2018年8月17日 (金曜日)

人狼ゲームとしての教育機会確保法(2) 誰が人狼だったのか?

☆ストーリー☆
 「ここはドブ川沿いの親不孝通りにある、不登校運動村。村人たちは、ほそぼそとではありますが、親の会やフリースクールなどのネットワークをつくり、平和な毎日を暮らしていました。しかし不幸なことに、ある日突然村を滅ぼそうとする人狼が村にまぎれこんで来ました! 彼らは昼は村人を装い、夜になると人狼になり、村人を一人殺します! 村人の誰もが標的になる可能性を持っています! 命に関わることなので、一刻も早く誰が狼か見破って、処刑しなければ人狼に食い尽くされて村が滅びてしまいます。一刻も早く人狼が誰か見破ってください!」

 教育機会確保法に関して賛成反対とあれやこれやとやってきたあれは、教育機会確保法という名の人狼ゲームであったと仮定して、ここではゲームの後日談(反省会)として、誰が人狼だったのか、答え合わせというか自己採点をしてみたいと思います。ゲームと違って現実では、法律が成立しても誰が人狼だったか、すぐには明らかにはなりません。が、法案にかかわっていれば、ほぼ確定と思える部分もあります。私の考察はこうです。

亀田徹

 村人のふりをしていたが、実は人狼だったというその典型的な人物が、元・文科省の亀田徹でしょう(現在は、LITALICOという発達障害で一儲けをたくらむ会社に天下りをしました)。亀田は私から見れば間違いなく人狼なのですが、バカな村人からすれば、文科省を良い方向に、法律を良い方向に変えようとする不登校に理解のある官僚、つまり村人に見えたようです(実際にやっていることは逆なのに、バカな村人をうまく騙しぬいた)。

 敵陣営とはいえ、ゲームであれば亀田に「ナイスプレイ!」と言ってあげたいくらいですが、現実におこったことですから、ただただ無念であります。法律成立後、亀田が文科省をやめて民間団体に天下りしたのも当然で、法律が成立した以上役割は終わっています。文科省に残るより、今すぐ民間企業に天下りしてに法律の活用法(税金を民間に流す方法)をレクチャーする仕事をするほうが自分を高く売ることができます。人狼として、亀田の行動は筋が通っていて正しい。

 法律をよく知り、活用法を心得ている亀田を雇い入れた、LITALICO(りたりこ)が今後、委託事業という名の助成金を獲得し、全国チェーン展開していくのは、まず間違いない。LITALICOはいい買い物をした。人狼陣営としてLITALICOの行動もまた正しい。

 教育機会確保法という名の人狼ゲームに登場した、ほぼ確定済みの、ほかの人狼についても紹介しましょう。

 フリースクール東京シューレを訪問した安倍晋三総理、
Abe

スペースえん(NPOたまりば)を訪問した下村博文大臣、
Shimomura

この法案の超党派議員のまとめ役だった自民党の馳浩(知らない人も多いが、元プロレスラー)。
Hase


 普通に見れば、騙されようもない、右寄りの、見え見えの人狼だらけなのだが、自分たちフリースクールに得になる法律ができるかもしれないと、欲の皮がぱんぱんに突っ張った状態ですから、バカな村人はそれに気づけないのです。欲が客観的にものを見れなくさせるのです。

 それとは反対に、人狼陣営は、バカな村人にターゲットを絞り、大切にして、信頼させたあとで、利用する、という人狼ゲームの鉄則通りに動いているのがよくわかります。リアル人狼の周りには、いつもバカな村人がいる。写真がそれを証明していますよね。

 人狼ゲームに限らず、心理ゲームに勝つコツを知っていながら、教育機会確保法がゲームとは気づかず、ゲーム脳を発揮できなかった反省をこめて、あの時、何をすればよかったかをねちねち空想していきますぞ。〈続く〉

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2018年8月15日 (水曜日)

ひきこもり勝ち組プール

 暑い、暑い、と言って部屋でへばっているというのは、自由時間の使い方として間違っています。暑ければプールに行けばよい。近所の市民公園プールに行きたまえ。昼のランチタイムが穴場で、プールもあまり混んではいない(ただし土日は除く)。

 夏の日差しをあびて、もやし色の肌に刺激を与えよう。もやし一族よ、いまが唯一、全身に日を浴びることが出来る季節なのですよ、もやし色の肌が夏の日差しをあびて、ちょっぴりピンク色になる、ひりひりする、それがいい。

 25メートルプールをクロールで、行ったり来たりしております。泳ぐのは、30分くらい。真夏にウォーキングなんかしたら、熱中症で倒れてしまうでしょ、それにおじさんの油汗がベトベトして気持ち悪い。プールならどんなに汗をかこうと、おじさんだろうと、常にすっきり爽やかです。

 プールで泳いだあとは、はスーパーに立ち寄り昼食を買う。「冷やし中華」を買うのが勝ち組への道です。暑くて食欲がなくても、冷やし中華なら食べれる。それに冷やし中華はバランスがいい。上にのっている具を見てみたまえ。きゅうり、卵、ハムとバランスよくのっとるではないか。神のバランス食品、それが冷やし中華なのです。

 「昼にプールに行き、そのあと冷やし中華を食べれば勝ち組になれる理論」を脳内で構築し、世界に発表したいと、気持ちが上がっておりました。

 ごきげんでプールから帰ってくると、お盆に北海道に行っていた甥っ子兄弟が、我家に遊びに来ていました。おじさん、どこに行っていたんだ? と聞くので「プールです」と答えると、誰と? と聞くので「ひとりです」と答えると、ふたりに爆笑されてしまいました。

