2018年5月24日 (木曜日)

葬と式に分ける

 寝たきり要介護5の老婆ママンが、そろそろアレなので、図書館で葬儀に関する本をよく読んでいます。葬式本は多々ありますが、素人に対するアドバイスという部分では共通している、どれも言わんとすることはこうです。

 葬式とは 身内が死んでおろおろしているすきに、葬儀屋と坊主が手を組んでおこなう詐欺である、言われるがままにしていると葬式代として130万~150万くらいぽーんと巻き上げられてしまうから、気をつけたまえ、ということなのです。

 しかし葬儀を、まったくやらないわけにはいかない。そこでプロが薦めるやり方というのが、葬と式との分離方式なのです。葬は家族でこじんまりとやり、式は友人たちが中心となってお別れ会(偲ぶ会)のようなものをやる。葬と式とに分ける、それが現代葬のかたちなのです。

 私が気に入ったのは、直葬(ちょくそう)というやつで、これは亡くなったら、そのまま火葬してお終いという、通夜も告別式もやらない、坊主も呼ばないミニマルな葬儀です。それじゃあ、寂しいし、周りが納得しないのではと思ってしまいますが、本人の意志だと言えばそれで通ります。葬儀は無用と言う人はけっこう多いのです。

 坊主なしの直葬なら予算は20万円くらいですむ。これはいい。葬式における坊主の生臭さはハンパでなく、坊主というオプションをつけると、料金はぐんと高くなってしまう。慈悲の人、ゴータマ・ブッダとはなんの関係のない、現代坊主の強欲には驚くばかりですのう。

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2018年5月20日 (日曜日)

人生を終わらせる方法

 35年ローンを組んで家を買えば人生は終わる。莫大な借金です。払う金の半分は利息です。ローンを払い続けるために会社は辞められない、残業も断れない、子どもの教育費はかかる、塾や習いごとにもお金がかかる、奴隷ですな。

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 まあでも35年ローンという途方もないものが組めるのは、正社員で収入があるからであって、我々のような底辺の貧乏人には関係がない。でも貧乏人にだって、これほどの爆発力はないものの、人生を終わらせる方法はある。

 その①、家に金を入れる。信じられないことですが、低賃金、保証なしの時給で働いている貧乏人で貯金もないくせに、親に脅されて、家賃&食費として家にお金をいれる愚か者がいるのです。こんなことをしていては貧しさに拍車がかかり、ゆるやかに人生が終わってしまう。

 正しい実家暮らしとは、家賃も食費も払わず、寄生してちゅーちゅー吸う暮らしのことです。それなのになぜ「家に金を入れろ」となんて言う、空気の読めない親がいるかというと、それは昭和世代の錯覚なのです。昭和の時代は、年老いた貧しい親と、稼いでいるサラリーマンの子どもというのが標準でした。親よりも子どものほうが金をもっているという世の中でしたから、子どもからの仕送りもあるし、家に金を入れるという習慣もあった。しかし今の時代、どう考えたって親の世代のほうが経済的に豊かです。親の方が金を持っている。だから家にお金をいれるのは、貧乏人が金持ちに施しをしてやるようなもので、間違った行為なのです。

 その②、親に借りた金を返す。信じられないことですが、低賃金、保証なしの時給で働いている貧乏人で貯金もないくせに、親に脅されて、親に借りたお金を返す人がおるのです。そんなものは返さなくてよろしい。無利息の親借金を返す余裕があるほど裕福な人がいるだろうか。返さなくても特に問題にならない相手の借金を返済する理由がない。まず自分の貧しすぎる生活をすこしでも豊かにする、そのうえで少しは貯金する、それでもなお十分お金が残るのであれば、少しくらい親借金を返してもいい、親借金は優先順位としては最下位です。

 仕送りのように、親にお金を渡すことは、かつては親孝行の証でした。けれども、今の時代にそれをやるのは、よほど親が恩着せがましい人格の悪い毒親で、その呪いにかかった子どもがついやってしまう哀れな行動でしかない。親にお金を払う貧乏人は、みんな悪い顔をしている、払いたくないのに嫌々払い続けているうちに人相が悪くなるのです。やめたほうがいい。

 お金は、ある人がない人にあげるもの、その真理を忘れてはいけない。

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2018年5月17日 (木曜日)

なかなかヤフオクで売れなくなってきた

 いらない物はヤフオクで売ればいいとずっと考えてきたし、たびたび出品もしてきた。でも、どうにも昨年末くらいから、何を出品してもちっとも売れないのです。

 ヤフオクが悪いのかとも思い、メルカリやアマゾンのマーケットプレイスにも出品してみたけど、最安値にもかかわらず売れない。

 なぜか。これは日本のゴミ屋敷業界の人たちがいっせいに断捨離をはじめ、ミニマリストを目指しはじめたからじゃないのか。かくいう私もミニマリストという強迫観念に追われて家にあるものを捨てすぎる人たちに憧れをいだいている。なんにもない部屋にごろんと寝そべるのはとても気持ちよさそうだ。

 駿河屋やブックオフのようなリサイクル店の買取りが渋くなったのも、売る人ばっかりで、買う人が少なくなったせいではないか。捨てたい、片づけたい、その第一歩は「ゴミを買う」のをやめることから始まる。

 ゴミバブルがはじけて、宝物だと思っていた本やCDが、1円の値もつかない時代がもうすぐやって来る、かもしれないという妄想に襲われながら、コツコツとヤフオクにゴミを出品しています。買うのは簡単だが、売るのは大変、なかなか売れないのです。

ヤフオク

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2018年5月 9日 (水曜日)

入院の思ひ出

 病院から電話があり、2泊3日の入院費用が確定しました、78,000円です。うわわわ、高い。限度額適用で5万7千円だろうと思っていた自分が甘かった。なんか納得できないけど、しかたないのかなー。病院で聞いてみよー。🐔

Money

 入院メモリー。

 その①、病室。自分が入院したのは6人部屋。6人のうち、3人が、うるさいパワハラオヤジ患者だった。オヤジたちは大声で、看護師の悪口を言いまくる、こいつらキチガイか? と思うくらいの看護師に対して、威張り散らすオヤジが3人もいるんだぞ。真のキチガイは私だけのはずなのに……そんな本物をよせつけないオヤジたち、朝から病室でしゃべりまくる、携帯電話をつかいまくる、ヘッドフォンを使わずタブレットで孫とずっとスカスイプする、というありえない無法地帯だったのです。

