるということは、今日からアムウェイを始めるのに等しい。生まれてきたのが遅かったという理由だけで大きな不利である。こんなシステムでもうまくやって儲ける人もいるだろうが、不公平であることは事実で、不公平は改めるべきである。

 アルバイトは16歳から可能だが、選挙権は20歳にならないともらえない。高校生のバイト代が安くても政治に反映する権利もない。この10代で味わった無力感が若者の政治離れの土台となり、まともに異議をとなえることのばからしさの原点になる。ボクは選挙権は16歳以上の男女に与えるべきだと思う。与えないのであれば10代の労働を禁止するべきだ。どうしてこんな人間の奴隷扱いがまかり通っているのだ。

 ひきこもりは正義であります。格差社会においてはその正義がますます浮き彫りになります。格差で得をしているのが親の世代の年寄りで、損をしているのがひきこもりやニートでおなじみの若者です。得した親のすねをかじり、若者がひきこもるとどうなるでしょうか。格差がいい塩梅に解消しているじゃないですか。不公平にもらいすぎている親の給料や年金が、自慢できない息子に還元され、格差がフラットになる。見事な富の還流、あざやかな共生、まるで花とミツバチのようです。

 ひきこもりは素晴らしい。ボクはひきこもりの勝ちに全てを賭けている。

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