 怪しすぎる、というのです。夏にやっている、市民公園プールなんてところは、「小学生」が行くところで、46歳のおやじが、一人でいって、真顔で泳ぐようなところではない、と言うのです。

 そうだったのか…、ひきこもり6畳間では気づくことのできない世間の価値観を知らされた気がして恥ずかしく思いました。でもその怪しい勝山おじさんはね、しょっちゅう公園プールに行き、しかも障害者手帳を持参し、100円の入場料を半額の50円にねぎっているのですよ。

 ひとりでプールに行く、怪しい精神障害のおじさん。無敵ですな。そういえばプールの監視員がなんだか私のほうを見ているような、見ていたいような…、いやいやそんな被害妄想はやめましょう。

 だからなんだと言うのですか、どーんといけ。今日も明日も、暑い日には、プールに行き、ぐいぐいと泳いでやりますぞ。夏の正しい自由時間の使い方。昼にプールで泳ぎ、冷やし中華食べることです、これが勝ち組の生き方なのですよ。えっへん。

Pool

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2018年8月13日 (月曜日)

人狼ゲームとしての教育機会確保法(1) 序章

 人狼というゲームを知っいますか? 有名なボードゲームなのですが、遊ぶのに7人以上、人を集めないといけないところが敷居が高い。私も数回しかやったことない。ただ最近はインターネットでもできるので、一人でも練習がてら楽しみことはできる、これとか。

 人狼とは、どんなゲームか。ウィキペディアから引用して説明すると、まず村人陣営と人狼陣営とに分かれる。ただし誰が村人で誰が人狼かは分からない。昼と夜のターンがあり、昼のターンでは皆で話し合いひとりを処刑する。夜のターンは、人狼が村人を襲って殺す。これを交互に繰り返していく。人狼をすべて処刑すれば村人陣営の勝ち、村人と人狼の人数が同じになれば人狼陣営の勝ちとなる。

 心理戦のゲームです。人狼は正体がばれないように村人をよそおいながら、ひっそりと生き延びて、夜になったら村人を襲撃する。そうはさせまいと、村人は人狼と思われる人をあぶり出し、処刑していくのです。

 このゲームで勝つにあたって何がカギになるか? 人狼を見抜く鋭さ、正体を隠すうまさ、話のうまさ、確かにそれも大切なのですが、実はこのゲームは、頭の切れるセオリーを知り尽くしたプレイヤーよりも、バカプレイヤーの存在そのものが勝負のカギをにぎることが多い。

 心理ゲームですから、だます、だまされるの、駆け引きが醍醐味です。初心者はコツがわからずに、バカなプレーをするのはしかたがないというか、罪はない。それと、バカな人狼はすぐにばれて処刑されるので、ゲームにはたいして影響を与えない(村人に有利になるだけ)。

 さて私がしみじみと、人狼というゲームを通じて、人間とは何かと考えさせる状況をつくるのが、「バカな村人」という存在である。

 バカな村人プレイヤーがいたとします。彼らはこういう行動をとりがちです。

 空気の読めない彼らは心理戦において、村人をよそおう人狼の言うことを信じ、逆に村人を疑うのです。オレオレ詐欺にひっかかる老人のような心理状態ですな。振り込みはやめたほうがいい、と止める銀行員に敵意を向ける、あのお爺さんのパターンです。

 村人陣営の人は、このバカな村人を説得して、なだめ、わかりやすく解説をしてあげなくてはいけない。あれこれ「おもてなし」をしてバカが治るように、あれこれ手を尽くすのです、がそれがうまくいかないのが、バカな村人がバカな村人たるゆえんです。

 むしろ村人陣営の人ががんばって説得すればするほど、いよいよ偽村人である人狼のいうことを信じ、逆に説得してくる村人を疑うようになるのです。

 人狼陣営にとっては最高の村人ということになります。人狼はこの「バカな村人」を大切に扱います。夜のターンでこのバカな村人を襲撃して殺すなんてことはしません。だからバカな村人はゲーム終盤まで生き残り、ゲームの勝敗のカギを握り続ける存在として活躍し続けます。

 と同時に生き残るのが、バカな村人に疑われている村人です。冤罪、無罪、痛くもない腹をさぐられつづけている迷惑を被っている村人も生き残り続けます。バカな村人と、疑われている無実の村人の対立の状況こそが、人狼陣営にとって一番ありがたいのです。

 バカな村人と無実の村人との説得合戦の間に、どっちともつかない人、発言の少ない人と、存在の薄い無実の村人が、ひとり、またひとりと人狼によって襲撃され、殺されていくのです。

 あれっ、これって、なんかに似ている、なんだろうと考えた結果、ああ教育機会確保法における、反対派(?)に対する、教育機会確保法賛成派のやつらの行動原理と同じだなと気づいた。

 フリースクールネットだの、オルタナティブ教育だなんだとかといっていた連中の思考回路こそ、人狼ゲームにおける「バカな村人」そのものじゃないか。

 だとしたら…、教育機会確保法を成立させようとした人たちの、誰が人狼で、誰がバカな村人だったのか。そして、1年9ヶ月前に教育機会確保法が成立したという事実、つまり人狼陣営が勝利したという、この結果を踏まえて、「教育機会確保法におけるフリースクールの連中は人狼ゲームにおけるバカな村人である理論」を(まだかっちりと出来上がってはないというか、ただの思いつきでしかないが)、まあひとつの仮説として、雑に書きなぐっていきたいと思います。〈まだまだ続くぞ!〉

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2018年8月 7日 (火曜日)

和歌山滞在メモ(3)