 クソジジイはナースコールを連打して、看護師を呼びつけては「来るのが遅い」と文句を言う。それを見て、歪んだ正義感の持ち主の私は、オヤジたち全員に「切腹して今すぐここで死ね!」と怒鳴りつけてやろうと思いましたが、何しろ手術をひかえた病人です、手術に対して誰よりもびびっている精神病人でもあります、明日は我が身だと思えば、振り上げた正義の拳を、人にさとられないようにそっとおろすことしかできません。それに患者同士がいがみ合えば、看護師も困るばかりですからね。

 今は婦長といわず、師長というようです(看護師の師)、なんでそれを知ったかと言うと、となりのパワハラオヤジが師長に説教をしていたからです。パワハラオヤジたちは実に看護師の名前をよく覚えている、それはなぜかというと、あとで実名をあげて師長に文句をいうためなのです。ジジイの執念深さにドン引きした。

 たった2泊3日の入院でも精神的に相当まいってしまったよ。病気の手術だけでもストレスですが、大部屋の場合、他の患者から受けるストレスも大きかった。個室の病室に入りたがる人の気持がよくわかる。短期だから我慢できたんだ、長期だったら、こんなきちがいオヤジたちと同じ病室ではとても持たない。🐙
 
 
 その②、点滴。生まれて初めて点滴というものをした。腕にプスッと針をさして、ぽたりぽたりとなにやら薬のようなものをチューブを通して注入する。ずっと腕に針は刺さったまま。矢ガモを思い出したね。注射ですらつらいのに、点滴にいたっては刺さりっぱなしですから。腕に刺さった針を見ては怖くてつらくて、自害して果てたいと、何度も思いました。点滴している間、ずっーーーーっと雑誌を読んでいたよ。

Yagamo

 文芸誌の読者のほとんどは入院患者だ、という話を聞いたことがある、さもありなんと今回実感した。点滴で、体にずっと針が刺さっているというのは気分のいいものではない。気持ちをそらすため何かに集中するしかない。病院の売店で手に入るもので、気をそらすアイテムとなると、必然雑誌となる。点滴の間中、普段なら絶対読まないような、どうでもいい雑誌の文章を、すみからすみまで読みまくることになる。🐤
 
 
 その③、全身麻酔。すごかった。あっという間さ。体感時間にして1分。「体がふわっとしてきますから」と麻酔科医に言われ、はいと答え、次に「勝山さん」と名前を呼ばれたときにはもう手術は終わっていた。信じられない。こんなことがあるのか、何も感じない、痛みも、恐怖も、時間も、何も感じない、ふわっとした感じがして、それでぜんぶお終い。全身麻酔は怖くない、点滴が怖い、針が刺さりっぱなしなんだから怖くてたまらん。🐧

 以上、こんなところかな。むんむん。

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2018年5月 6日 (日曜日)

退院しました

 5/1に入院、5/2に手術、5/3に退院しました。右足の甲の部分にできた良性の腫瘍を取り除く手術をしました、成功したぞ、もう治った。けれどもすぐに走ったり、ジャンプしたりできるようになるわけではない、当分びっこです。右足はかかとで歩く感じで、体重をかけないように、手術した傷口を気にしつつ、恐る恐る、部屋の中を歩いています。

 右足は腫れてるのか、むくんでいるのかよくわからないが、なんか膨らんでいる。自分の足を見るたびに、「ああ、怖い、怖い」と怯えています(みると怖いから毛糸の靴下をずっとはいている)。ゴールデンウイーク中は安静にしていましょうと医師にと言われたので、部屋の中でいつも以上にひきこもっております。ただ、どういうわけかいつものように本を読んだり、ブログを書いたりすることができない。手術した足のむくみ状態がばかり気になって、そわそわして何も手につかないのです。

 暇である。耐えかねて、Gorogoaという謎解きパズルゲームを1520円だして買いましたが、現実逃避の暇パワーを発揮して、2日でクリアしてしまったぞ。また暇になってしまった。今は、水をごくごく飲む、トイレに行く、これのループ、人間循環器くらいしかやることがありません。

Gorogoa

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2018年4月29日 (日曜日)

脱ゴミ屋敷(4) 駿河屋と貫通キズと買取不可

 ゴミを捨てるのもなかなか一苦労である、だって売ればお金になるんだもん。ということで、またダンボール1箱分、駿河屋に売りました。

Title

 駿河屋にはあんしん買取システムというのがあるので、発送する前にだいたい買取値段が分かっている、あとは状態がよくないと少し減額される程度…だったんだけど、今回の駿河屋は辛味がきいてた。

 まず買取価格3600円だったボードゲームがパーツの不備、箱、袋の破れを理由に、-2900円の減額で、「買取価格700円」になっちゃった。このでかいボードゲームをいれるためにでかいダンボールをホームセンターで購入したのもむくわれなかった。しかし私はこの条件を飲んだ。甥っ子が大きくなった今、やらないボードゲームは処分するしかない。

 そしてCD。「ディスクのデータ面に貫通キズが見られる」という理由で5枚が買取不可となった。こんなことも初めてだった。買取不可品には、ふたつの選択肢しかない。

→処分してもらう
→着払いで返送してもらう(送料は自分持ちでな )

 進むも地獄、戻るも地獄。しかし買取不可のCDの中には、もともと高価買取品だったものが含まれていたので処分するのはもったいないのと、「貫通キズ」ってなんだよ? どんなキズが確かめてみたいと思ったので返送を選んだ。-850円もかかったぞ。

 で、本23冊、CD22枚、ゲーム6個、計51点。今回は査定金額はというと、

 合計     18710円
 手数料    -412円
 返送料     -850円

 差引合計    17448円となります。

 ここには含まれていないボードゲーム2900円分減額を考慮すると、なにか駿河屋の買い取りにきなくささを感じる。なにか急に査定が怪しくなった。

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 買い取りまで時間が掛かるが、査定額がいいので、全国のひきこもりゴミ屋敷男子に駿河屋をお薦めしてきたのだが、こうも納得のできない減額や買取不可、高い返送料の負担を考えると、駿河屋に売ることがお得とは限らないだろう。

 ちなみに買取不可で返送してもらったCDを盤面を見たが、中古のキズとしてはそれほどひどいものとは思えなかった。これくらいのキズの中古CDは普通に売っているよなってレベル。

 以上、リサイクルショップ駿河屋への愚痴でしたが、でもブックオフに売ればもっと買い叩かれるので、しかたいない。厳しい査定に、みんなで泣き寝入りしましょう。🐙

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2018年4月23日 (月曜日)

悪口の深層

 自分が言われたくないことを、相手にぶつけるのが悪口なんだと、ネットに書いてあった。(どこになんて書いてあったかは忘れてしまったけど)確かにそうだなと思う。

 自分が言われたら傷ついて、落ち込むようなことだからこそ、相手も当然ダメージを受けると信じて、そこを狙いうちにして口撃する。

 そう、だから悪口は深層心理でその人の劣等感とか弱点と結びついている。たいていの悪口が「お前もな」の一言であっさり返されてしまうのもそのせいだ。

 そう考えると、(自分が気にしていることが相手にばれてしまうと考えると)、うかつに悪口も言えないよなーっ、思ったけれども、でもやっぱ言っちゃうんだけどね。

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2018年4月18日 (水曜日)

入院します

 入院しますと言っても、山奥にある、すべての窓が鉄格子つきの閉鎖病棟で、「俺をここから出せ!」と叫びながら残りの人生を過ごすという訳ではありません。

 2泊3日、整形外科手術のために入院です。右足の甲の部分に、ぽこーんとこぶのようなものができ、BPOPという腫瘍なのですが、それをまあ取り除いたほうがよかろうということで手術することになりました。

 5/1入院、5/2手術、5/3退院。急遽、すべの予定をキャンセルして、ゴールデンウィークに入院でございます。つらい。

 悪意をもつ誰かが、私に黒魔術の呪いをかけたに違いありません。油断した。でも命にかかわるものでもなく、普通の人にとっては大した手術ではありません。

 そう普通の人にとっては、です。私のように床屋や歯医者に行くのも精神的につらい、ひきこもりパニック障害の弱者にとって、病院の手術室で、肉を切られ、血を流しながら、じっと手術を受けるというのは、想像するだに意識が遠のくほどの怖ろしいことです。

 グーグルで検索してもあんまり出てこないような変な病気になって入院するなんて、運が悪すぎる…、今からびびりまくって、めそめそしております。運気がさがってきたな。

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2018年4月13日 (金曜日)

ヘルパーが来ると、こそこそ隠れる生活

 アンネの日記みたいな生活を送っています。

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 つまりはこうだ、勝山家には要介護5の老婆ママンがいるので、毎日、なにかしらヘルパーだったり、医者だったり、ケアワーカーだったりといった人が、家に訪問介護にやって来る。

 ぴんぽーん、と家のチャイムがなる。すると、台所で遅めの朝食(ひとりブランチ)をとっていた、ひきこもりおじさんは、慌てて皿とコップをもって、席をたち、すたたと自分の部屋へ、6畳間へ避難するのです。

 じっと耳をすますながら、部屋で過ごす。おっ、ヘルパーが来たな。まだいるな、まだいるな、おやっドアの音がした、帰ったかな、うん声がしない、帰ったぞ、よしと部屋の出てきて、台所で食事をしたり、洗濯をしたりと、家の中をうろつきます。

 別にヘルパーから身を隠す必要はないのだけれど、なんとなく老婆ママンと関わりたくなかったり、無職ぶりをさらしたくないなんて思っていたら、ヘルパーから逃げ回るという妙な生活習慣が身についてしまいました。

 ヘルパーの人にどう思われているんだろうか、サイコパス認定されてるだろうか。堂々と「おはようございます!」って大声でヘルパーさんに挨拶してみたいと思いつつ、今日も自分の部屋へと逃げ込みます。明日も明後日も、ヘルパーさんが来れば自分の部屋に逃げ込むのです、条件反射ですな。🐙

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2018年4月 8日 (日曜日)

ひきこもり進路相談(X)  全日制普通高校編

 進路相談のプロ、キャリア教育の頂点にいるひきこもりおじさんです。正しい進路相談については、すでにブログに書いておりますが、ひきこもり進路相談(1)(2) 、今回は中3の受験生が、全日制の普通高校を目指すならこれだという、正解を書いておきましょう。

 近所の偏差値の低い高校に行きたまえ。小学校、中学校は家の近くの学校に行くが当たり前だが、高校となるとわざわざバス、電車を乗り継いで遠くまで通う人がいる、私もそうだったのですが、あれは無駄であった。毎日、毎日、通学時間という無駄な時間を積み重ね、心の中では「どこでもドアがあればいいのに」と小学生みたいなことを空想して過ごしていては、ろくな大人にならない。高校は家から近ければ近いほどいい。

 それとどんなに勉強ができても、偏差値が低い学校を選んでおいたほうがいい、入学したあと、楽ができるからだ。君たちは知らないし、信じられないと思うが、高校の勉強って予習が必要なんだぞ。そして復習が必要なんだぞ。信じられるか、学校の勉強だけでもだるいのに、その前と後に勉強しないとついていけないんだ。

 記憶力というたったひとつのパラメーターをあげる特殊訓練につきあうのも面倒くさい。そこであらかじめ偏差値の低い学校に進学しておけば、試験の平均点も低いし、授業の進むスピードも遅く、勉強せずに進級できる確率が高まる。高校なんて卒業さえできればいいんだ。なんにもしないでギリギリの成績での卒業を目指そう、やりたくもないことはなるべくやらず、自由なハイスクールライフがおくるのが賢い。

 近い、低い。全日制の高校に行きたい人には、この2つがキーワード。これで君も勝ち組だ。

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2018年4月 4日 (水曜日)

短距離ランナー

 「気分が乗った時に5分間だけ集中する男」、それが私、ひきこもり名人なのです。やるべき作業とか、ブログの更新とかは、夜になって訪れるわずかなゴールデンタイムに、ちょろちょろとやって、すぐお終いになります。

 集中力が途切れやすい、気が散りやすい、そんな言葉が生ぬるくかんじるほどの、集中力の短距離ランナーなのです。

 1日5分集中してひと作業したあとは、ぶらぶらして過ごします。さらに言えば集中する前もぶらぶらしております。1日ぶらぶらすることで、5分間の集中力を創り出していると言えます。劣化した充電バッテリーのようですね。