8/3(金)猛暑。やっていることは、上半身裸で、扇風機の前で、ごろ寝しているだけ。人間としてどうかと思い、湯の峰温泉の周りをちょこっと散歩。売店でコーラを飲む。勝ち組。本宮大社におみやげを買いに行く。今年は本宮大社2500周年でおみやげ記念グッズもたくさん作られようだが、すでにほとんどが売り切れていた。よいおみやげがない。わだまに戻る。晩餐は鳥肉。まいうー。

8/4(土)最終日。ちょうど帰るタイミングで、新しい滞在者が来る。『バラ色のひきこもり』を読んで共育学舎を知ったという、すごい偶然だ。10時半、わだまを出発。15時、名古屋到着。キトウバーことkeytoに行く。満喫。スーパー銭湯ゆーとぴあ宝に泊まる。キングダムというマンガを5巻まで読んだ。

8/5(日)朝8時、名古屋を出発。途中、長篠設楽原という、戦国ファンにはたまらない名前のパーキングエリアで休憩する。14時過ぎに横浜帰宅。和歌山で心身ともにリフレッシュできた。体中に力がみなぎっている。やるぞ、俺はやるぞ。次に和歌山に行くのは11月くらいかな。隣の部屋からは「かぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーー」という要介護5の寝たきり老婆ママンのおたけびが聞こえるが、俺は気にしない。気にしてなるものか。

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2018年8月 2日 (木曜日)

和歌山滞在メモ(2)

7/28(土)台風警報が発令されているが、台風は来ない。でも一応台風にそなえて、今日は自由時間。近くの熊野古道を少し散歩。汗だくになる。ユキさんの誕生日、鶏肉とケーキを食べる。まいうー。夜は『バック・トゥー・ザ・フューチャー』を見る。

7/29(日)雨。台風は通過したが、雨は降り続いている。しかたあるまい。本日も、自由時間にする。午後、雨がやんだので湯峯王子社跡と高浜虚子句碑を見に行く。また雨が降る。夜、ケンケンさんとミヅキさんが来る。ローストビーフを食べる。まいうー。

7/30(月)台風は完全に過ぎ去った。にもかかわらず、ずっと雨。これでは、しかたあるまい、本日もまた自由時間とする。雨が降り続いているせいで気温が低く、とても快適。畳のうえでごろんと横になる。寝てしまった。三食食べて、昼寝する居候。自由時間の使い方について真剣考える。夜は『バック・トゥー・ザ・フューチャー2』を見る。

7/31(火)Tさんとサウナのある温泉に行く。瀞流荘。定員2名のこじんまりとしたサウナと、これもまた定員2名のこじんまりとした水風呂がある。他に客がいなかったので、存分に満喫。勝ち組。帰りに山の学校に寄る。猫しかいない志古の家にも寄る。完全な夏休み。

8/1(水)汗水流して働きたいと急に思い、草刈りをしに真昼にスラムに行く。だが暑すぎて何もできず。汗でずぶ濡れ。小屋でバルサンを焚く。アリが小屋に住み着かないための対策です。民宿わだまに戻り、温泉に入る。勝ち組。夕方、みんなで犬をもらいに行く。白い雑種のひとなつっこい子犬。

8/2(木)本日も更に暑い。子犬を見に行く。よしよしする。子犬逃げる。今日がおそらく和歌山に来て一番暑い日。スラムの小屋で寝ていたが、それだけでも命ぎりぎり。暑い日は、怠ける以外することなんてない。

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2018年7月27日 (金曜日)

和歌山滞在メモ

7/21(土)横浜出発。名古屋着、やさいとお酒のお店 key toに行く。パラダイス。変化球の日本酒を飲んだ。ウィークリーマンションに泊まる。

7/22(日)和歌山到着。共育学舎(旧敷屋小学校)ではなく、湯の峰温泉にある、民宿わだまに泊まる。三枝さんが借りている民宿で、かけ流し温泉つきで快適。ういー。

7/23(月)朝、わだまでぶらぶらする。昼、エアコンの効いたわだまでぶらぶらする。このまま怠けてていいのかと不安になり、湯の峰温泉のまわりを散歩する。あまりの暑さに気が遠くなる。車でスラムに行く、でも暑いので何もしなかった。

7/24(火)デモクラティックスクールくまのびに行く。そして川遊びに行く。川の水は冷たい。腕時計をつけたまま泳いでしまい、買ったばかりのフランク三浦の時計(非防水)がご臨終となる、絶望する。共育学舎によってから、わだまに帰宅。

7/25(水)みはまるしぇ(?)という市場に行く。かき氷とパンを買う。まいうー。伊藤さんが長距離バスで帰る。滞在者は自分だけになってしまった。新宮のダイソーに寄り、100円腕時計を購入。これはいいものだ。

7/26(木)朝、怠ける。昼、突然の夕立、大雨、いっきに涼しくなる。雨がやむ。暑いから何もしないという言い訳が通用しなくなったので、スラムに行く。約1時間半ほど草刈りをする。暑い。川に落ちたのかと思うくらい、汗でびしょびしょになる。わだまに帰りすぐ温泉に入る。生き返る。勝ち組。

7/27(金)涼しい。ごろごろする。これからは、怠けてるとは言わず、自由時間と呼ぶことにする。台風が近づいてきて、明日から明後日に和歌山に上陸するそうだ。小屋がちょっと心配。今日も草刈りをした。2時間。汗だく。

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2018年7月18日 (水曜日)

脱ゴミ屋敷(5) レコードはいま売り時なのか?