 このわずかな集中力を、創造力に変えるのが、ひきこもりクリエイターの仕事なのです。短距離ランナーであることを自覚して、ちょっぴりずつ建設的なことを積み重ねていく、それしかない。……ああ、もう飽きてきちゃったから、今日はここまでとさせていただきます。🐙

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2018年3月31日 (土曜日)

〆切り

 田山花袋が本の中で、〆切りに合わせてつまらないものを書き、つまらないものを発表して、つまらない人と思われるのはつらい、というようなことを書いていた。
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 まったくその通りだ。たかがブログであっても、つまらないと思われるのはつらいから、時間がかかっても、少しでも面白いものを書きたいと思う。思うがゆえに、ついつい更新が滞ってしまう。

 田山花袋は小説家だから、雑誌の〆切というものがあり、最終的にはそれに合わせて、書くわけです。

 でもブログには〆切がない。ただ更新がない、状態になるだけ。そして久しぶりに、苦労して書いた記事というのは、意外とぱっとしないものだったりする、つらい。

 やはり週に1回は空想〆切りというのを自分の中につくって、こまめに更新していったほうがいい。しょせんブログである。つまらないと思われることに怯えるより、書くことそのものに喜び感じて、満足するのがいちばんだ。自己満足で勝ち組だぞ。🐙

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2018年3月23日 (金曜日)

クーデター失敗

 老婆ママン(推定74歳)が要介護5の完全寝たきりになってだいぶたつ。私は老婆マンとは、ハブとマングース以上に仲が悪いので、介護はしないと宣言をしており、実際になにもしていません。年老いた老爺ダディがひとりでママンの介護をしているのです。

 世間での介護がどういうものか知らないのですが、勝山家では、ママンが介護するダディーに向かい「バカ野郎」「冷酷人間」「尊厳(を傷つけるな)」と叱咤罵倒する、地獄となっております。歴史の授業で習った、白人と黒人奴隷の関係って、きっとこんな感じだったじゃないかなー。

 さて、ある日のこと、ダディーからママンの病名が判明したと聞かされました。難病、大脳皮質基底核変性症だったのです。ちょっと病気の度合いがひどいと思ってはいましたが、実は困っている人級の難病サバイバーだったとは。

 少し驚くとともに、難病が発覚した「今」こそ、胸に秘めていた介護奴隷ダディー開放計画を実行するときであると思いました、ひきこもりリンカーンが立ち上がる時は今しかない、私はダディーに言いました、

 「特養老人ホームにいれよう」と。老婆の世話は無理でも、老人ホームとのやりとりくらいは、ひきこもり親孝行息子の私でもやれる、最後にして最大の親孝行計画をダディーに提案したのです。すると…、

 「あっはっはっはっはっ」
 と、ダディーの高笑い。そして、話は終了。笑いごととして話がおしまいになってしまいました。あまりの反応に呆然としていると、地獄の鼎から、地の底に落ちたカンダタの声ともおぼしき、うなり声が介護ベットから聞こえてくるのです。寝たきり老婆ママンです。

 「うごお、ふごう!」
 何度も何度も、この言葉を繰り返します。もう病状が進み、何を話しているか聞き取れない、何を言っているか分からない。しかし、執念深く何度もいうので、じきに言葉の意味がわかりました。
 「うごお、ふごう!(親不孝!)」
 と言っていたのです。

 ママンの地獄耳に、いささかの衰えもなし。すべて聞いていたぞ、親不孝め。老人ホームなんぞに行くもんかい、と憤慨し、人殺しみたいな顔でベッドに横たわっていました。

 いったい何が親不孝者なのか、おおいに不本意でありましたが、ダディーによって一笑にふされてしまった以上、なすすべがありません。こうして、老婆ママンを老人ホームにいれる計画は失敗に終わったのであります。

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2018年3月15日 (木曜日)

魔モノ PC-6001

 私が記憶する手痛い失敗の一つは、NECのPC-6001を購入してしまったことです。

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 ばーん。もう現物は持っていないので、ネットで拾ってきた画像です。1981年発売、これを「一生のお願いだから」と父に頭を下げて買ってもらったのが、小学校5年生のとき。見てもわからない人のために説明しておくと、パソコンです、当時はマイコンと呼んでいた、マイクロコンピューターの略ですぞ。

 魔モノである。緑の画面の悪魔である。現代人には話しても信じてもらえないかもしれないが、画面は基本的に緑一色。モノクロ(白黒)ではなく、緑。古代コンピューター社会では、緑は目にいいという信仰があったため、画面が緑なのです。

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 ↑これが起動直後のスタート画面です。なんだか分からないでしょ。プログラミング言語はBASIC。こんなものを7万円くらいだして買ってしまった。これさえ買えば、あとは自分でどんどんBASICをつかってゲームを作れる、ずっとゲームが無料でやり続けられるという、小学生なりの野望(妄想)があったのです。
 
 記録媒体はカセットテープ。音楽を聞くあのカセットテープにゲームのデータも入っている。ロードするときは、ガーーーー、ピーーーーーーと音を立てるカセットを聞きながら、30分以上待たなければならない。じっと耐えていると、『ミステリーハウス』のようなアドベンチャーゲームもできた。

 そんな緑の魔モノに一喜一憂していた、その一年後に、遥かに性能が良くて、安いゲーム機、任天堂のファミリーコンピューター、ファミコンが誕生したのです。

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 比べるのも任天堂に失礼と、思うくらい格が違った。ファミコンの性能はゲームセンターのゲームと比べても遜色がない。

 私は途方に暮れました。小学生にはあまりに高価なものを、一生の頼みだといって買ってもらった、そうして手に入れたものが、一年後に「産業廃棄物」になってしまったからです。

 以後、パソコンというものはダメだという考え持ち、さらに汎用機というものはダメなんだ、専用機のほうがすぐれているという、ゆがんだ価値観がまで持つようになった。14年後、Windows95が登場し、パソコンブームが来ても、私は見向きもしなかった。元パソコン経験者として、パソコンがいかにダメなのものであるかを友だち相手に説得してまわった。PC-6001の呪いであります。

 そんな私が、初めてパソコンに触ったのはそれから三年後で、ウインドウズ98が発売になってからです。すぐに私はパソコンになじみ、インターネットになじみ、以後パソコンなしの生活は考えられなくなるほど好きになったのでした。