 いらない本やCDは駿河屋に売れ、というのが断捨離してきた私がたどり着いた結論ですが、レコードとなると駿河屋もブックオフも買い取ってはくれません。

 ネットで検索して探したところ、ディスクユニオンがレコードを買い取ってくれると知りました。さっそく宅配買取を申し込み。送られてきたダンボールにレコードをつめて発送しました。

 買い取り申込書に「レコードは値段がつかなくなっています」という但し書きがあるくらいだったので、値段は期待せずに待つことにしました。

 ※

 10日後。査定の結果がメールで送られてきました。レコード53枚中(シングル49枚、LP4枚)、値段がついたのはシングル15点だけでした。打率.283。買取価格は全部で1900円になりましたぞ。

 静かなブームと言われているレコードですが、CDよりはちょっと値段がつくという程度でしたね。シングルレコードだと一枚20~50円が相場というところでしょうが。まあ捨てるよりは売ったほうがいいというレベルですかね。

 さあここで、私が売ったレコードの高値ベスト3をお教えしましょう。ばーん。

①Beastie Boys/Fight For Your Right 500円
②杉良太郎/君は人のために死ねるか 400円
③荻野目洋子/ダンシング・ヒーロー 300円

Record

 次点はテレサ・テンで200円です。Beastie Boysが高値な理由は不明。杉良太郎は珍盤。荻野目ちゃんは昭和ディスコが流行っているのでこの値段です。

 これで本、CD、レコードと、私にとってはお宝だが、私以外の人にとってはゴミでしかない、俺コレクションの断捨離がひとまず完了しました。ちょっとだけ部屋がすっきりしてきた、モノがある限りゴミ屋敷は片付かない、捨てるしかないんだよな。

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2018年7月12日 (木曜日)

腹は凹まない

 太ってきた、と半年ほど前にブログに書いた。基本的に虚弱体質でひょろひょろしているにもかかわらず、腹だけが出ている。アフリカ難民のイメージです(彼らは栄養失調で腹が腫れているのであって太っているわけではない)。

 立っている時は気にならないが、座ると腹がぽこーんと出る。腹が凸(ぽこーん)だ。中年男性は基礎代謝が落ちて、腹に脂肪が付きやすいという。皮下脂肪だけでなく、内臓脂肪もつく。しかも腹には凸ぽこーんとなるのを防ぐ骨がないから、腹が出てしまうのです。

 腹に脂肪がつくと、ズボンがきつくなってはけなくなるのが困る。すでに何着かははけなくなったので、捨ててしまった。損害だ。もうこれ以上は絶対に太れない、という切実な事情もある。喪服です。老婆ママンのご臨終にそなえて買ったばかりの、ジャストサイズの喪服が、太って着れなくなっては困る。

 腹を凹ますぞ、と気が向いた時にダンベル、ウォーキング、スクワットをやったり、食事の時には炭水化物であるご飯を少なめにしたり、ジュースやお酒を飲みすぎないように注意している。

 その結果どうなったかというと、どうにもならないのです、まったく腹は凹まないのです。体脂肪も18%~19%をキープしている(男性にしては高い)。ひょろひょろおやじデブという、新ジャンルを作り出しているじゃないかという気持ちになる。

 ブックオフで108円で売っている「やせる本」のたぐいを何冊も買って読みました。そしてダイエットの真髄というものを知ったのです。ダイエットとは、

 ①軽い運動をする。
 ②やせようと、やせまいと、①を続ける。

 ということなのです。やせるとか、やせないとか関係ない、軽い運動を続けよ、というのが「やせる本」に書いてあることのすべてなのです。ダイエットというのが、こんな奥の深い、悟りの世界だとは知りませんでした。

 体重が減らない、リバウンドしてしまった、水を飲んでも太る、なんていうのはどうでもいいことなのです。ひたすら軽い運動を続けるだけ。その中でも特にお薦めで、どの本でも紹介している軽い運動というのが、階段を昇ること、エスカレーターをなるべく使わず歩くことなんですよ。私もなるべく階段を歩いております。

 ダイエット言うと食事を減らすというイメージがありますが、食事制限は苦しいので、続かないから無駄なのです(死ぬまで続けられるなら効果はある)。食事について凡夫にできるのは、せいぜい食べすぎない、腹八分目を心がける、野菜を多く食べる、それくらいしかないのです。

腹筋

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2018年7月 6日 (金曜日)

ふるさと♪

 家でおたけびを上げ続けている、寝たきり要介護5の老婆ママンですが、外ヅラだけは良くしたいという見栄は残っているのでしょう、ヘルパーさんが来ている時だけは、礼儀正しくというか、せめて人間らしくと思うのかは分かりませんが、おたけびをあげず、静かにしております。

 本日はリハビリの日、と言っても、もはや病状が進み体は動きません。リハビリでは食事をするために必要な口の筋肉を鍛えるのみです。舌を出して上に下へ、右へ左へと動かすというリハビリをします。

リハビリ
 リハビリと言うと聞こえはいいのですが、やっていることといえば舌を出して、バカな表情をするという、コメディアンでもやらないような、いないいないばあの顔を次々と繰り広げるのです。これを見栄の塊である老婆ママンが、赤の他人の若いヘルパー相手に、積極的やるずもなく、リハビリは遅々として進みません。

 でもそこはプロ。ヘルパーさんも恥ずかしがる老婆の気持ちを察し、すっと別のやり方にきり変えてきました。それじゃあ、大きく口をあけて歌を歌いましょうか、何がいいかなー、ふるさとにしましょう、といって歌い始めるのです。

 「うーさーぎおーーいし♪ かーのーやーまーーー♪」

 ヘルパーさんの声が勝山家にこだまします、が、肝心の老婆の声は聞こえてきません。

 「こーぶーなつーーりし♪ かーのーかーわーーー♪」

 ヘルパーさんの独唱が響き渡ります。……うるせえなあ、この家では絶えず誰かが騒いでいる。いたたまれなくなった私は外に出ました。つらい、つらい、うるさくて家にはいられない。そうだ、図書館に行こう、図書館だけが私の居場所だ。歩いている間、ずっと心の中で歌のメロディが流れているのです、それにあわせて私も口ずさみました。
 「わーすーれーがーたき♪ ふーるーさーとーー♪」