 パソコンに目をつけるのがちょっと早すぎた。早すぎると言うと、時代の一歩先をいっていてかっこいいことのように思うが、実際、時代の一歩先とは、緑の魔モノを高値でつかまさせるという、ろくでもない地獄なのです。あれ以来、特に電化製品に対しては、少し遅れるくらいでちょうどよいという、消極的な考えで生きております。

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2018年3月 9日 (金曜日)

ふざけるな岩波文庫! 『アブサロム、アブサロム!』

 小説に関して、古今東西の名作と呼ばれるものは一通り読んできた、と常にふかしている、ひきこもりおじさんです。だいたい読んでいるつもりなのですが読んでいない本が多々あるのも事実です。特に海外文学の長編をあまり読んでいない。翻訳調の変な日本語を、何巻も読むのは一苦労、二苦労なので、避けてきたのです。

 それでも、ひきこもり文人として、読まねばならぬと思っていくつかは読んできた。そして今回挑戦し、私を今までの読書で体験したことのない、どん底に落とし込んでくれた本が、フォークナーの『アブサロム、アブサロム!』(岩波文庫)です。ポイントは岩波文庫版であること。ゆるさないぞ、岩波書店!

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 ネットに、名作だが、なかなか最後まで読むことができずに挫折する人が多い、海外文学ベスト3、みたいなことが書いてあって、ドフトエフスキー『カラマーゾフの兄弟』、ガルシア=マルケス『百年の孤独』、フォークナー『アブサロム、アブサロム!』の3つがあげられていた。

 さもありなん、といったラインナップです。私は最後の「アブサロム」だけ読んでいなかった。フォークナーの代表作は、『八月の光』『死の床に横たわりて』と思っていたのですが、どうもネットで調べると「アブサロム」もフォークナーの重要な作品であるようです、すっかり見落としていた。

 フォークナー、アメリカの作家である。ノーベル文学賞作家。郵便配達員をやりながら、小説を書いていたことでも知られる、世界一有名なゆうメイト作家でもあります。フォークナーの小説の舞台はいつもアメリカ南部で、出てくるのは黒人のことをニガー(黒んぼ)とよぶ、差別と偏見に満ちた白人ばかりです。カーボーイハットにそばかすヅラで、黒人奴隷解放に反対して、リンカーンひきいる北軍と四年間も戦って、そして負けた、あの白人連中ばかりが出てくる小説しか、フォークナーは基本的には書きません。

 小説の舞台のアメリカ南部は、白人の主人が、黒人の召使いをムチでぶったたき、そのあとで「どうかこの無知で哀れな黒んぼが天国にいけますように」と涙をながして神様にお願いする、そんな敬虔なキリスト教徒の白人しか住んでいない田舎町です。『アブサロム、アブサロム!』も例外ではありません。

 さあ、これからは小説の内容について話しますので、これから「アブサロム」を読もうと思っている人は、読まないほうがいい。ストーリーがわかってしまうからね。『アブサロム、アブサロム!』とは、南部の田舎町に突然やってきた男、サトペンが一文無しから大地主へとのし上がり、富と力を得るも、最後にはすべてを失うという物語です。サトペンが何のためにこの町に来たのか、どうやってのしあがったのが、なぜ破滅したのか、それらが語られていく。

 とある大学生が老婆の家に呼び出される。老婆が大学生相手に、今は亡きサトペンについて語りだす、ネチネチ、ネチネチ語るのです。粘着トーク。そもそもなぜ大学生が呼ばれたのか、なぜ急にサトペンについて語るのか、まあ待ちなされ、いまから話すから、あわてるでない、と言った具合に、ゆっくりと婆さんが、ねちねち語るが、長く、もったいぶった語り口に、ああああ、イライラする。

 婆さんの話が長すぎるので、大学生はいったん家に帰る。すると家には、古い手紙をもった父親がいる。その手紙はサトペンの家族からもらったもので、なぜその手紙がうちにあるのか、なぜあの婆さんが急にお前に、サトペンの話をし始めたのか、今度は父親がネチネチ、ネチネチ語り始めるのです。父から子へ、一方通行の粘着トーク。この父親も婆さん同様、サトペンについて、もったいぶりながら、ねちねちと、サトペンという男の栄枯盛衰について語っていくのです。ああああ、イライラする。

 果てしない、粘着トーク。町に住む見知らぬ婆さんと、自分の父親に、サトペンという男について一日中ねちねち話を聞かされる大学生と、同じ立場で話を聞くことになる。、そして少しずつ読者はサトペンについて知るのです。そのねちねち話が一区切りついたところで、上巻が終了です。

 全2巻だから、ちょうど半分。ここで、私が文学小説を読むにあたって、特に海外文学長編を読むにあたって気をつけていることを紹介したい、それは、家系図とか、解説とか、登場人物の説明とかを、読まないこと。文庫の巻末とかに、小説内の人間関係をわかりやすくするための図がついている場合がありますが、あれを私は見ないのです。

 家系図が特にダメ。ネタバレの宝庫。この人と、この人が結婚するんだ、ということが家系図をみると最初から、小説を読まずして分かっています。こういうのが小説の興を削ぐんです。長編小説の場合は、短編と違ってストーリーが重要ですから、登場人物がこの後どういう人生をたどるか、わからないまま読んだほうがずっとおもしろい。

 だから私は、この岩波文庫版『アブサロム、アブサロム!』の、巻頭についている、サトペン家系図も、各章の説明も、町の地図も見ないで、ただ小説だけを読んでいたのです。ノーヒント、前知識を何も持たずに読む、丸腰環境をととのえて、この名作小説に挑んでいたのです。

 しかし、上巻を読み終えたので、まあおおよそ舞台である、アメリカ南部の田舎の町についてはわかった、そうおもって、つい油断して、巻頭(の12ページ)にのっている、地図を見てしまったのです。そこで、かつてない衝撃(ド肝と尻子玉を同時に抜かれたほどの)を受けたのです、地図の上のほうには、こう書かれていました。

 ○○が○○に殺された場所

 ママー、ママー、ネタバレだよーーっ。○○には当然、小説の登場人物の名前が書いてある。このブログでは伏せ字にしたが、実際ははっきり書いてある。上下巻の上巻には書かれていない出来事が、おそらく下巻で起こるのであろうことが、そして推測するに、おそらくこれが、この小説のクライマックスであろうと思われる出来事が、巻頭の地図に書いてある。どの場所で、誰が、誰に、「殺される」かってことまで、分かってしまった。