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2018年7月 2日 (月曜日)

VR地獄変

 耳栓をぎゅうぎゅう耳につめても、寝たきり要介護5の老婆ママンのおたけびだけは、どういう訳かよく聞こえてきます。周波数のせいなのか、それとも宿命なのか、理由は分からないのですがとにかくよく聞こえてくるのです。

 「ふううううーーーっっっ」。黙ることを知らない寝たきり老婆のおたけびが今日もこだまします。つらい。おたけびのせいで部屋にいても集中ができない。文字が頭の中に入って来ないから、本も読めない……と思っていたのですが、、、読めるぞ! 芥川龍之介の『地獄変』ならすいすいと読めるのです。

 むしろ以前より小説の世界に入っていける。老婆ママンの断末魔のおたけびが、小説の中の炎熱地獄、業苦に苦しみと重なりあい、音と文字との共演といいましょうか、新しいタイプのバーチャルリアリティ(VR)として、見事に構築されてゆくのです。諸君、地獄変を味わいたいのならば私の家に来たまえ。

 さて、病気のせいでろれつが回らない、何を言っているかわからない老婆ママンの今日のお言葉で、ひとつだけ翻訳できるものがあったのでご紹介します。

「あによう、ふみなあぁぁ!」

 です。介護している老爺への、この言葉を、翻訳してみましょう。

「あによう、ふみなあぁぁ!(お前は、クビだっ!)」

 なんと老爺の介護に対する、寝たきり老婆ママンからの、鬼のようなダメ出しだったのです。地獄とは堕ちるところではない、まぎれもなく目の前にある、そう確信した、或る夏の日の出来事でございました。

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2018年6月29日 (金曜日)

チンパンジーの悟り

 狭くて暗いところに入り、そして二度と出てこない。これが私の考える「死」のイメージです。天国も地獄もない。

 いずれ自分も死ぬ、絶対に逃れることはできない。なんとか死の恐怖から解放されたいなと思うのですが、凡夫ゆえに悟りをひらくこともできず、ひたひたと近づく死に恐れおののいております。

 人間だけが、死というのを知っている。チンパンジーに死の概念はない。死に至る病におかされ、日々衰弱していったとしても、チンパンジーは気分が暗くなったり、絶望したりするとことはないという。いつもどおりの明るさで、飼育員に愛嬌を振りまき続けるんだって。えらい、ゴータマ・ブッダ級の悟りだよな、私もチンパンジーになりたい。

Tinpa1

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2018年6月23日 (土曜日)

かやいいやはああはーーー

 「うふーふー」「うえいうえうー」「でいてえー、でいてえー」 これなーんだ? 正解は、朝から晩まで勝山家に響き渡る、寝たきり要介護5老婆ママンのおたけびでした。正解できなった人は幸せですよ。

 寝ている時とヘルパーさんが来ている時以外は、基本的にこのようなおたけびが家でこだましております。老婆ママンのおたけび自体は以前からあったんです。が、だんだんインフレ化が進んできて、今ではほぼ一日中、老婆が「おたけんでいる」しだいあります。

 なぜ、おたけびなのか。ひとつは、病状が進み舌が自由に動かせず話ができないから。そしてなにより、おたけびをあげると、介護をしている老爺がなんでも言うことを聞いてしまうからなのです。

 とはいうものの、老々介護には限度があります。なんでも言うことを聞くというわけにはいきません。今はできないよ、あとでね、と断る時も当然あるわけです。しかしそんな生ぬるい拒否が通用するわけもありません。寝たきり老婆ママンがおたけびをあげ続ければ、無理が通り、道理が引っ込む、最終的に寝たきり老婆ママンの命令に服従することになります。

 最近、介護の手伝いに妹も頻繁に来るようになりました。これも元をただせば、おたけびの力でございます。寝たきり老婆がおたけびを上げ続ける→困り果てた老爺が妹に電話する→妹が介護の手伝いに来る、といったまるで戦国時代ののろしのような、司令系統によって実現したことなのです。

 しかし妹も忙しいですから、いつでもこれるわけではありません。今日は無理、また別の日にね、と断ることも当然あります。でもその程度の生ぬるい拒否では、老婆ママンのおたけびに吹き飛ばされてしまいます。無理が通り、道理が引っ込む、来れないはずだった妹もちゃんと来るのです。

 老婆ママンの趣味はベランダ園芸で、いまもマリーゴールドの花がきれいに咲き誇っております。おやおや? 老婆ママンは寝たきりでじゃないか、園芸は出来ないのでは……。それが出来るのです。おたけびを上げれば良いのです。

 「ふうううううーーー」「はあああああーーーっ」「かいやいいやはああはーー」、寝たきり老婆ママンがおたけびをあげると、催眠術にかかったかのように、老爺はホームセンターに行き苗を買ってきます、それを妹が鉢に植え、うつくしいベランダガーデニングが完成するのです。

 老婆ママンの介護をせず、妖魔術から逃れている私ですが、ひとつ屋根の下で暮らしている以上、おたけびからは逃れることができません。絶えずBGMとして、老婆のおたけびが聞こえてきます。さすがの私も「このままでは精神が破壊されてしまう」と思うほど、追いつめられております。

 地獄とは死んだあとに堕ちるところと思っていましだか、どうもそうではないようです。「いまでしょ!」とドヤ顔で言ってやりたくなるような、そんな有り様なのでございます。

マリーゴールド

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2018年6月20日 (水曜日)

図書館ウォーキング

 健康のために1日1万歩、歩こうと決意したものの、ちっともできていません。梅雨で雨ばかりというのもありますが、それよりなにより、どこにも行くあてがない、歩く目的地がないというのが一番の理由です。

 それならばと、私が実践しているのが、図書館の本棚の間を歩きまわる、図書館ウォーキングです。けして広いとはいえない図書館の中を歩き回り、100歩、200歩と歩数を稼ぐ地味な運動です。読む、立つ、歩く、の繰り返し。家から図書館への往復と、図書館ウォーキングを合わせると、1日5000歩くらいにはなりますかな。

 いかがなものでしょう。なんだか、ひきこもり生活もどんづまってまいりましたが、一生懸命歩いておりますぞ。🐙エッヘン

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2018年6月15日 (金曜日)

原田メソッド隆史とクラスジャパン

 クラスジャパンについては前にもブログに書きました。その後、クラスジャパンはネットで話題になり、批判されたりもして、Webサイトから「日本全国の不登校者全員の教育に取り組み 通学していた学校に戻す」の文字が消えたりもしました。しかし頑なに変えず、守り通している部分もある。それが、

 クラスジャパン会長、原田隆史氏の提唱する原田メソッドなのです。ならば仕方がありません、図書館で先生の御著書を借りてまいりました。原田隆史『カリスマ体育教師の常勝教育』でございます。

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 原田隆史とは、「鬼軍曹だとかヒトラー、マッカーサーというあだ名までつ」いた、元・中学校の体育教師です。「誰からも愛される楽しい先生」になろうと教壇に立った原田氏は、「夢・理想・ガッツ」があればできないことはないと、自信満々に教師生活をスタートさせたのです。しかし現場は荒れており、大学で学んだ指導技術は役に立たず、挫折。指導方法を変えたという。

 その指導とは、もっぱら生徒を厳しくしつけるというものです(本人曰く、態度教育)。その指導内容ですが…、遅刻した生徒を全員正座させて、「体罰」呼ばわりされた経験があるせいでしょうか…、本の中ではどこまで厳しかったかは書かれていません。ただ鬼軍曹というあだ名から推測するしかありません。こんな雰囲気じゃなかったのかなー。

 ほめて伸ばすのではなく、叱って潰す、パワハラ教育。それ自体、珍しいものではなく、古くは戸塚ヨットスクール、最近では森友学園の塚本幼稚園など、子どもを叱って芸をさせるのが教育だと信じているサーカス団の団長のような人間が、どこにでもいるものです。

 原田隆史氏の場合、中学生に砲丸投げをやらして、陸上大会で優勝した、ゆえにカリスマ教師であり、生活指導の神様なのだという論法なのですが、ちょっと待ってください。優勝し、日本一になったのは、原田氏ではなく、生徒ではありませんか。原田氏は勝ってないし、カリスマでもない。

 でも、この脳内変換こそが原田メソッドなのです。生徒のがんばりを、全部自分の指導のおかげという具合にすり替えてしまうのです。手柄泥棒。卒業後の生徒の大学進学、社会での活躍までも(自分がまったく関わってないのにもかかわらず)、原田氏の指導の成果として自慢してしまうのです。原田氏がなんでこんな人間になってしまったか? その答えは想像通りのものでした。本のなかにこう書いてあります。

 「私は学生時代から陸上競技をやっていたのですが、選手としては大成しませんでした」、と。結局これなのです、成功にあこがれる成功できない人なのです。子どもの頃に日本一の選手なれなかった原田氏が、大人になって、中学生相手に、“ガキ大将“になっただけなのです。

 子ども相手に威張り散らす人には、なりたいのになれなかったというルーツがある、根拠はないけど、とりあえず言い切っておく。ちなみに原田氏は就職相談に来た生徒に、ブラック企業の王様、ワタミを薦めるというすごいことを、自慢気に本に書いております。原田氏の心の闇がほかにもいろいろと本に書かれているのですが、読むのが辛いので、このへんで失礼いたします。

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2018年6月11日 (月曜日)

ひきこもりと社会と世間

 社会も世間も、同じような意味で使われている言葉ですが、しいて言えば、社会のほうが広く、世間は狭い。

 ひきこもりについて語られるとき、それは社会の問題だということにはなっていますが、じつのところ世間という狭い範囲から抜け出ていない。ひきこもりに対し、今はいいけど将来はどうするんだ? なんていう脅しは社会的でも、社会学でもない。世間からのお叱りでしかありません。

 働きもせず、税金も納めていないくせに、権利ばかりと主張するな、というひきこもり叩きを最近目にしました。この手の批判にはまったく社会的視点はなく、狭い世間があるだけです。権利とは、労働と引き換えに手に入れるものではありません。税金で買うものでもありません。特定の条件を満たさないと権利が得られない、なんてことはないのです。

 世間とはなんなのか。それは家庭、学校、会社など、その人の住んでいる世界の当たり前に従って生きている人が入る、鍵のついてない檻のようなものだと思います。出ようと思えばいつでも出られる世間という檻のなかで、自分より弱い立場の人を見つけては、働け、税金納めろ、権利ばかり主張するなと、いって鬱憤晴らしを続ける人がいるのです。

 でも、だからなんだというのでしょうか。私たちは、当たり前に従って生きるなんていうことを、とっくの昔に捨て去った侏儒ではございませんか。世間様の言うことなんぞしったことではありません。好きなことを見つけて、好きなことをやる、どーんと行きましょう。

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2018年6月 4日 (月曜日)

電車で(2)