 おい岩波書店! ありえねえネタバレだろ、犯人と被害者同時ネタバレって、どうすんだよ、何を心の支えにして下巻を読めばいいんだよ、もう分かっちゃったじゃないか、あいつにここで殺されるんだろ。おい、翻訳者、藤平郁子! お前これでいいと思っているのか! おい岩波書店、ふざけんなよ、ゲームの攻略本じゃねえんだぞ、いや攻略本ならこの部分は袋とじにしてるよ、クライマックスを一方的にバラすってひどすぎるじゃないか。いろんな小説を、数え切れないくらい読んできたけど、こんなの地獄は生まれて初めて、壮大な小説のネタバレが、「地図」にかいてある。巻頭だぞ、巻末じゃないんだぞ。

 『アブサロム、アブサロム!』被害者の会というのを立ち上げて、岩波書店の編集者をねちねち説教してやりたい。文学というものをまったく理解していない、ゲーム攻略本育ちの編集者が本をつくるから、こんな岩波ネタバレ文庫ができてしまうのです。もうこれ以上被害者を増やさないためにも、ここに警告を発しておく。

 岩波文庫版『アブサロム、アブサロム!』を読むときは最初に、巻頭の、小説以外の部分、家系図や地図の部分を、破り捨てろ。破り捨ててから読むべし。もしくは素直に、ほかの出版社から出ているものを読むべし、例えば講談社学芸文庫とかね。🐼むんむん

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2018年3月 2日 (金曜日)

クラスジャパンとは

 クラスジャパンとは、人口減少が原因で起こる課題は、不登校の子どもへの教育で解決できる、と考える一般財団法人です。http://cjed.org/lp/ 

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  「ズコー!」、の一言で終わらせたい。クラスジャパンを批判するのは、面倒くさし、不毛である。しかし、ちょっとだけ書いておこう。事態は深刻だからだ。教育機会確保法という法律ができたせいで、クラスジャパンもできたのです。


 クラスジャパンという団体が主張する、人口減少問題を不登校対策で解決するという思想自体は、筋の通らないひどいものだ。トンデモ団体、カルト、そんな悪口で切り捨てたいところです。でも教育機会確保法を利用するという点からみれば、彼らは正しく法律を理解している。まっとうですらある。この法律を使って、国の税金を民間に流すことが可能だと知ったうえで、それをやろうとしているんだから、完璧だ(悪い意味で)。

 競争の激しい民間で商売するのは大変なことです、国相手に商売したほうがずっと楽だし、儲かります。だから商売人としての目の付けどころに間違いはない。今後、こんなような団体が次々できてくるだろう。

 国を相手の商売……では国は何に対してお金を払うのか。学校復帰ということになるんだろうけど、具体的には、不登校児童生徒の出席ということになる。相当期間欠席をしているのが不登校なのだから、それを解決するには結局のところ、出席しかない。出席を買う。

 不登校の子どもを、どれだけ出席(出席扱いも含めて)させるか。出席はプラス評価に、欠席はマイナス評価になる。ひきこもり就労支援における支援団体の評価が、(バイトでも中間就労でも)就職させればプラス、無職のままならマイナス評価になるのと同じシステムです。だから…、ひきこもり就労支援施設の近所には、ひきこもりなら誰でも雇うリサイクルショップやクリーニング屋がある、とか、ない、とか。あわわわ。話がそれましたな。

 不登校児童生徒を出席させることができないと、業者にとってはマイナス評価になり、委託事業という名の助成金を打ち切られてしまう。だから国、文科省に評価してもらうために、事業者は、学校に通わせるか、それがダメなら特例校、適応指導教室、(認可された)フリースクール、それでもだめなら(認可された)通信教育などで、とにかく勉強させて、なんとか出席または「出席扱い」を獲得する。「出席扱い」、便利な言葉である、お金になる言葉である。

 出席扱いは学校復帰とセットで、学校復帰を目指している不登校児童だけが出席扱いにしてもらえる(可能性がある)のです。クラスジャパンがミッションとして「日本全国の不登校者全員の教育に取り組み 通学していた学校に戻す」ことを掲げているのには、ちゃんと意味があります。

 インターネットで通信教育をやらせて、出席扱いを狙うのが、不登校事業者の一番の仕事となるだろう。ネットで公文式みたいなことをやらせて、小中学校を過ごし、高校からは通信制高校に通う。不登校ベルトコンベア。くだらない勉強はいやだが、しかし、とことん、くだらない勉強が追いかけてくる。つらいですのう。🐙

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2018年2月28日 (水曜日)

テストで点をとるための教育

 教育機会確保法というものができてから一年以上がたった。「法律ができても、そう変わらないのでは」「今まで通りにやっていけばいい」といったのんびりとした意見もありましたが、やっぱりそんなわけにはいかんのです、ここにきてゴリッと法律の種が芽をふき、花を咲かせてきたぞ。

全国初「分教室型」、東京・調布に不登校特例校 ←読売新聞

調布市立第七中学校「はしうち教室」の開設 ←調布市

 ばーん。東京都調布市に不登校特例校という名の、「分教室」ができる。イメージとしては田舎の分校に近い…かな。中学校から約1キロ離れた(近いな)スポーツ施設2階にあり、そこはもともとは適応指導教室(学校復帰のために適応指導するところ)だったところ。教育機会確保法の成立を受けて、はりきって、リニューアルオープンするのです。

 「やったーーー! 多様な教育が実現したぞーーーっ」て、喜んでいるやついるのかなあ。これぞ分ける教育。様々な境遇の子と一緒に育つことで、他人を尊重できるようになるというような教育理念は蹴っ飛ばして、様々な境遇の子を分教室へと隔離してしまう、ちっとも多様ではないシステムなんじゃないの。

 法案からは多様の文字はことごとく外されていたので、こうなるのもまあ当然で、不本意であるが、なるようになったと言える。で、どんな実害があるだろうか。今は調布市だけだが、そのうち全国にも特例不登校分教室ができてくるだろう、そうなれば当然、全国で、学校行かないのなら、特例分教室に行きなさい、という流れになるんじゃないだろうか。