 「よしなよ」、と作業ズボンをはいた、いかにも建築現場で働いている、という風体の男性が、粘着女性と無実女子の間に仲裁に入ったのです。

 一件落着、と思いきやそうはなりませんでした。粘着女性がケケケケと笑いだし、「超ウケル」「なにいってるの?」「意味わかんない」といって、その男性の姿をスマホのカメラで撮影しだしたのです。電車内の空気が凍りつきました。

 この女は酔っ払いじゃない、精神が病んでいるんだ! と私はすぐに見抜きましたが、男性はただの酔っ払いとしか思っていないらしく、勝手に写真を取るのはやめろと冷静に注意をするのです。それに対し女性がいったのは、「口が臭えんだよ」でございました。そして、引き続きスマホで写真を撮り続けるのです。

 男性が怒り、「やめろ、ブス」と言い返したところで泥仕合に発展。口が臭い、ブス、と互いに罵り合っている、その時です、あさっての方向から、甲高い男性の声が響き渡りました。

 「それはよくない!」と。まったく関係ない第三の(サラリーマン風の)男は、こう主張するのです。口が臭いと言うのは事実だからしかたないが、女性に対してブスという言い方はよくないのではないかと。私は歪んだ正義感の真骨頂を見たような気がしました。

 もはや、正気の人間はこの車両にはいない。私はそう判断し駅に着くやいなや席を立ち、小走りでホームを移動、隣の車両へと逃げ込みました。これで一安心。でももしかして、あの車両にいた人が私のこの行動を見て、真犯人がそそくさと逃亡したぞ、と勘違いしたのでは……、そのことがちょっと気になっているのです。

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2018年6月 1日 (金曜日)

電車で(1)

 「足、踏んだでしょ」と、私の前に立っている女性が、私の右斜め前に立っている女子に対して言った、というよりはからんでいたのです。電車の中で、私が座っている眼の前で、そういう小競り合いが勃発していたのです。

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 酒に酔った女が、無実の女子に粘着しているだなと思い、私のなかの正義がむくむくと湧き上がりました。「やめたまえ」と、心の中でその女性に言いました。あくまでも心の中だけで現実には何にも言わずに、じっとしていたのです。

 下手になんか言うと、自分まで巻き込まれるんじゃないかと……だって女子が足を踏んでないとすれば、ではいったい誰が踏んだのか? あれ? こいつじゃないの? この黙って座っているおっさんじゃねえの! といった具合にすぐ目の前に座っているこの私が容疑者としてスポットライトがあたってしまうのではと、それを危惧していたのです。

 清廉潔白、無罪、ひきこもり聖者である私が犯人呼ばわりされてはたまらない、冤罪だ、冤罪でございます、そんな妄想にとりつかれながら、だんまりを決め込んでいたのでございます。

 そうしている間にも紛争は続き、「踏んだのに、なに黙ってんだよ」「踏んでません」「踏んだろ、とぼけんなよ」「踏んでません」といった具合に、粘着女と無実女子が言い争いを続けていたのです。その時……。(つづく)

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2018年5月28日 (月曜日)

マクドナルドのアイスコーヒー

 足の手術から3週間以上たちました。抜糸も終わり、風呂もはいれる、靴もはける、平日の昼間に近所をうろうろすることもできる、まずは治ったといっていいでしょう。最初7万8千円と言われていた治療費も、限度額適用制度を使うことで、最終的には5万9千円ですみました。よかった。

 気持ちも軽くなったので、通常モードです、いっちょ断捨離でもするかと、使わないバイクのオイルが捨てることにしました。歩いて30分くらいのことろにあるカー用品店に行き、廃油ポイ捨てBOXを429円で買う。けっこう大きなダンボール箱です、それをさらに大きいビニール袋にいれてもらって店を出ました。

 帰り道、このまま家に戻るのもさみしいので図書館に寄りました。いつもどおり本を読み、いつもどおり空想をする、二時間ほど堪能したのち私は帰路につきました。ああ、どっこいしょ、歩き疲れたわい、と部屋の畳のうえに腰をおろした瞬間、あああ、今日買ってきたもの袋ごと全部図書館に忘れてきてしまった、と気づいたのです。

 今日一日なにをしにいったのか分からない。がっかりしました。前にブログに書いたけれど、私がしょっちゅう図書館に忘れるものはスクーターです。ぴゅーっとスクーターで図書館に行き、スタスタ歩いて帰ってくるというのが、かつちゃんの忘れ物パターンなのです。

 翌日。図書館は月に一度の休館日でした。暗澹とした気持ちになりましたが、気持ちを切り替えて、第二の居場所であるファミリーレストランに向かいました。すると入り口のドアにはり紙がしてあるじゃないですか、「混雑時に食事以外のことをして長時間居すわるのはご遠慮いただきます」と。今からやろうとしていた、ドリンクバーで何時間もねばるという、ひとりフリースペースはやめてください、というお店から私へのお願いなのです。

 さすがにこれではと、場所を変えてマクドナルドに行きました。レジにいくと、そこにある下敷きくらいのメニューがあります。メニューには値段の高いセットは大きな文字で書いてあるけど、100円マックみたいな安いメニューは米粒のような小さい文字でしか書いてない、貧乏で目が悪い私にはよく見えないのです。私は当てずっぽうで「アイスコーヒーをください」といいました。するとサイズがSとMがあると言われたので、Mサイズを頼みました。

 客の回転率をあげるために、マクドナルドがわざと店内のイスやテーブルを居心地の悪くしていることは、みなさんもご存知のことと思います。硬いイスに、まな板のような細いテーブル。その狭い空間にちょこんと着席、まずはひとくち、冷たいアイスコーヒーをちゅーと飲んだのです。