 だってお前ら不登校児のために作ってあげた、ありがたい分教室なんだぞ。お前たち不登校児を収容するためだけに作られた施設なんだ。授業時間は10%ほど少なくしてあげた、個別学習で教えてあげる、お前らコミュ障のためにコミュニケーションスキルトレーニングまでもしてあげる。

 しかし、当事者にとっては、よけいなお世話である。迷惑である。このおせっかいな極まりない内容こそ、適応指導教室で繰り返されてきた、学校復帰のための訓練、不登校対策の王道メニューじゃないか。多少ゆるくなっているのは、この分教室の狙いが、中学校への復帰ではなく、中学は不登校でいいから、勉強して、遅れを取り戻して、定時制か通信制の高校に進学しなはれ、という狙いなんだと個人的に推測している。高校からの学校復帰でええやん。定時制、通信制高校に行きなはれ政策じゃないの。

 分教室に通学すれば、出席扱い、内申書も書いてもらえる、高校も進学できるぞ、そんなエサをまく一方、通わなければ、欠席、内申書白紙、中卒確定という脅しがこめられている。ここが怖い。教育機会確保法は年齢にかかわらずということなので、まさか、そんなひどいことはしないはず、と思うけれども、留年(落第)させてでも教育をさせられるのでは、と考えたら、分教室に行かないという選択はかなり勇気がいる。

 学校なんて一日も行かなくても卒業できた、今までは。ただし教育機会確保法ができたせいで、卒業できる? かはまだはっきりとしていない。出席扱いというものの、価値がぐーーーんとあがった。

 ろくでもないなと私は思うが、これができたことが、さもいいニュースであるようネットに書いている人もいる。困ったことだ、困ったことだが、この話はこれくらいにして、ここからは、ひきこもり教育大臣の誇大妄想演説をやらせていただきたい。教育とはなにか、俺が言うしかない、以下、空想よもやまばなしです。



 テストで点をとるための教育、いかがなものでしょうか。学校教育とは何か、と問われれば、それはテストで点をとるための訓練であると言いたい。100点をとれば俺は頭がいいなと優越感にひたり、0点をとれば俺はバカだと劣等感に打ちひしがれる。記憶くらべで他人より優れていることを目指すのが、学校教育になっているというか、それが文科省のやらせたいことなのです。

 個人的に、目の前の勉強を嫌がる子どもに勉強させるのは難しい。でも日本国民全員に勉強をさせようとするのは簡単です。国勢調査のように、日本国民全員に国勢学力テストをおこない、1位から日本の最下位、1億2500万位まで順位をつけて、成績を発表してやればいい。

 テストで順位をつける。そうすれば必ず、みんな競争を始める。もっと上にとか、これ以上下がらないようにとか、せめてこれくらいは、とかいろいろな理由で競い合う。しかしどんなに努力しても、1番がいるし、びりもいる、できる人もいれば、できない人もいる。

 できない人が、できる人に対して「負け犬根性」を持ち続けてくれれば、テストで点をとるための教育の目的は達成なのです。できない、劣っている、ぼくは頭が悪い、なんて思い続けて平凡にいじけながら80年間生きてくれればそれでいい。負け犬根性がなければ、スーツにネクタイをしめ満員電車に乗り、給料のために、人生のほとんどを費やすなんてことはできません。テストに負けて、競争に負け、自分なんてたいした人間ではないと分をわきまえて低賃金労働者として生きていくしかないと思い込んでくれないと国と企業が困る。

 ただテストには欠点であり、長所でもある部分があって、それは頭がいい、記憶力のいいやつが必ず勝つ、とは限らないところ。頭が悪い、記憶力もよくない、そんな人間でも逆転のチャンスがある。それが詰め込み教育! とにかく長時間、詰め込んで、詰め込んで、尋常じゃない努力をして、ひたすら暗記をすれば、頭のいい人を打ち負かすことも可能です。テストに出る部分だけをひたらす暗記する。まあたいていの受験生ってこれをやっているよな。

 しかし悲しいかな、みんながみんなテスト対策で詰め込み暗記をやるから効果がない。出し抜けない。もともと頭のいい、記憶力のいい人たちもやるので、差は開くばかりだ。それなのにだからといってやらないと、自分よりも下だと思っていた人に、どんどん追い抜かされてしまう。競争だ、受験戦争だ、やだ、やだ、どうすればいいか。

 やめなはれ。はよ、やめなはれ。ひきこもり教育大臣として、テストを受けるなと言いたい。そうすれば勝ち組だよ。一生、テストで点をとるための訓練から開放される。これは一生、学ばないという意味ではない、点をとるための訓練をやらないだけです。価値をはかるモノサシをかえる、マイものさしを持つ、テストの点の高い低いなんて、別にどうでもいいんだ。記憶力はたくさんある能力のひとつである、それだけ。むしろ、記憶した知識を、いつ、どこで、出すかのほうがポイント。それがうまい人こそ頭がいい。

 やめなはれ。はよ、やめなはれ。しかし私自身、勉強していないのに3年間も受験浪人してしまったように、すぱっとやめるのはなかなかできない。なぜなら、くだらいな点取り訓練で勝てば、ちょっとよさげなイスに座れるからです。くだらない椅子取りゲームと知りつつも、やってやれないことはないな、椅子取りゲームの勝者になろうと思えばなれるぞと考えると、もったいない根性がでてきて、なかなか踏ん切りがつきにくい。

 ずっと小学校から、いわば洗脳されていたわけです。100点をとれば褒められて、よくできました、花丸マークを書いてもらってたのだから、テストで点をとるための教育が身体に染み付いておるのです。

 学校にいかないなんて、鍵の付いてない牢屋から出ていくようなもの。出てしまえば、テストもない、順位もない、競争もない。自由と権利を手にすることができる。やっほーい、桃源郷じゃ、桃源郷じゃ。

 しかしこれで困るのが、テストで点をとるための教育なのです。順位をつけて、競争させて発生する大勢の負け組あっての、点取り訓練テストシステムなのです。成績上位の人間は頭がいいと信じ込み、むやみに敬う、無垢な民がいないとこのシステムは成り立ちません。

 民衆が、成績上位者をただの勉強マニア、クイズ王あつかいするようでは困ります。雑学王として見下されてしまっては、だれも競争してまで、勝とうとは思いません。勝ったところで、クイズ王。それではみんな割に合わないと、テスト勉強をやめるでしょう。こうして価値観が変わり、社会もかわる。