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 「うん、マズい、もう一杯!」、おもわずそう声をあげたくなるほど、アイスコーヒーがまずいのです。私は違いの分からない男ですから、家ではインスタントコーヒーを飲んでいます。そんな私にとって、店で飲むレギュラーコーヒーはたいていおいしいものなのですが、これはマズい。

 マズい飲み物にも需要はあります。青汁もそうだし、ドクターペッパーなんていうのもそうです、いわばすき間産業として、マズい飲み物市場が存在しているのです。でもマクドナルドがその市場に参入していたとは知りませんでした。苦すっぱいアイスコーヒーをマズいと思いつつも、最後までちゅーと飲み干しましたぞ。

 翌々日。今度こそと、図書館に忘れ物を取りに行きました。見覚えのあるビニール袋に入ったポイ捨てBOXが、図書カウンターの後ろに保護されていました。私はそれを受け取り、お礼を言って、逃げるように家に帰ったのです。

 あんなデカイ袋を持って図書館に来て、あんなデカイ袋を置いて帰る、変なおじさんとして、図書館の人に認識されたのだなと思うと、しばらくはあの図書館には行きたくない。

 五月は暑くもなく、寒くもなく、草木も花も生き生きしていて、一年で一番いい季節です。吹く風も気持ちいい。私はスクーターに乗って、遠くの図書館まで行き、本を読んだり、空想したりして過ごしておりますよ。

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2018年5月24日 (木曜日)

葬と式に分ける

 寝たきり要介護5の老婆ママンが、そろそろアレなので、図書館で葬儀に関する本をよく読んでいます。葬式本は多々ありますが、素人に対するアドバイスという部分では共通している、どれも言わんとすることはこうです。

 葬式とは 身内が死んでおろおろしているすきに、葬儀屋と坊主が手を組んでおこなう詐欺である、言われるがままにしていると葬式代として130万~150万くらいぽーんと巻き上げられてしまうから、気をつけたまえ、ということなのです。

 しかし葬儀を、まったくやらないわけにはいかない。そこでプロが薦めるやり方というのが、葬と式との分離方式なのです。葬は家族でこじんまりとやり、式は友人たちが中心となってお別れ会(偲ぶ会)のようなものをやる。葬と式とに分ける、それが現代葬のかたちなのです。

 私が気に入ったのは、直葬(ちょくそう)というやつで、これは亡くなったら、そのまま火葬してお終いという、通夜も告別式もやらない、坊主も呼ばないミニマルな葬儀です。それじゃあ、寂しいし、周りが納得しないのではと思ってしまいますが、本人の意志だと言えばそれで通ります。葬儀は無用と言う人はけっこう多いのです。

 坊主なしの直葬なら予算は20万円くらいですむ。これはいい。葬式における坊主の生臭さはハンパでなく、坊主というオプションをつけると、料金はぐんと高くなってしまう。慈悲の人、ゴータマ・ブッダとはなんの関係のない、現代坊主の強欲には驚くばかりですのう。

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2018年5月20日 (日曜日)

人生を終わらせる方法

 35年ローンを組んで家を買えば人生は終わる。莫大な借金です。払う金の半分は利息です。ローンを払い続けるために会社は辞められない、残業も断れない、子どもの教育費はかかる、塾や習いごとにもお金がかかる、奴隷ですな。

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 まあでも35年ローンという途方もないものが組めるのは、正社員で収入があるからであって、我々のような底辺の貧乏人には関係がない。でも貧乏人にだって、これほどの爆発力はないものの、人生を終わらせる方法はある。

 その①、家に金を入れる。信じられないことですが、低賃金、保証なしの時給で働いている貧乏人で貯金もないくせに、親に脅されて、家賃&食費として家にお金をいれる愚か者がいるのです。こんなことをしていては貧しさに拍車がかかり、ゆるやかに人生が終わってしまう。

 正しい実家暮らしとは、家賃も食費も払わず、寄生してちゅーちゅー吸う暮らしのことです。それなのになぜ「家に金を入れろ」となんて言う、空気の読めない親がいるかというと、それは昭和世代の錯覚なのです。昭和の時代は、年老いた貧しい親と、稼いでいるサラリーマンの子どもというのが標準でした。親よりも子どものほうが金をもっているという世の中でしたから、子どもからの仕送りもあるし、家に金を入れるという習慣もあった。しかし今の時代、どう考えたって親の世代のほうが経済的に豊かです。親の方が金を持っている。だから家にお金をいれるのは、貧乏人が金持ちに施しをしてやるようなもので、間違った行為なのです。

 その②、親に借りた金を返す。信じられないことですが、低賃金、保証なしの時給で働いている貧乏人で貯金もないくせに、親に脅されて、親に借りたお金を返す人がおるのです。そんなものは返さなくてよろしい。無利息の親借金を返す余裕があるほど裕福な人がいるだろうか。返さなくても特に問題にならない相手の借金を返済する理由がない。まず自分の貧しすぎる生活をすこしでも豊かにする、そのうえで少しは貯金する、それでもなお十分お金が残るのであれば、少しくらい親借金を返してもいい、親借金は優先順位としては最下位です。

 仕送りのように、親にお金を渡すことは、かつては親孝行の証でした。けれども、今の時代にそれをやるのは、よほど親が恩着せがましい人格の悪い毒親で、その呪いにかかった子どもがついやってしまう哀れな行動でしかない。親にお金を払う貧乏人は、みんな悪い顔をしている、払いたくないのに嫌々払い続けているうちに人相が悪くなるのです。やめたほうがいい。

 お金は、ある人がない人にあげるもの、その真理を忘れてはいけない。

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