 しかし、しかしですよ変えたくない人もいるわけです。だから、あれこれ手をつくして、テストで点をとる教育を今まで通り、末永く続けられるよう、あれこれ工夫をしている。学校の代わりに特例校をつくる、フリースクール(文科省が認めたところ)でもいい、夜間中学でもいい、家でインターネットの通信教育でもいい、みんな勉強してテストを受けて、順位をつけてもらって、そして優越感や、劣等感を感じて欲しい。できれば競争に参加して欲しい。不登校でもちゃんと就職できる、ちゃんとスーツを着て満員電車に乗って「不登校でもちゃんと社畜になれる」って、そう言えるような人間になって欲しい、文科省はそう思っているんです。

 不登校の子どもにやたらとインターネットを通じて勉強させたがるけど、あれも、家でテストで点をとる教育を、家庭に押し付けたいだけなんです。ただやれば出席扱い、やらなきゃ欠席扱いだなんて今後、脅しが来るんだろうけれども……、なんかだらだら書きすぎたので、ここでやめる。クラスジャパンプロジェクトについて書こうと思ってたけど、また今度にします。むんむん。

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2018年2月21日 (水曜日)

喪服を買ったぞ

 喪服屋さんに行ってきた。正確には、スーツ屋さんなのかもしれないけど、私にとってはぜんぶ喪服屋さん。

 店員とマンツーマンという状態で、服を買うのがつらい。床屋、歯医者にならぶ、苦手なところ、それが店員にぴったりマークされる店で、服を選んで買うことです。ユニクロやしまむらで、フリースを買うのとはわけが違う。

 店員とコミュニケーションしなくちゃいけない、鏡の前で試着して、サイズが小さいとなれば、ワンサイズ大きいものを持ってきてくださいと、自己主張しないていけない。これは大きい、これは小さいと、あれこれ服を持ってこさせて試着してぴったりのを探す、それが終われば次はズボン、また試着して、小さいから、ワンサイズ大きいものを……、といったことを繰り返す。試着室のなかで、私は大急ぎで汗をふき、次の試着に備えるのです。汗まみれのおじさんの姿を女子店員さんに少しでも見られたくないのです。

 緊張の汗のほかに、暑くもないのに大汗をかいていることが恥ずかし、もう無理だ、途中で、買わずに逃げ出すことも考えたが、しかし親が死ねば、自分が「喪主」になる可能性もあるわけです、喪服を買わないわけにはいきません!

  喪服は、フォーマルスーツと呼ばれていて、一番安いので、2万8000円だった。それに消費税と裾上げ代が加わると、3万円をちょっと超える。冗談じゃないぞ、搾取だ、と叫びたかったが、もちろんそんなことはやらない。買うしかないのだ。紳士服の○○といったチェーン店が町中にいっぱいある理由もわかる。結局、この手の店の中から選んで買うしか手段がない。

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 店員が心配そうな顔になるほどの、汗おじさんでした、喪服は買えた。けどまだ、ワイシャツを買っていない。一緒にワイシャツも買おうと思ったのだが、汗がとまらないので、喪服だけ買って、逃げてきた。ズボンの裾直しに5日くらいかかるという。結構時間がかかるものなのです、喪服は前もって買って用意しておいたほうが良さそうですな。

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2018年2月14日 (水曜日)

趣味、確定申告。

 私は確定申告のときだけ、ひきこもり名人ではなく、作家を名乗っています。個人事業主として、納税書をつくるためにです。一年間集めたレシートを経費(取材費等)として計算し、収支報告書をつくる。

 わずかな売上から、レシート一年分の経費を引くと、いつだって勝山プロダクションは赤字になります。売上はマイナスになる。結果、源泉徴収でひかれたお金が、還付金として返ってくることになります、なるのですが……実は、税金には控除というのがあるので、私のような収入が少なすぎる人間は経費なんか計算しなくても、収入を申告するだけで源泉徴収分のお金は返ってくるんです。だから私のやっている作業は、100%無駄なのです。

 じゃあ何で、レシートを集め、簿記のソフトを使い、帳簿をつけているかというと、それはただ、フリーランスごっこをして遊ぶためです。世間では面倒くさいと言われている確定申告を、意味もなく、ただ趣味としてやっいるのです。俺って世界一、暇だよなー。

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2018年2月 4日 (日曜日)

そろそろ喪服

 甥っ子が平日なのに家にやってきました。インフルエンザで学級閉鎖、学校は休みだそうです。しかし、甥っ子も、もう中学生なので、昔ほど話は弾まない、遊んでもくれない。あのポケモンカードをやっていた頃の、熱狂はもう戻ってこないのです。昼飯をもくもくと食べる、おじさんと甥っ子。そのすぐそばには、要介護5寝たきり難病ママンが電動椅子に座っているのでした。

 病気で手が動かないママンですが、電動椅子は足元のスイッチで、イスの座る位置を高くしたり、低くしたりということが操作できるのです。

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 本日は、老婆ママンはいつになく上機嫌で、甥っ子になにやらずっと話しかけていました。「はうらばぁ うがきごぉ ふがぎが………はっはっはっ」といった感じで、何言っとるのかはさっぱりわからないのですが、とにかく何か言っては、笑っております。甥っ子に、「なんて言っているんだ?」と聞いてみましたが、わからないとのこと。

 座りきりママンの上機嫌は続き、「あがごぉー あがごぉー」としゃべりながら、電動イスをウィーンと上げたり、下げたりするのです。この電動イスをさかんに上下させるパフォーマンスは大変おかしかったのですが、病人を笑うのは不謹慎だと思い、じっとこらえておりました。

 さて本題です。現在、寝たきりママンの病状も進み、尋常ではありません。もうまもなくです。そこで私は何をすべきか、自問自答の末、喪服を買うべきだという結論に達しました。ママンの命もあとわずか、もしなにかあれば、私が喪主という可能性もありうる。その時、喪主が首のところがびろーんとなったTシャツにジーパン姿であったらどうであろうか。親族全員、情けなさに泣き崩れるであろう(悲しみのポイントがずれてしまう)。

 それを考えたうえで、喪服はもっておいたほうがいい、そういう結論に達しました。母と父、少なくとも二回は使う。喪服(フォーマルスーツ)は、買う価値がある。買いに行くぞー。というわけで、喪服買ったら、続きをブログに書きますね。

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